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50年をかえりみる

KAMIOKANDEのこと

小柴昌俊 

〈東海大学開発技術研究所 151-東京都渋谷区富ヶ谷2-28-4〉

早いもので日本物理学会が独立してから50年になるそうで,振り返ってみると私が第一高等学校の理科甲類一年だったのですから,スケールは勿論違いますが,苦楽を共にしてきたような気がします.この50年をふりかえる特別企画のなかで,唯一つの単独実験としてKAMIOKANDEが取り上げられたことは,この実験に関与した総ての人々にとって大きな名誉と喜びです.それではKAMIOKANDEは何を達成したのでしょうか? 以下に他の分野の方々にもご理解いただけるように述べてみたいと思います.

まず挙げるべきは「ニュートリノ天体物理学観測の創始」であると,国内外で認められています.透過力がきわめて大きい素粒子ニュートリノが星の生涯で果たしているであろう役割については早くから知られており,天体からのニュートリノを観測することの重要性も指摘されていました.米国では20年以上も前から地下深い所に37Clを含む多量の液体検出器を設置し,太陽から降り注いでいる筈のニュートリノが37Clを37Arに変換したのを月に一度位の割合で抽出し検出する方法で観測をつづけ,太陽からの電子ニュートリノは理論値の三分の一くらいしかないという結果を報告しています.しかしこのような放射化学的方法では入射したニュートリノの到来時刻,到来方向は不明ですし,またエネルギースペクトルもわかりません.Keplerの昔から天文観測には到来信号の時刻と方向を知ることが不可欠です.また天体物理的観測,たとえば表面の温度や元素比,には更に信号のエネルギースペクトルを知らなければなりません.KAMIOKANDEはこれら三つの条件をみたす方式で天体からのニュートリノを観測したので,ニュートリノ天体物理学観測を創始したとされているわけですが,この実験がどのようにしてはじまったか,また透過力が極めて大きく,レンズも反射鏡も遮蔽も使えない天体ニュートリノの観測をどのようにして達成したかに入りましょう.


1. KAMIOKANDEの生い立ち

KAMIOKANDE-神岡NDE-は当初,物質の構成粒子である陽子や中性子は自然崩壊するか? 別の言葉でいえば重粒子数の保存則は完全には成り立っていないのではないか? という問に答えるために起案されたので,語尾のNDEはNucleon Decay Experimentを意味しました.1970年代の半ばには物質の基礎粒子クォークは三世代まで存在し,ニュートリノも三種類存在することが確実になっていましたし,また自然界の四つの力のうち電磁力と弱い力を統一した理論,いわゆる標準理論が成り立つこともほぼ確実になっていましたから,この時期に更にもう一つの力,強い力,をも統合する理論,大統一理論,がでてきたのも不思議ではありません.そのうちの一つ,素粒子の分類の基礎にSU(5)群をおいたものの予言は,陽子は主として陽電子と中性パイ中間子とに崩壊し,その寿命は約1030年(ちなみに宇宙の年齢は1010年の桁)ということで,これなら1030個の陽子(1,000トン程度の物質)を何年か観測すれば陽子の崩壊が見つかる可能性がある.そこで幾つかの陽子崩壊実験が計画されましたが,これらは大きく分けて鉄板を重ねたものと水を用いるものとに分類できます.1979年の暮,当時高エネルギー物理学研究所の物理研究部主幹をしていた菅原寛孝氏(現所長)から陽子崩壊実験を考えて欲しいとの電話があった時,すぐ頭に浮かんだのは,地下深くに多量の水を蓄えてそれを常時四方八方から観測しつづけることでした.これは1960年に似たような実験を考えたことがあるし,多量の物質中の何処で起きた事象でも, また,どんな方向に粒子が飛び出しても一様に観察できるのは,透明度の良い水に如くものはないからですし,更に水自体が安価なばかりか,検出器も表面だけに配置すればいいのですから,極めて経済的な実験が設計できます.米国でも同様な結論に到達した人達がIMB (Irvine-Michigan-Brookhaven) という総量7,000トンの水を使う実験を計画していることが伝わってきました.はしなくも水を使う陽子崩壊実験の競演となったわけです.もしSU(5)理論が正しいとすれば,崩壊二次粒子の陽電子と中性パイ中間子-すぐ二つのガンマ線に崩壊-はそれぞれ陽子質量の約半分のエネルギーを持って反対方向に飛び出し,水中で電磁カスケードを起こして,それぞれが高速陰陽電子の束を作るはずです.これら陰陽電子の速度は水中の光の速度より大きいので,光の衝撃波とも言うべきCherenkov光を進行方向に一定の角度で円錐状に放出しますから,問題はこの光を検出することです.ここまではIMBもKAMIOKANDEも同じ考え方なのですが,SU(5)理論をどのくらい信ずるかによってやり方が異なってきます.上記の現象だけを狙うならバックグラウンドも問題にはならないので,深度も程々の所にできるだけ大量の水を蓄え,光の量も相当にありますから市販の5インチ径の光電増倍管を用いて,周りからそれを眺め続ければよいことになります.IMBがとったのはこの道です.一方,大統一理論は信じても必ずしもSU(5)であるかはわからないとする立場では,上の崩壊様式だけでなく,他の幾つかの崩壊様式に壊れてもそれぞれをきちんと同定して,それによりどのタイプの大統一理論が真実に近いかの手がかりを得ようとする訳ですから,更にずっと微弱な光信号を正確に捕まえなくてはなりません.また,バックグラウンドとの戦いもずっと厳しいものになります.KAMIOKANDEが採択したのはこの路線でしたから,検出器をより深い地下に設置するだけでなく,光の検出効率を大幅に改善するために新たに径20インチの光電増倍管を開発しました.この結果,岐阜県神岡鉱山の地下1,000メートルに設置したKAMIOKANDEはIMBに較べて水の総量こそ7,000対3,000トンと劣りますが,光の検出効率は16倍も良く,バックグラウンドも遥かに少ない実験になりました.1983年の夏からデータを採り始めましたが,直ぐ気がついたことは12 MeVの電子まで綺麗に観測できていることです.太陽芯部の核融合反応でできる8Bのベータ崩壊に由来するニュートリノのエネルギーは14 MeVまで延びているはずですから,もう少し頑張れば太陽ニュートリノが水中の電子を弾いたのを観測できるでしょう.しかしこのためには,周りの岩石中の放射性元素や空気中のラドンの崩壊からのバックグラウンドを減らすために全体を遮蔽層で覆わなくてはなりませんし,また,そのような比較的低エネルギーの電子の発生位置と方向を精度良く測定するためには,個々の光電増倍管に光の到着時刻を記録する回路を備えねばなりません.この夢を追うような実験を英断をもって実施させてくれた文部省でも,実験開始後半年も経たずに新しい可能性が見えるからもう1億円程出してくださいと言ったら,門前払いを食うのは目に見えています.そこで1984年1月米国での陽子崩壊の国際学会の折に,陽子崩壊に関する中間結果を報告しただけでなく,KAMIOKANDEで太陽ニュートリノの電子散乱による検出の可能性があるから,時間測定回路を持ち込む共同研究者を求めるということと,さらには次なる本格的実験として,水容量が5万トンのSuper-KAMIOKANDEを国際共同実験としてやろうではないかという提案をしたところ,ペンシルヴァニア大学のMann教授がただちに共同研究者として名乗りを挙げてきました.そこで遮蔽層を造るために,できたばかりの底面光電増倍管層を1メートル程嵩上げしてその下にも光電増倍管層をつくり,貯水槽の外側にも岩壁との間に水をはり,ここにも光電増倍管層を設置しましたし,上面にも約1メートルの深さの層を追加しました.純水装置も強化し,ペン大の時間測定回路も取り付け,総ての調整が終わったのは1986年も終わる時でした.改装したKAMIOKANDE-IIの断面図を図1に示します.1987年初頭からデータを採り始めたところ,予期以上の性能でバックグラウンドを7.5 MeV以下に抑えられることがはっきりしたので,本格的に太陽ニュートリノの実験を開始しました.すると三月も経たないうちに一つの事件が発生しました.

図1

 図1 KAMIOKANDEの断面図


2. 大Magellan星雲内で超新星SN1987Aが爆発

太陽質量の8倍以上の巨大な星は晩年になると核融合の暴走をおこしたり(I型超新星),もっと大きな星では核融合の最終生成物である鉄が溜まりすぎるとそれが自分の重力を支えきれず重力崩壊して中性子星になる(II型超新星),と考えられています.特に後者の場合は,1053エルグ台のエネルギーを10秒位の間に総ての種類のニュートリノと反ニュートリノとして放出するはずだというのですから,全世界の地下実験屋が色めき立ったのも当然です.特に反電子ニュートリノは陽子と反応してほぼ同じエネルギーの陽電子に変わり,その断面積が電子衝突のそれよりずっと大きいし,また平均エネルギーも太陽ニュートリノの数倍以上が期待されますから,自由陽子を沢山含んだ検出器には格好の獲物といえます.ですからKAMIOKANDEの最初の概算要求文書にも,もし銀河内あるいはその近傍で第二種の超新星爆発が起きれば,その放出ニュートリノ信号を観測できる可能性があることを指摘してあります.SN1987Aの発見が公表されたのは国際天文学連合サーキュラー(IAUC)の2月24日号ですが,我々が天文学の友人からニュースを知らされたのは翌25日で,直ちに神岡実験所の当番に電話してデータテープをトラック便で送らせました.これが東大に着いたのが27日で,直ぐ解析を始め次の日,28日には図2に示す紛れもないニュートリノ信号を掴まえました.ところがファクスで入ったIAUC2月28日号に,イタリア-ソ連邦グループがMont Blanc山中で実施している実験LSDが,SN1987Aの反電子ニュートリノ信号を23日世界時2時52分36.8秒から43.8秒の間に5個掴まえた,という発表がでました.この信号時間は,我々の7時35分35.00秒から47.44秒の間に12個という信号と4時間半以上の違いがあります.これは相当な論戦になりそうだと考えて直ちに全員に箝口令をしき,論文の投稿前にあらゆる可能性をチェックすることにしました.先ず第一はニュートリノ放出が二度起きたのかという点です.LSDは90トンの液体シンチレーターですから,その中の自由陽子の数と陽電子の検出効率から算定して,もしその5個の事象が本当にSN1987Aからの反電子ニュートリノ信号だとすると,KAMIOKANDEの有効質量2,140トンの中には同時刻に7.5 MeV以上の事象が20個以上なくてはなりません.しかし,我々のデータには1個もでていません.そうなると,今度はどちらの信号が本物なのかという争いになります.我々は考え得るあらゆるバックグラウンドの可能性を潰した上で3月5日に論文を投稿しました.どちらが本物かという論戦は,我々の論文の直後に掲載されたIMBの論文が,LSDの信号時刻を探したが何もない,KAMIOKANDEの信号時刻を探したら8個の事象が見つかったと報告しているので,事実上の決着が着きました.さらにソ連の330トン液体シンチレーター地下実験が,KAMIOKANDEの信号時刻の近傍に5個の事象を遅れて報告しました.人類が目視できた超新星はKepler以後400年近く経ってのことですし,当時の天文学者の常識に反して青色巨星がII型超新星爆発を起こし,しかもKAMIOKANDE及びそれを追認したIMBによれば爆発エネルギーは約3×1053エルグ,ニュートリノ放射は有効温度約4 MeVで約10秒間継続と,重力崩壊によるII型超新星爆発に関する理論の基本的な諸点が検証されたので,大きな反響を呼びました.

図2

 図2 KAMIOKANDEが掴まえた超新星ニュートリノ.

図3

 図3 太陽電子ニュートリノの予想エネルギー分布.

図4

 図4 種々のバックグラウンドの除去


3. 太陽ニュートリノの観測

主系列にある恒星のエネルギー源は,陽子4個をHe4に 核融合することだと考えられています.この時,弱相互作用によって陽子を2個中性子に変換せねばならず,その結果陽電子と電子ニュートリノがそれぞれ2個放出されます.エネルギー分布は核融合がどんな経路を通るかによって異なりますが, 太陽理論に基づいた予想を図3に示します.図にあるように,KAMIOKANDEが電子ニュートリノを電子との散乱によって検出できるのは数MeV以上のものだけです.現在これ以下のものは <37Cl や 71Ga を用いた放射化学的検出に頼らざるを得ません.極めて小さい反応断面積のため,KAMIOKANDEの有効水質量1,000トンでも三日に1事象位しか期待できないのですから,バックグラウンドとの戦いは熾烈なものになります.さらには何年にもわたる観測を通じて測定系のゲインの安定とエネルギー値の更正も忘れてはなりません.詳しいことはここでは述べませんが,図4にバックグラウンドの除去の努力を,そして図5には,太陽電子ニュートリノとの電子散乱事象の方向性を利用した更なるバックグラウンドの除去を示しています.こうして得られた結果は図6にあります.すぐ見てとれるのは,太陽理論から期待されるスペクトルに較べて,一様に半分位しかないことです.太陽理論をいじってみても期待値をこんなに減らすことは無理です.37Clの結果が出てから言われていたことですが,ニュートリノの質量がゼロではなくて有限ならば,質量固有状態が3個あって,それらは一般に弱相互作用の3個の固有状態とは一致していないでしょう.太陽内部で弱相互作用によって電子ニュートリノ固有状態に創られたニュートリノは,3個の質量固有状態の一定の重ね合わせ状態にあるといえます.ところが同じ運動量状態でも三つの項は異なる質量をもちますから,異なるエネルギーで従って異なる固有振動数を持ちます.そこで時間が経つにつれ重ね合わせの比重が変わり, 当初は電子ニュートリノ純粋状態だったものが,他の(ミューニュートリノやタウニュートリノ)成分が増えてきて,その分電子ニュートリノ成分が減ります.この説明が出て暫くしてもっと変換効率の良い可能性が指摘されました.それは, 太陽内部のような電子密度の大きい所では,電子ニュートリノは電子との相互作用によって真空中とは異なる有効質量を持つことによるもので,提唱者達の頭文字を採ってMSW方式と呼ばれています.この場合も変換の効率は2種類の固有状態間の混合角と質量の2乗差によって決まります.KAMIOKANDE37Clの他,最近発表された低エネルギー太陽電子ニュートリノに関する71Gaの結果をも含めてのMSW解析結果を,図7に示します.

図5

 図5 太陽電子ニュートリノ事象の方向性.

図6

 図6 太陽電子ニュートリノの観測結果.


4. 地球大気中で創られたニュートリノ

弱相互作用で創られたニュートリノが他の種類のニュートリノに変わってしまうらしい現象が,もう一つ見つかりました.宇宙線は地球大気に入ると核衝突によってパイ中間子等を創り,荷電パイ中間子は荷電ミューオンとミューオン族ニュートリノとに崩壊し,荷電ミューオンが更に崩壊すると電子(陽または陰)と電子族ニュートリノと,ミューオン族ニュートリノとに崩壊します.ですから,ミューオン族ニュートリノと電子族ニュートリノとの数の比は2対1から大きくずれるはずはあり得ません.KAMIOKANDEでは水中の酸素の原子核との衝突でミューオン族ニュートリノはミューオンを,そして電子族ニュートリノは陽または陰の電子を創ります.ミューオンであるか電子であるかは,創るCherenkov光の散らばりを定量すれば判定できますから,ミューオン族ニュートリノと電子族ニュートリノの数の比がわかるわけで,結果は約1対1と出ました.この結果の解析結果も図7に示してあります.IMBもこの結果を追認しています.このようにニュートリノ関連の結果を幾つか発表したので,神岡NDEのNDEを Neutrino Detection Experiment と理解する人も多くなっています.

図7

 図7 太陽電子ニュートリノの MSW 解析結果


5. 陽子崩壊その他について

当初の主目的であった陽子崩壊は10年以上観測を続けても事例がみつからず,SU(5)理論は否定されました.最近,高エネルギー電子-陽電子衝突のLEP実験での精密実験のデータから,Fermi粒子とBose粒子との対称性SUSYを取り入れたSUSY-SU(5)理論が,衝突エネルギー3×1016 GeVで強,弱,電磁の3相互作用の強さを等しくすることがわかり,大統一理論の有力候補と考える人が多くなっています.陽子崩壊以外にも,磁気単極子や宇宙の暗黒物質の有力候補と考えられていたSUSY粒子ニュートラリーノも探索しましたが,これまでのところ結果は否定的です.


6. これからのこと

不遜と思われる方もあるとは存じますが,ここで不惑の年に免じて私見を述べさせて戴きます.

1) 太陽ニュートリノと大気ニュートリノの問題は,現在建設中のSuper-KAMIOKANDE(神岡で5万トン)とSNO(カナダで重水1,000トン)とによって今世紀中に飛躍的な精密化が達成されるでしょう.しかしこれらは,或る種類のニュートリノが見えるべき量ほど見えてないという実験結果で,これだけでニュートリノの種類間振動を結論するわけにはいきません.初めはなかった種類のニュートリノが確かに現れていることを実験で示すことが緊要です.

2) ニュートリノ質量の小さい理由を自然に説明するsee-saw理論と図7の結果とを私流に組み合わせると;各世代に重い右巻きニュートリノが存在し,その質量は対応する軽粒子の質量の約4×1010であって,おおよそ電子ニュートリノ質量は2×10−5 eV,ミューニュートリノ質量は4×10−3 eV,タウニュートリノ質量は7×10−2 eVと結論されます.これを地上で検証するには,加速器からの4 GeV以上のエネルギーを持ったミューニュートリノのビームを数百キロメートル位飛ばした所でタウニュートリノが現れていることを,巨大検出器でタウが実際に創られるのを示す必要があります.準備期間を考えると今世紀中には無理かもしれないが,私としてはKEKの陽子エネルギーをせめて35 GeVまで増強して,できた高エネルギーのミューニュートリノのビームを神岡に向けて射出し,Super-KAMIOKANDEで創られたタウを検出して欲しいと願って止みません.外国では米国のFermi加速器研究所でもヨーロッパのCERNでも,既にこの種の実験の具体的検討に入っています.

3) 宇宙に満ち満ちしていると信じられている1.9Kの背景ニュートリノの研究は,ニュートリノ天体物理学の最重要問題ですが,これをフォーカスする可能性が見えてきたので,もし検出器自体が最近の目覚ましい技術革新によって近い将来に可能になれば,宇宙の理解は大きく進歩することでしょう.あるいは今世紀中に見通しくらいはつくかもしれません.


7. 最後にあたって

与えられた紙数も尽きかけてきました.もう少し詳しい話をという方がありましたら,拙著 “Observational Neutrino Astrophysics " , Phys.Rep. 220 No.5 & 6 (1992) 229〜402 を御参照ください.

KAMIOKANDEを実現,さらにはSuper-KAMIOKANDEの建設に達するのに実に多くの方々のお世話になりました.いちいちお名前を挙げませんが,文部省及び東京大学の関連部局の方々の力強い御後援には我々一同深く感謝しております.また現地の神岡鉱山及び神岡町の皆さんの暖かい協力がなければ現在の状況はあり得なかったと痛感しております.また忘れてはならないのは,20インチ径の光電増倍管の開発に踏み切って下さった浜松ホトニクス社長晝馬輝夫氏の英断です.このお陰でKAMIOKANDEの成果の基礎ができたのですから.