日 本 物 理 学 会

2005世界物理年によせて
巷に,もっと物理を


並 木 雅 俊 〈2005世界物理年委員会 高千穂大 e-mail: 〉]
[日本物理学会誌 Vol.60 No2(2005)掲載]


 本屋に出かけて、お気づきの方も多いことと思う。 これまであった 「物理」の棚がなくなり、「科学」の棚と変わり、さらにそれもなくなり、棚はコンピュータソフトのハウツー本に占領されてしまった。そんな書店が増えた。会誌の広告頁にあるような物理の本を購入するには、大型書店に出向くか、インターネット(本を手にとって選ぶ楽しみがないが)を用いなければならなくなった。科学書すべてを襲った時代の波であるが、相対的にも、絶対的にも物理本の被害は著しい。
物理本は、本屋に置いてもらえないのだから、本屋散策を趣味にもつ人たちの目にも手にも届かない。高校生の頃、本屋の物理の棚をみて、物理学者の名を知ったし、どんな分野があるのかも知った。そんな人は多いのではないだろうか。今の高校生・大学生には、こんな経験ができなくなった。これでは本好きも減ってしまうのではないだろうか。本屋のこんな状況もあって、物理本の出版数は減った。それに、新聞広告に物理本はほとんど姿を見せなくなり、出版広告からの物理の動向は伝わりにくくなった。物理は、もともと市民からの距離が遠い学問である。まるでハッブルの法則が適応できるかのように、遠いものはより速く市民社会から遠退いているようである。教育にも、社会との関係にも、学問の雄であることに胡坐あぐらをかいてきたツケが回って来たのであろうか。
ロールモデルという言葉を耳にしたことはないだろうか。将来像を描くときの見本となる人のことを意味する言葉として、昨今よく用いられている。子どもの頃のロールモデルは、親か伝記(最近は、アニメの主人公のこともあるようだ)で読んだ人になるかもしれない。中高生なら、スポーツ選手などTVや新聞を通じて知った人となるのだろうか。少し前は、湯川秀樹や朝永振一郎が、ロールモデルとなったのではなかろうか(円地文子は、二人を学問の世界の長島・王と語っていた。察すると、二人は科学を目指す人だけのロールモデルではなかったようだ)。
それに、雑誌の役割も大きかった。雑誌 『自然』(1984年5月号より休刊)は科学者の人となりを写真付で紹介し、ロゲルギスト「物理の散歩道」や朝永「スピンめぐる」 等の連載があって、 理科好きの若者を魅了した。研究記事の内容はほとんどわからなかった者にも、その魅力は十分に伝わった。高校生はそれで物理に進もうと思ったし、大学生はその人たちをロールモデルとした。『自然』 の復刊は絶望的となり、 理科好き高校生の愛読書であったブルーバックスは路線を変えた。
物理の世界では、子どもの頃のロールモデルの代表はアインシュタインであろう。アインシュタインには、通常の科学者とは違って、人となりを語りやすいところがある。そう言えば、彼の言葉の中に「誰にでも同じようにしか話のできない人間です」がある。どんな境遇にある人でも、その人が科学に興味を持っているなら、必ず手を差し伸べた。また若い研究者一人ひとりに対し、その言葉に耳を傾け、じっくりと話を聞いたという。アインシュタインは、これを楽しみの一つとした。プリンストンに住み始めた頃、数学の宿題に手を焼いていた少女が訪ねてくるたびに、宿題を手伝ってあげたという逸話は、こうしたアインシュタインの一面の顕れであろう。彼は、少女に対しても研究者と同じ目の高さで接したのだろう。一人で研究するタイプであり、対人交渉を好まない孤独の人という評もあるが、科学を伝える熱意は強かった。
このことは、83年前に日本を訪問したことを思うとよくわかる。彼がマルセーユを出航したのは、1922年(大正11年)年10月8日、神戸港に到着したのは11月17日である。何と41日間の旅、暑いインド洋を越えての訪日であり、滞在は43日間に及んだ。この間に、東京大学理学部で特別講演を6回(11/25、 27、 28、 29、 30、 12/1)、 一般講演を慶応大学 (11/19)、 神田青年会館 (11/24)、仙台公会堂 (12/3)、 名古屋・国技館(12/8)、 京都市公会堂 (12/10)、 大阪中央公会堂(12/11)、 神戸・基督教青年会館 (12/13)、 福岡市大博劇場 (12/24)、その間に早稲田大学学生歓迎会(11/29)、 東京高等工業専門学校歓迎会(12/2)、 東北大学教授学生連合歓迎会(12/3)、 京都大学学生歓迎会(12/14)に出席している。とても科学を広める情熱なくてはできないことであり、ハードなスケジュールであった(ロールモデルとなるのも楽ではない)。
会員のみなさんには、是非、機会あるごとに(なければ機会をつくって)科学を語っていただきたい。学会の大会の際に近くの学校を訪問してくることもお勧めである(2004年秋季大会の際、北原和夫・物研連委員長と青森市立浜館小学校に訪問させていただいた。そこの児童ばかりか、吉田秀一校長をはじめ多くの先生方と話し合いの機会がもてた。爽やかであった)。また出版界には難しい状況があるが、社会は平易な言葉で(限界も含めて)研究の成果を説明してくれることを願っていると思う。今年は、そんなことにチャレンジする年なのかもしれない。
本会が共催している世田谷土曜講座では会員による中学生への出前授業、『子供の科学』の連載も開始されている。また他の世界物理年の活動も本格的に始まる。本会独自の活動の他、昨年9月30日に発足した世界物理年日本委員会(www.wyp2005.jp  本号に報告記事あり)が学生・生徒、それに市民を誘うための様々な催しを計画している。
 
是非、積極的な参加とご協力をお願いいたします。
(2004年12月7日原稿受付)