日 本 物 理 学 会

2005世界物理年によせて
--「物理チャレンジ2005」を成功させよう--

北 原 和 夫 [ 2005世界物理年委員会委員 国際基督大 e-mail: ]
並 木 雅 俊 [ 2005世界物理年委員会委員 高千穂大 e-mail: ]
[日本物理学会誌 Vol.59 No.10(2004)掲載]


世界物理年2005年の夏に、高校生を対象とした全国物理コンテスト「物理チャレンジ2005」 の実施することが決まった。開催地は、日本に現代物理学の苗を植えた仁科芳雄のゆかりの地、岡山である。仁科は、県西にある里庄村(現在は町)に生れ、東京帝国大学工科大学電気工学科入学前までこの地で学んだ。1) この影響もあって、県内の高校の先生方による「岡山物理を語る会」の活動が盛んな地域である。それに里庄町で「仁科芳雄博士生誕日記念科学講演会」が行われている。2) 最初の全国物理コンテストとして、ふさわしい地ではなかろうか。

以下、実施に至る経過を報告する。

日本物理学会(本会)は、以前からInternational Physics Olympiad (IPhO) 参加の可能性について議論をしてきた。理事会のもとにつくられた物理オリンピック・ワーキンググループは、物理3学会が連携してIPhO参加に向けて検討することを2002年9月に答申して解散した。そこで本会から応用物理学会と日本物理教育学会に呼びかけ、2002年12月に物理オリンピック準備会が各学会から推薦された委員によって発足した。これは、IPhO参加を前提とせずに、その可能性について検討するという趣旨に鑑み、「物理オリンピック検討会」と改称して、検討を続けた。2005年は世界物理年である。この年に、全国規模のコンテストの開催を企画することは意味があるとの認識から、まずは、教育現場でどれほどのニーズがあるかを調べるために、2003年8月に「全国物理コンテストについてのアンケート」を実施した。全国規模で 1,077 の高校に送付し、 141 校より回答を得た。IPhOそのものの認知度は高くはないが、コンテスト参加希望は7割ほどあり、それに実施を切望する声は強かった。国際的な舞台を生徒が経験することへの期待は大きいことが分かった。この結果を踏まえて、2003年12月、世界物理年の一つの行事として「物理コンテスト」を開催することを各学会に提案することとした。

各学会の検討結果を踏まえて、2004年4月開催の物理オリンピック検討会では、コンテストを実施する組織をつくり、それを各学会が支援するという形で進めることが概ね了承された。組織としては、実行委員会を結成し、学会からアドバイザリーコミッティーとして連絡委員を出す。委員長には北原が選出された。委員長を中心として予算面の検討、実行委員会結成を5月末までに行うこととした。

その後、5月に開催された日本学術会議物理学研究連絡委員会(物研連)において、岡山光量子科学研究所に集まる「岡山物理を語る会」が岡山県物理コンテストの開催を検討していることを所長の二宮正夫物研連委員から伝えられ、物理3学会と共同主催の可能性を探ることとなった。6月初旬に北原と並木が岡山市を訪れ、県および研究所の関係者と会い、また会場の可能性についての調査も行った。

6月中旬に物理オリンピック検討会と物理コンテスト実行委員会の合同会議を開催し、検討委員会は解散し、組織委員会の大枠と準備計画を立案した。以後、「物理チャレンジ2005組織委員会」が実施の役割を担うことになった。

物理チャレンジ2005は、世界物理年を記念するコンテストではあるが、IPhOのあり方は大いに参考となる。本年のIPhOは、韓国・浦項で7月15日から23日に開催された。3) かねてから本会には、韓国物理学会から強い参加要請があった(本年3月の年次大会(九州大学)総合講演での韓国物理学会長Chung-Nam WhangがIPhO2004の開催について話されたので記憶に新しいのではなかろうか)。日本はまだ参加の意思表示をしていないが、本年は日本科学技術振興機構【正しい名称は「科学技術振興機構」】 (JST) の財政的支援を得て、6名のオブザーバーを派遣することができたので、そこで見聞したことについて触れたい。IPhOは物理を得意とする高校生をさらに成長させる国際的催しであるだけでなく、さらに、引率者(リーダー)として参加する物理教育関係者にとっても国際的な場で物理教育のあり方を経験する貴重な機会である。

IPhOは、1967年にポーランド・ワルシャワで東欧数カ国の参加から始まり、徐々に開催国を増やし、今回の韓国大会は第35回で、参加は73カ国となった。 開会式でMoo-hyun Roh大統領は演説の中で‘Physics is the center of science'と述べ、Z. G. Khim組織委員長は、‘…especially welcomed participants from France, Greece, Hong Kong, Japan, and Sri Lanka, who marked their first joining of the Olympiad'と話した。選手不在のオブザーバーである日本とスリランカに対する心配りも感じた。IPhO-2004がどのように運営されているかをとしてつぶさに見ることができ、選手(contestant: 日本の高校生にほぼ対応する)が自らの力を知った上でのさらなる成長のためにも、国際性を高めるためにも、有益であることを再確認した。さらに、リーダー同士の国際的交流によって物理教育が質的に改善されていく可能性も確認でき、主催する韓国の大学、教育機関、産業界、政府などの国を挙げての協力の様子を見て、物理学を多くの方々に知っていただくための大きな機会となると確信した。

物理チャレンジ2005が新鮮な空気を我が国の物理学の世界に注いでくれることを期待する。また、会員のみなさんのご協力を切に願う。

1) 仁科は、1890年(明治23年)12月6日、岡山県浅口郡里庄村浜中の旧代官屋敷で生れた。屋敷名は、 祖父・存本が麻田藩の代官であったときに用いたことによる。 存本の人柄もあり「元屋敷」として地元に親しまれた。父は存正、 母は津禰であり、 姉4人、 兄3人、 弟1人がいた。新庄尋常小学校、生石高等小学校、 岡山中学校、 第六高等学校と進み、 東京帝国大学工科大学電気工学科に入学する24歳まで岡山の地で学んだ。
2) 「仁科芳雄博士生誕日記念科学講演会」等の里庄町仁科芳雄顕彰事業の活動は、 第10回講演会をまとめた、吉田武 『中学生が演じた素粒子論の世界』(東海大学出版会、 2003)を参考にしていただきたい。
3) コラム「大成功だった韓国物理オリンピック」を参照のこと。
(2004年8月2日原稿受付)

コンテスト名物理チャレンジ2005
共同主催岡山光量子科学研究所、日本物理学会、応用物理学会、日本物理教育学会
開催場所岡山県青少年教育センター閑谷学校および岡山県生涯学習センター
開催日2005年8月12日(金)〜15日(月)
参加募集人数約100人(書類選考)
プログラム概要1日目午後に現地集合、 開会式。 2日目は、 コンテスト(理論部門)と講話、3日目は、コンテスト(実験部門)と講話*、それにエクスカーション、そして4日目に表彰式、記念講演会(市民へ公開)、閉会式。
* 青少年教育センター閑谷学校には、特別史跡「閑谷学校」が隣接している。「閑谷学校」は、1666年備前藩主池田光政により建設された庶民のための学問所であった。この学校は、我が国最初の公立の庶民のための学校であり、現存する日本最古の学校建築物である。現在、講堂は国宝・重要文化財となっている。講話は、この講堂を使わせていただき、著名な学者たちとの対話を中心とする。

 

大成功だった韓国・国際物理オリンピック

第35回国際物理オリンピック(35th International Physics Olympiad, IPhO-2004)が、本年7月15日から23日、韓国・浦項で開催された。

参加は、73カ国(オブザーバーのみ参加2カ国含む)、332名の選手、133名のリーダー、それに70名のオブザーバー/ビジターであった。日本からは、北原(団長)、並木、毛塚博史(応用物理学会)、大山光晴(物理教育学会)、影森徹 (物理教育学会)、 それに前田義幸 (JST) がオブザーバーとして参加した。

参加国(オブザーバー以外)は選手5名とリーダー2名を派遣する(派遣人数の上限(開催国も同様)なので、これ以下の国も少なからずあった)。リーダーは、大学教員と高校教諭のペアが多かった。ビジターは選手の父母というより、リーダーの家族が多く、リーダーは仕事、家族はバカンスを楽しんだようだ。リーダーらは選手と隔離され (日程表も別)、 選手が滞在する浦項理工科大学から45 kmほど離れた慶州ヒルトン内に閉じこもり、問題作成・配点・運営等の長時間の会議、問題翻訳等の仕事に従事した。出題される試験問題の議論は5時間(選手の試験時間と同じ)予定され、実際にそれ以上を必要とした。各国のリーダーはこの議論の後に翻訳作業をするので、その晩は徹夜である(これが主な理由で開催期間が1日延びることとなった)。一睡もできなかったというリーダーも多くいた。

試験は、理論部門が3日目の8 時30分〜13時30分、実験部門はグループを2つに分けて5日目の8時〜13時と14時30分〜17時30分に行われた。理論問題3題、実験問題3題であった(理論30点+実験20点の50点満点)。いずれも難問で、我が国の生徒がどのくらいできるのか少し不安になった。今回の最高得点者はベラルーシからのMikhalychev 選手で 47.7 点であった。 開催国・韓国の印象を高め、韓国物理学会の情熱を世界に示した。 来年は、スペイン・サラマンカである。すでにポスターも選手等関係者に渡すバッグ等はできている。 Chairwoman の Angela Calvo(サラマンカ大学教授)は、多くの資金と努力が必要だが、是非、成功させたいと(日本からも必ず来て下さいとも)話してくれた。 (並木雅俊)