社団法人 日本物理学会
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日 本 物 理 学 会

2005世界物理年によせて
世界物理年日本委員会
春のイベント
「物理・ひと・未来」




北 原 和 夫 〈2005世界物理年委員会委員, 世界物理年日本委員会委員長,
国際基督教大学〉
並 木 雅 俊 〈2005世界物理年委員会委員,世界物理年日本委員会副委員長,
高千穂大学 〉
[日本物理学会誌 Vol.60 No9(2005)掲載]


 世界物理年日本委員会(以下、日本委員会)は、「物理・ひと・未来」をテーマに春のイベントを行った。イベントは、I 部(4 月23日、丸の内マイプラザホール)とII部(4 月24日、日本教育会館)に分けられ実施された。
I部は、日本委員会会長・有馬朗人氏の主催者挨拶から始まった。世界物理年の意義、日本委員会発足の経緯、それに今回のテーマのねらいを話した。日本学士院院長・長倉三郎氏、日本学術会議会長の黒川清氏の挨拶後、1990年度ノーベル物理学賞受賞のジェローム・フリードマン氏「物理学の未来のテーマ」、同賞1997年度受賞のスティーブン・チュー氏「物理学は生命について何が言えるか」、それに同賞1957年度受賞の揚振寧氏「アインシュタインの目で見る21世紀の科学」による記念講演が午前中に行われた。いずれも物理学の魅力を堪能させてくれた。特に、プリンストン高等研究所に所属していた揚氏の講演は、晩年のアインシュタインの想い出を含め、また相対性理論が、それまでのローレンツの仕事と比較して、物理学の中に「対称性」という考え方を明確に導入したことが画期的であったとの語りもあって、出席者に強い印象を残した。
午後のセッションは、「自然の美から考える21世紀の科学」と題して行われた。 平山郁夫画伯は、 「生存と美」と題した基調講演で、被爆体験と創作活動を語った。平山氏は、学徒動員兵時に、原爆投下を目の当たりにした。修道中学では200名ほどが即死であったという。あまりの衝撃に、34年間、故郷を描くことができなかった。生存と美が、出席者の心に強く伝わり、深く刻まれた。次の基調講演は、碧く輝くモルフォ蝶をナノテクで再現した木下修一氏の「モルフォブルーの美を科学する」である。モルフォの構造色は、規則正しい棚構造が多層膜干渉を起こしていることを、綺麗な映像を用いて語った。美を追求する基礎科学の夢を多くが感じとった。木下氏は、ブルーは解明したが、縁の黒はまだわからない、という。
後半は、パネルトーク「科学と藝術と出会い-虹の彼方へ-」で締め括った。モデレーターは村上陽一郎氏、パネリストは小平桂一氏 (天文学)、 田渕俊夫氏 (文化財保存学)、 永山国昭氏(生物物理)、野本陽代氏(サイエンスライター)、 船曳鴻紅氏 (デザイン会社経営)であった。科学と藝術の結びつきをテーマの一つとしている永山氏が、西洋伝統の科学と芸術を再解体してみたいと、と口火を切った。デザインは社会と科学技術を結びつける力を持っていると語る船曳氏、そして科学と市民との乖離に悩む小平氏、芸術と科学の心をつなぐヒントを与えてくれた田渕氏。村上氏は、これら多分野の方々の意見をうまく引き出した。出席者には、「科学と芸術との結びつきはわかったが、大づかみであって、物理が、科学がどこに向かおうとしているのか、まだわからない」という感想を持たれた方がいたが、少なくとも問題提起にはなったのではないか。参加者は280名ほどであった。
II部の対象は、 大学初年級と高校生である。午前は全体講演「青少年とともに語る科学と未来」である。全体講演は、1980年度ノーベル医学・生理学賞受賞者の T。 N。 ヴィーゼル氏、 I 部でも講演したフリードマン氏、それに有馬氏である。これら3名が、若い学生・生徒に向かって、どうしてこの分野に進んだのか、何が楽しいのかなどの夢を、自らの体験をもとに語った。司会進行は、日本物理学会会長の和達三樹氏であった。フリードマン氏が「物理にはいろいろな分野があるから、選択肢はたくさんありますよ」と話した後、大学生から「今後、物理のどの分野が有望でしょうか」という質問があった。有馬氏が「自分が歩む道を、人の意見に頼ろうとせず、自分の意見をまず述べなさい」と注意を促した。会場によき緊張の糸が張った。参加は350名ほどであった。
午後は、ノーベル・セミナーである。楊氏、ヴィーゼル氏、それにフリードマン氏が、それぞれ30名ほどの学生・生徒とのゼミを行った。言葉の問題もあるので、各部屋にはモデレーターが就いた。楊・ゼミは出口哲生氏(お茶の水女子大)、ヴィーゼル・ゼミは村越隆之氏 (東京大)、 それにフリードマン・ゼミは田中礼三郎氏(岡山大)が担当した。
北原は、ヴィーゼル氏のゼミに参加した。少し助けるだけで、高校生たちが話を理解して、次々と質問をしていくようになった。特に、ヴィーゼル氏が若い人々に自由な環境を提供しつつも、自らも常に現役として研究に勤しむ気迫に、高校生たちは本当の科学者とは何か、強く印象づけられたと思う。並木は、和達氏と共に、楊氏のゼミに参加した。参加者は50名ほどいた。楊氏が、幼少の頃、数学者の父に数学を鍛えられた話をし、 黒板に 「鶏兎同籠」 と書き、これがなかなか難しかったと話していた。 和達氏は直ぐに 「鶴亀算」だと気がついた。なるほど。これで場が和らいだのか、学生はいろいろと質問をしていた。よき刺激を受けたと思う。
また、「科学と技術、地球環境と人類未来のための東京宣言」を作成し、国内外に発信した。((http://www.wyp2005.jp/jp/tsengen/syomei.asp、 大学の物理教育11 (2005) 99)
(2005年7月8日原稿受付)




 
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