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祝 辞

温故考現

南 茂夫

〈応用物理学会会長 大阪電気通信大学工学部 572大阪府寝屋川市初町18-8〉

まずは,創立50周年を迎えられた(社)日本物理学会に心より祝意を表するとともに,新世紀に向けての益々のご発展をお祈り申し上げる.

我国と欧米諸国との間に貿易摩擦が生じるようになってから,いわゆる「基礎研究ただ乗り論」が声高に叫ばれている.これは,現在,技術の最先端を走る多くの製品について原理面でのルーツを辿れば,欧米で発明・発見された基礎研究の成果に行き着くという処からきている.この議論では,結果的に技術と結びついた基礎研究のみが問題にされているだけであって,実用と結びつかなかったものの,学術的価値の高い多くの成果が陰に存在することを世間は見過ごし勝ちである.

また,よく話題に上るのが,我国企業における開発成功率が欧米に較べて一桁以上も高いという事実である.これもただ乗り論の拠り所の一つとなっているが,そもそも企業で行われる研究の多くは開発を念頭に置いた目的研究であり,その結果が製品開発と結びつかないのは,応用物理的観点からすれば,予測や戦略の失敗と言えなくもない.とは言っても,我国の企業における目的研究の効率の良さを単純に評価する訳ではない.欧米では,製品とつながらなかった目的研究の一部が,学術的に高い評価を受けているからである.

以上の事柄を考えると,我国で漸く軌道に乗り始めた基礎研究重視の施策は,当然の成行きとは言いながらも,ただ乗り論を是正するための期待だけが先走っているようにも思われる.基礎研究に資金を投ずれば,それに応じて先端技術のシーズも益々増大すること必定という効率的実益主義の鎧が,衣の下から見え隠れする杞憂無きにしもあらずである.

我国では,ムラ的な色彩の濃い風土とそこに育った国民性の故か,また,明治以来の欧米崇拝思想の名残りなのか,とにかく,自国で生まれた基礎研究の成果を,“実際には役立たない”とか“コスト的に成立たない”の一言で葬り去ろうとする風潮が未だにある.事実,これまでも我国では見向きもされず,国外で開花した学術的研究は数多いのである.

日本物理学会が50周年を迎えられ,我国の物理学研究の来し方を辿る記念特集を,一年間に亘って続けられる企画を立てられたのは真に嬉しい.我国で育った輝かしい基礎研究の成果とその中心となった人々の業績の数々を振り返ることもさることながら,これまで,関係者の口の端には上るものの,完全な記録が残っていない無名の基礎研究者の足跡にも光を当てて頂きたい.正史というよりも裏面史に期待している.我国の基礎科学は,これまでの悪環境に拘らず,欧米諸国に較べて学術的に見劣りしないという事実を,国内はもとより欧米の社会にも広く喧伝して頂き,「基礎研究ただ乗り論」を払拭する契機として欲しい.

もう一つ,応用物理学に身を投じている一人として希望する事柄がある.応用物理学は性格上テクノロジーの世界を対象とする分野であり,実験と物作りが基本である.実証のための方法と手段に重点を置く立ち場から見ると,近年,会誌“BUTSURI"の中で,大型にしろ小型にしろ,実験に関連する内容が少くなっているように見受ける.

実験の形態自体,対象の複雑化・高度化に伴い大きく変化したのは当然で,昔のガラス細工と写真技術の時代からエレクトロニクスとコンピュータへと移り変わりが激しい.物理学会の進取性は,これまでの実験技術の啓蒙活動にもよく表れている.その一例がコンピュータの応用であり,既に四半世紀前に他学会に先駆けてオンラインコンピュータの実験への活用についての講習会や出版活動を行なっている.実験物理全般についても,この進取性をいつまでも持ち続けて欲しいと思っている.

若い人達に実験指導して感じるのは,高度に自動化された測定機器ばかりとなり,実験とはボタン押しか,キーボード操作であるという風潮が強くなっていることである.このように実験環境は大きく変わったとはいえ,中村清二先生が『物理実験者の心得』(河出書房,1942)で述べられている精神は,今でも生き続けている筈である.

上述した実験技術についても,過去50年間の軌跡と共に,昔から変わらない実験者の基本的心得を披露して頂きたいし,また,高エネルギー実験など大型実験に携わってこられた研究者の葛藤や実験哲学なども明るみに出して頂ければと思っている.

50周年を迎えられる物理学会と,この記念特集企画へのお祝いの一文とすべきところが,“歴史に学ぶ”新企画への期待が大きく,注文めいた内容に終始してしまった.なにとぞお許しを頂きたい.本記念特集が,他分野の科学技術者はもとより一般の若い世代を,物理学のロマンの世界に誘う指標となることを確信している.