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周辺からみた物理

科学者社会への三つの注文

牧野賢治

〈東京理科大学 162東京都新宿区神楽坂1-3 e-mail: makino@rs.kagu.sut.ac.jp〉

30年間新聞記者をやって,ことし大学教員6年目になる.ジャーナリズムの世界と,アカデミズムの世界を多少知りえた立場から,物理学者の世界に注文したい.この注文先は物理学者に限るわけではない.日本の科学者,科学者社会への希望でもある.

注文は,あれこれたくさんあるが,この際,三つに限定しよう.

◆その1. 長年,科学記者をやっていたが,物理学系の学会や学者からの報道機関,ジャーナリストへの広報活動は微々としたものだったように思う.医学や生物学,化学系の学会の活動に比べると,かなり落差があった.物理学の世界で,いま何が起こり,何が問題で,それがどう市民にかかわっているのか.知的背景とともに社会的な意味について,物理学者とジャーナリストがもっと話し合える場があるといいと思う.学問の世界は細分化が進み,ジャーナリストがそれらをフォロ−することは,ほとんど限界を超えてしまっている.したがって,ジャーナリスト側のいっそうの努力は当然としても,科学者側からの働きかけも,やはり必要だ.それを受けて,市民との間を媒介するのがメディアの役割である.

方法はいろいろあるだろう.イギリスのロイヤル・ソサエティーが定期的に開いているような,テーマごとのレクチャーを開くのもいいし,必要とあらば記者会見もいいだろう.もっとてっとり早くというのであれば,刊行物,たとえば日本物理学会誌のような機関誌を報道機関に送るのがいい.いまはどうか知らないが,少し前までは,そうしたかたちでの情報提供はほとんどなかったと思う.そのための経費,手間などしれたものだ.

◆その2. ジャーナリスト,メディアを通じての情報提供はもちろん重要だが,物理学者自身,物理学会自体が直接に市民に語りかけることも大切だと思う.科学のイメージが昔のように単純明快ではなくなり,善であると同時に悪にもなりうる時代である.物理学者は,そして科学者は,もっと自らを大衆の前にさらけだして,物理について,科学について話をする機会をつくるべきだろう.科学者の本当の姿が見えにくいといわれる.研究することは評価されても,研究の結果を大衆に伝えることが仲間うちで正当に評価されないようでは困る.科学の結果だけでなく,その過程を伝えることの大切さはすでに各所で説かれている.「科学者は科学的知識を社会に広めるために時間を割かなければならない」(米国科学アカデミー編集『科学者をめざす君たちへ』)のである.

近年,日本の物理学者のなかにも,いわゆる啓蒙的な活動にも力を注ぐ人も現れている.そしてこれは,だれでもうまくできるわけでもないだろうが,才能のある人,熱心な人を支援していく意識や態勢があるとないとでは,その影響力はちがってくるだろう.

◆その3. 学問の世界が細分化されている弊害は,科学者がタコつぼに潜り込み,視野がせまくなってしまうことだろう.独りよがりになって,世界の大勢に遅れをとってしまう.それを脱する一つの試みは,学界横断的な仕組みの構築ではないか,と思う.そのために,人文・社会・自然科学をなべて含むフォーラムはつくれないものだろうか.そのフォーラムは共通の雑誌と年会をもち,さまざまな話題や問題を,その場で広く議論したらいいと思う.AAAS (American Association for the Advancement of Science)やBAAS (British Association for the Advancement of Science)のようなものを想定しているが,それに日本的なアレンジを加えたものが望ましいのだろう.学問の世界の極端な細分化を,この辺で可能なやり方で総合化しようというわけだ.

こういうことを人に話すと,それを立ち上げるエネルギ−をどこからひねりだすか,ということになって,その先へ進めない.しかし,賛否はともかく,たとえば,日本医学会は4年に一度の総会を維持している.マンモス化は時代逆行かもしれない.しかし,学問横断的な場が何らかのかたちで必要ではないか,と思っている.300年以上前の『フィロソフィカル・トランザクション』の21世紀日本版はできないものか.とりあえずは,日本物理学会あたりが呼びかけてはどうだろう.あるいは,賑やかな「科学の祭典」を催して,多様な科学者どうしが,あるいは市民との交流の輪を広げられないか.もちろん,実現にはそのための仕組みはいるが,当の科学者自身の意識,行動が変わっていかないとだめだろう.

大学の改革ひとつとっても,昔からのさまざまな規制や慣行が抜本的変革を困難にしている.科学者社会,あるいは物理学者の世界でも,同様な問題は多かろう.しかし,提案がなされ,議論が起こらないことには変化は生じない.物理学会がその先頭を切ることを望みたい.物理学はかつて,強大な帝国を誇ったのである.まだ,その力は十分にあると信じたい.