The Physical Society of Japan
日 本 物 理 学 会

日本物理学会第3回論文賞(1998年)

 日本物理学会第3回論文賞受賞候補として16篇の論文が推薦された.この中から,論文賞選考委員会の審査によって選ばれた5篇が理事会に推薦され,2月28日の理事会でこの5篇に対する授賞が決定された.表彰式は4月1日,第53回年会の総合講演に先立ち,習志野文化ホールにおいて行われた.
 5篇の受賞論文の標題,著者名,掲載誌・巻号・ページおよび受賞理由は以下の通りである.なお選考の経過については末尾の山田作衛選考委員会委員長の報告を御参照いただきたい.

日本物理学会第3回論文賞受賞論文

  1. 標 題: (2+1)-Dimensional Quantum Gravity―Case of Torus Universe―
    著 者: 細谷暁夫 中尾憲一
    掲載誌: Prog. Theor. Phys. 84 (1990) 739-748.
    受賞理由: この論文は,2+1次元の重力理論を,量子化の一つの手法であるWheeler-DeWitt理論にもとづいて,始めてあらわに解いてみせたものである.すなわち,物質がない真空でかつトポロジーがΣ(二次元コンパクト空間)×R(時間)の時空の力学変数を二次元面のモジュライ・パラメターで表して,この場の量子化をWeil-Petersson計量での粒子運動の量子力学に帰着させることによりWheeler-DeWitt方程式を導いた.さらにΣがトーラスの場合の波動関数が数学でMaass形式と呼ばれる形で与えられることを示した.
     重力の量子論は概念的にも技術的にも難問をふくみ種々のアプローチで研究されている.重力波の自由度のない大域的変数のみの系である3次元重力はこの問題への手がかりを探る為の簡潔な理論モデルである.また,その量子化の手法も,ゲージ理論の観点を顕に扱うもの,一般相対論の量子化としてのWheeler-DeWitt理論,など,唯一ではない.さらにこの論文でなされている変数の取り方などもユニークではない.古典的には等価であっても,場の理論としては等価とは限らないからである.
     この論文の特徴は,これらの問題を巧みに扱って,スッキリと解ける簡潔なモデルに具体的解答例を与えている点にある.これでこの時空モデルの量子論が解けたという訳ではないが,時空の量子化の手続きに含まれる多くの未知の部分の考察にもこの簡潔なモデル解は役立つことが期待できる.
     この論文は発表後5年以上経過しているが,過去2回も推薦されている.一般相対論の量子化という難題への重要な理論的寄与であり,近年新しい展開を見せている重力の量子化において一つの指針となるものである.またその自己完結したスタイルは論文賞にふさわしいものであると認めた.
     
  2. 標 題: Infinite Symmetry of the Spin Systems with Inverse Square Interactions
    著 者: 樋上和弘,和達三樹
    掲載誌: J. Phys. Soc. Jpn. 62 (1993) 4203-4217.
    受賞理由: 本論文は一次元SU(ν)スピン系で距離の2乗に反比例する相互作用をもつ系の代数的構造を明らかにしたものである.
     まずこの量子系に対してLax演算子を導入し,量子的Lax方程式を満たすようにした.このLax演算子は演算子を成分とする行列となる.さらに,座標とスピン演算子を用いて対角行列を定義して,これとLax演算子とを組み合わせることにより,保存量(すなわちハミルトニアンと可換な演算子)を系統的に構成した.このようにして,保存量の形を具体的に与えることにより,系の完全積分可能性を証明した.さらにLax方程式を拡張することによって,Kac-Moody代数として知られる対称性をもつことも示した.
     本論文はスピンをもつ一次元粒子系に関する一連の研究を集大成したものであり,論文としての完成度は極めて高く,学術的価値の高い論文として評価される.
     
  3. 標 題: Dynamical Supersymmetry Breaking in Vector-Like Gauge Theories
    著 者: 井沢健一,柳田 勉
    掲載誌: Prog. Theor. Phys. 95 (1996) 829-8
  4. 30.
    受賞理由: 弱・電磁相互作用のエネルギースケールと大統一理論のスケールの間の大きなギャップの問題を解決する有望な考え方として超対称性がある.実際,標準模型をミニマルに超対称化した超対称極小標準模型は強・弱・電磁ゲージ結合定数の統一を説明するなど一定の成功をおさめた.しかしながら,その鍵となる超対称性は弱・電磁スケールでは破れていなくてはならないが,超対称極小標準模型では,あらわな破れとして手で導入していた.しかし超重力理論の枠組みで考えれば,超対称性の破れは自発的でなければならない.
    従来,超対称性を自発的にかつダイナミカルに破ることは難しい問題と考えられ,複雑な模型が議論されてきた.ところがこの論文は,超対称性を自発的にかつダイナミカルに破る非常に簡単な模型を初めて与えた.これは近年Seibergらによって発展させられた超対称ゲージ理論の双対性に関わる非摂動ダイナミクスの解析方法を巧みに応用したものである.この論文は2ページという極めて短いものであるが,これまで困難と見なされていた点がこの模型でなぜさけられているのか,その本質を説明し,他にも種々な模型が可能であることも指摘している.
    この模型自身は,超対称性をダイナミカルに破る部分だけのものであるが,超対称性の自発的破れを実現する現実的な模型を構築する可能性を開いたという意味で重要であり,論文賞にふさわしいものであると認めた.
  5. 標 題: Phase Diagram of Two-Dimensional Organic Conductors:(BEDT-TTF)2X
    著 者: 木野日織,福山秀敏
    掲載誌: J. Phys. Soc. Jpn. 65 (1996) 2158-2169.
    受賞理由: 最近の物性物理学において,電子間相互作用に起因する多様な相関効果の基本的な理解に向けた研究が盛んである.このような研究の主要な舞台の一つに,超伝導,スピン密度波,Mott絶縁体状態などが出現する一連の低次元有機導体がある.2次元層状物質のBEDT-TTF(略してET)系もその一例であり,基底状態が常圧下の反強磁性絶縁体から加圧によって超伝導状態を経て常磁性金属へ転移するものや,スピンギャップを伴う絶縁体状態やスピン密度波状態から常磁性金属へ転移するものなど様々なET物質が合成され,その物性が研究されている.
     強相関電子系における多様な多体現象―種々の(基底)状態と状態間の転移―は,個々の物質の結晶構造を反映した1電子バンド構造で与えられる結晶内電子の運動エネルギーと電子間に働くクーロン相互作用との競合あるいは協調(フェルミ面のネスティング効果)によって生じるものと考えられている.
     本論文はこの考え方に基づいて,それぞれのET物質のバンド構造の違いを取り入れたハートリー・フォック(HF)近似法による具体的な計算をまず行い,その結果に,HF近似を超えた強相関効果に関する議論を加味することによって,ET物質が示す種々の多体現象を具体的に説明することに成功している.これまでの低次元有機導体の分野では,(TMTSF)2X系における磁場誘起スピン密度波状態の例のように,バンド構造(主にフェルミ面)の詳細がより重要な役割を演じている現象が多く調べられてきた.本論文は,そのようなバンド構造の違いに加えて,平均場近似を超えた強相関効果がもたらす多体現象の多様性を系統的に理解する道筋を初めて与えたことにより低次元有機導体における電子間相互作用に関する研究に大きなインパクトを及ぼすとともに,新物質探索に向けた指針としてこの分野の研究進展に大きく貢献するものであり,高く評価できる.
     
  6. 標 題: Superconductivity in the Ladder Material Sr0.4Ca13.6Cu24O41.84
    著 者: 上原正智,永田貴志,秋光 純,高橋博樹,毛利信男,木下恭一
    掲載誌: J. Phys. Soc. Jpn. 65 (1996) 2764-2767.
    受賞理由: この論文において,著者らは世界に先駆け,2次元と1次元の中間的構造である梯子型の構造を持つ銅酸化物の超伝導を発見したことを報告した.
     これまで,いわゆる高温超伝導を示す銅酸化物はすべて2次元のCuO2面を持ち,本来反強磁性的Mott絶縁体であるものにホールをドープしていったとき,電子間のクーロン相互作用によって超伝導が生じると考えられてきた.このように電子の強相関効果によるものと考えられる超伝導が,CuO2面を有する銅酸化物以外に見いだされれば,強相関電子系の研究の進展に重要なインパクトを与えるものと期待される.実際,スピンが梯子状に反強磁性的につながったスピン梯子格子と呼ばれる系にホールをドープするとき,超伝導が出現する可能性が理論的に示唆されていた.これをふまえてスピン梯子系の超伝導探索に世界の研究者がしのぎを削った中で,その一番乗りの成果が本論文である.
     銅と酸素からなる梯子系物質Sr14Cu24O41-はスピンギャップを持つ量子スピン液体状態(絶縁体)であり,SrをCaで置換していくとホール濃度が増加する.本論文の著者らはこの系に着目し,常圧では得られないSrとの相対的なCa濃度がSr0.4Ca13.6であるような試料を高圧酸素下で合成し,さらに,この試料を3GPaの高圧下におくことによって伝導が金属的となり,約10K以下で超伝導が出現することを見いだした.
     著者らは超伝導発現の可能性の高い系を予測し,かつ必要な圧力と温度の範囲を推定するのに自らの豊富な経験に基づいた深い洞察力を発揮した.実験的には,高圧酸素中での合成や高圧・低温環境での測定はきわめて高度の技術であり,この超伝導発見は著者に名を連ねる名人級の研究者の協力なしにはあり得なかったであろう.
     この論文の成果は,スピンギャップと超伝導発現のあいだのつながりを実験的に明らかにする手がかりを与えると同時に,2次元系の高温超伝導の機構の解明,さらにはより広く,強相関電子系一般の理解にとっても大きく資するものである.


日本物理学会第3回論文賞受賞論文の審査経過

論文賞選考委員会委員長  山田作衛

 第3回日本物理学会論文賞の選考委員会は1月31日に開かれた.今回推薦された候補論文17篇の中から選考委員会において5編の論文が選ばれて理事会に推薦され,2月の理事会で承認された. 各分野等から推薦された多数の候補論文は,いずれも高いレベルの研究に基づいた優れたものであった.中には論文賞を意識して投稿したと思われる論文もあり,3年目にして論文賞の効果が現れ始めたようである.選考に当たっては,候補論文それぞれについて,推薦者の評価に加えて,国際的に見た当該研究の評価,今後その分野に与えるインパクトの大きさ,論文自体の完成度について意見交換を行い,その後,論文賞規定の主旨に沿って入念な選考がなされた.
 また,今回の経験をもとに,募集時期や選考方法について一般的な検討を行い,今後期待される推薦論文の数,分野の拡がりに対応できるような改善策を考察した.将来の参考までに,論文賞の選考に当たって課題や話題となった点を,前回に指摘されていることと重複することもあるが,紹介しておきたい.
 選考の明確な基準として,規定にあるとおりオリジナル論文が対象であることを確認した.レビューの色彩の濃い論文は,長年にわたる研究業績が高く評価される場合であっても,対象から外さざるを得なかった.そうした範疇の業績は,もし表彰するなら,この論文賞とは別の形を考える必要がある.関係方面での今後の議論を待ちたい.
 今回は掲載5年以内の論文が殆どで,とりわけ論文賞発足後に発表された論文が多数を占めていた.それをすぐに論文賞の効果と結びつけるのは早計だろうが,論文賞によってより高いレベルの論文が投稿されるようになったとすれば,喜ばしい. 選考対象となった論文の分野が広がっている一方,論文賞の対象となる論文誌への投稿が極めて少ない分野もある.また,今回の候補論文には海外著者の論文が皆無に近い状況であったが,これは国外からの投稿そのものが少ないためと思われる.この二つのアンバランスの原因には共通している要素もあるかもしれない. 論文賞がそれを取り除く一助となり,今後改善されればよいが,国際化については,他にも策を講ずる必要があるかも知れない.

(日本物理学会誌第53巻(1998)第5号、pp.394-395)


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