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巻 頭 言
 

創立50周年に想う

江沢 洋

〈会長〉

本年,われわれの学会は創立50周年を迎える.前身の日本数学物理学会が1945年12月15日の総会をもって解散し,1)翌年の4月28日に日本物理学会の創立総会が開かれたのである.2)1945年8月15日に第2次世界大戦が終結,その戦争で失われた学会の機能を‘速やかに復活し,より以上に活発ならしむるための措置’であった.3)

解散理由書4)はいう.‘二学科の合同性は我が国に於ける学術研究者の数の少なかりし時代に於いて止むを得ず採用されたるものにして,学術の隆興と共に研究者の数また著しく増加したる今日に於いては其の要なきのみならず,却って両学関係者の自由なる活動を制約する場合なしとせず.’因みに,解散のとき数物学会の会員数は2,580(内,物理学を専門とする者1,812)であった.創立時の物理学会の会員は1,253である.5)

さかのぼれば,この会は1877年に会員117名をもって創立された東京数学会社6)に始まる.その名を1884年に東京数学物理学会に改め,1918年に日本数学物理学会とした.このとき会員は439名となっていた.東京数学会社は‘公衆一般[ノ]数学の開進ヲ’目的としたが,東京数学物理学会にいたって‘主旨ハ同士相会シテ数学及ビ物理学(星学ヲ含有ス)ヲ攻究シ其[ノ]進歩ヲ図ルニ在リ’とし,一般社会への普及は目的としなくなったかに見える.7)むしろ,研究活動が形をなしてきたということであろう.物理を加えるについては,数学との密接な関係も指摘されている.8)

日本物理学会は,物理学の進歩を図ることを殊更に目的として掲げることはしなかった.この点,この会の定款はユニークであって,目的には‘物理学とその応用に関して,(1)会員の研究報告を内外に発表すること,(2)会員の一様に得られる研究上の便宜を図ること’を掲げたのみである.そればかりか,会の審議・決定機関は(限られた総会事項を別として)委員会議であり,委員は‘全会員から候補を募集し,相互の適任投票に合格した者を候補者として全会員に示し1/10以上におよぶ異議申立のなかった者’とした.これらは,会員数が19,000に近づいた今日まで本質的には変わっていない.会の運営は自らの意志で立った者(volunteer)によらねばならぬ,というのである.始め委員長も委員の互選できめる,としていたが,今日では,委員の互選による3候補を示し,しかし‘誰に投票してもよいことにして全会員による選挙で次期の副会長(1年つとめて会長となる)をきめる’ように変わっている.委員の数は,創立のとき53で全会員数の1/24,今期は128で全会員数の1/148になっている.

創立時の定款,ことにvolunteerの委員を重視する考えは,数物学会の解散を唱え物理学会創立の原動力となった清水武雄東大教授(当時)の主張にもとづく.9-11)先生は完全を尊び,几帳面な性格に加えて自由を尊び,ボス支配12)や政府の干渉はよくないとして,物理学会をサロン的なものにしたいとされた.13)これには反論13)もあった由だが,共鳴する者9,10)もあり,先生の熱意が通った.この会の特質は創立宣言がないところにも現われている.

その背景には科学研究を善しとし強く期待する風潮があったから,宣言を必要としなかったとも見られるが,文化国家の建設と経済復興への寄与という世の熱い期待とサロンの折り合いをどうつけていたかは,いま明らかではない.研究を個人の営みとしたか,物理学者の全国的組織は一つでなくともよいと考えたか.たとえば,1946年4月29日,第1回年会の際には「全国大学及び研究所職員組合連合結成準備会物理学関係者集会」が開かれている.14)

しかし,学会はサロンではあり得なかった.物理学界を代表するよう求められたからである.すでに,会誌の第1巻に学術体制刷新委員会委員・第一次選定人146名が示されているが,これは学術体制の刷新に占領軍の命令があり,文部省の肝煎りでつくられた学術研究体制世話人会15)の年会における説明にもとづいて決定された.16)翌1947年の7月17日,臨時委員会議は‘米国学術顧問団に提出すべき我が国学術体制に関する意見書作成’について議し,人事に於ける封建性の打破を含む3原則を委員会有志の意見として提出することをきめている.やがて刷新委員会の報告から学術会議が生まれ,その会員の選挙にも学会は関わる.17)

その後も,科学研究費分科審議会委員候補,物研連委員候補18)や各種の学術奨励金,賞など推薦に関わる必要が増し,推薦の可否とその方法が繰り返し論議されて,19)1948年‘徹底的に検討するため制度検討小委(小谷正雄小委員長)’が設けられた.20)検討は小谷正雄,久保亮五,小林稔各委員長のときにくりかえされるが,21)1969年に委員長を‘会員の全体により選挙される会長’に改め,22)次いで次期の副会長を選挙し次々期の会長とすることにした(前述)23)ほか,とくに委員をvolunteerとする基調は今日もなお変わっていない.

この間,1954年4月に国会で最初の原子力予算が成立したのを受けて学術会議は第17回総会(1954年)で「核兵器研究の拒否と原子力研究の3原則(公開・民主・自主)」を声明,1958年には核特委が加速器を含む原子核研究将来計画を発表,24)他方で日経連の教育部会は大学教育の画一性打破(1952),法文系偏重の打破(1954),新時代の要請に対応する技術教育に対する意見(1956)等を次々に唱えているが,物理学会に反応の跡はない.1951年に物理学教育委員会を設置したのは,25)新制大学への切り替え(1949)を追いかけたものか,物理教育学会の創立(1953)準備のためか.

坂田昌一先生の訪中(1956)による中国科学院からの招待を受けて,学会は日中物理学交流準備委員会をつくり26)第1回訪華物理学代表団(1957)を送ったが,27)物研連から学会の中に日中交流小委の設置を要望されたとき,28)特務委員会は‘交流の手伝いはできるが,委員会をおいて本会の名で基金を募集することには疑問がある,外に後援会をつくるのが適当ではないか’という意見が多かったと返答して了承を得ている.29)1963年にはホノルルで合同の学会をするというアメリカ物理学会の提案を受諾したが30)‘韓国,台湾,フィリッピンの物理学者を招ぶべきではないかという意見がある,日本がきめることだ’という申し入れを受け,‘公式招待には賛成できない.政治的な問題に関与してトラブルを引きおこすようなことはしないというのが物理学会の伝統的方針である’と答え了承を得ている.31)しかし,1966年には‘北京・物理学夏の学校’協賛の依頼を受け,‘学会は,あらゆる機会をとらえて従来交流のむずかしかったアジア,アフリカなどの研究者と学術的な交流を促進することの必要と意義を認め’応諾した.32)日中交流にもどるが,1967年,物理学会は1957年に受けた招待への答礼の意味もこめて中国物理学者を招き,5 名からなる代表団の滞日費用のため大口で300万円,研究者から小口で100万円を期待して募金委員会を設けた.33)この訪日は,いったん無期延期となり,34)1978年に実現した.35)その前年,日中科学技術交流協会が設立されている.36)

科研費について,文部省は1968年,学術審議会の答申により配分の審査を2段に改め,学術会議に順位なしで定員の1.5〜2倍の委員を推薦するよう要請してきた.学術会議は,定員以上に推薦することには疑義があり時間的にも不可能なので拒否と回答,他方で学協会の意見を求めた.物理学会は‘定款と慣習によって,科学政策の立案には積極的に関与しない’から配分方法にも自らの提案はしないが,科学者の自主性は尊重されるるのが当然なので,学術会議の要請にもとづく場合のみ委員の推薦をすると答え,学術会議と学協会との懇談会には‘配分がどのように行われているか公式に知らないにせよ,文部省の本年の配分方法は非常に遺憾であるとの態度’で臨んだ.37)その後の学術会議からのアンケートには本会は1968年度の配分審査に一切関与していないことを答え,38)翌1969年度に関しては改めて討議の上‘学術会議総会の声明支持,学術会議の合意のない審査配分方式には協力できない’と回答した.そして学術会議からの推薦依頼に応じ第1,2段審査委員候補を順位なしで推薦.39)学術会議は,文部省と折衝し,順位をつけて提出,この順位は尊重される由であった.40)曲折は会誌編集委員長の報告に詳しい.41)問題は続き,1972年には委員の投票で選んだ科研費委員と第2段審査委員の協議で第1段審査委員を選び学術会議に推薦,ただし文部省の選に洩れた委員にも従来どおり審査に協力ねがうことにしている.42)

この期間,学会は‘半導体国際会議(1966)に対する米陸軍極東開発部から受けた補助金’の問題でもゆれたが,その経緯は決議三の取扱いが最近変ったことを含めて周知であろう.43)いわゆる大学紛争については,文部省の対応に学術会議が反対したことを会誌が報告している.44)物理学会は‘大学運営に関する臨時措置法’に反対する委員長談話を発表した.45)

こうして50年を回顧して−と言っても物理学には触れず,近年の事象にも及んでいないから不十分だが−何を想うか.一言でいえば,近ごろ日本の物理学界が大勢において巨大化ないし亜巨大化して体制化されてゆくように見えることである.長い回顧の意図は,この状況との対照にあった.このように見るとき,物理学会にサロン志向が根強いことも一つの積極的な意義をもち得ると思う.学会は討論の場を提供してきた.参加者が少ないのは場の狭さのみによるとは思えないが,もしも物理学会の19,000名という会員が多すぎるなら,支部活動への地方分権を考えるのも振興の一法かもしれない.すでに分科ごとの組織化は進んでいる.サロンでは対応できない仕事が多いのも見たとおりであるから,直交した性格の別組織(たとえばAmericanAssociation for the Advancement of Scienceのような)をつくることも考えられる.直交軸は一本とは限るまい.それらが交わるサロンとして物理学会を位置付けることもできるのではなかろうか.直交は準直交でしかあり得ず,サロンもときに騒がしくなることだろうが.


文 献*

  1. 数物会誌,終刊号(1945) 16−第8回臨時総会.
  2. 会誌 1 (1946) 付録,42−会議. 
  3. 数物会誌,終刊号 (1945) 15−第45回理事会(1945年10月20日). 
  4. 数物会誌,終刊号 (1945) 15−第46回理事会(1995年11月9日). 
  5. 増田秀行:会誌 5 (1950) 350−会員数その他の変遷.この5巻6号は「半世紀の回顧」特集号である.なお,阿部英太郎ほか座談会:会誌 26 (1971) 590−物理屋は,論文は,まだふえつづけるか.品川嘉也:ibid. 734−物理学会会員数の変動について. 
  6. 長岡半太郎:会誌 5 (1950) 323−回顧談.‘会社はSocietyの訳である’と述べている. 
  7. 「日本の数学100年史」編集委員会編:『日本の数学100年史』(岩波書店,1983)(上) p. 98の解釈. 
  8. 『日本の数学100年史』,前掲,p. 95. 
  9. 蓮沼 宏:会誌 32 (1977) 753−数物後半から日本物理学会発足まで. 
  10. 柿内賢信:会誌 32 (1977) 754−創立のころ. 
  11. 伴野雄三,岩柳陽子,加藤節子:会誌32 (1977) 757. 
  12. 清水武雄:会誌 32 (1977) 758−日本物理学会誌編集委員長殿. 
  13. 熊谷寛夫:会誌 32 (1977) i−清水武雄先生の御逝去を悼む. 
  14. 広重 徹:『科学の社会史』,自然選書(中央公論社,1973)p. 258. 
  15. 広重 徹:前掲,p.260.ことの経緯はp.255以下に詳しい. 
  16. その会誌,第1巻(1号のみ)掲載の委員会議記録には選定の跡がない. 
  17. 会誌 3 (1948) 204−第20, 24, 25, 26, 27 回委員会議. 
  18. 会誌 11 (1956) 261, 403−公聴会−物研連委員選挙人を全会員から直接選挙により選ぶ方法に関する−. 
  19. 今井 功:会誌 13 (1958) 555−物理学会は受賞候補者の推薦を行うべきか;永宮健夫:ibid. 830−(同じ題),推薦を断った例−Ford財団からの留学生推薦の依頼:会誌6(1951) 371−第60回委員会議. 
  20. 会誌 8 (1953) 456−第75, 77回委員会議. 
  21. 会誌 11 (1956) 175−第100回委員会議,会誌15 (1960) 350−第141回委員会議,会誌 20(1965)313−第195回委員会議,小林 稔ほか(座談会):会誌 24 (1969) 542−物理学会の制度検討について,ibid. 565, 698, 783−第239, 241, 243回委員会議,会誌25 (1970)276−1969年秋の分科会における公聴 会要録. 
  22. 会誌25(1970)495−第36回通常総会,会誌25(1970) No. 8 末尾色ページ−本会定款が変更になりました,伊藤順吉:会誌 26 (1971) 1−会長に就任して. 
  23. 会誌 32 (1977) 516−第45回総会,宮原将平:会誌 33 (1978)−物理学会定款と会長制度. 
  24. 小野 周:会誌 18 (1963) 449−物理学研究将来計画について,会誌 21 (1966) 21−物理学研究将来計画,小沼通二:会誌27(1972)251−原子核研究将来計画の歩み,湯川秀樹:ibid. 249−棒ほど願って針ほどかなう−高エネルギー研発足にあたって(特集).なお,日本の核物理(特集),会誌 13 (1958) 673;武田栄一:会誌 27 (1972) 885−巨大研究費は如何に使われているか−日本原子力研究所の場合,朝永振一郎:ibid. 396−研究所の共同利用,ibid. 461−共同利用精神の日本における具体化について,野中 到:ibid. 511−研究所の共同利用,鈴江説乎:ibid. 556−共同利用を支えるもの,目方守・槌田劭:会誌 16 (1961) 551−物性研の共同利用の性格について,三宅静雄:ibid. 792−お答え,宮原将平:会誌 16 (1961) 790−物性研の成り立ちとその発展,鷲見義雄(編):会誌 34 (1979) 979−地方研究者からみた共同利用研究所. 
  25. 会誌 6 (1951) 371−第61回委員会議,会誌 8 (1953) 460−名簿(科学教育委員会となっている). 
  26. 会誌 11 (1956) 403−第104回委員会議. 
  27. 藤本陽一:会誌 12 (1957) 101−中国訪問団について,野上茂吉郎ほか:会誌 12 (1957) 361−中国旅行談. 
  28. 野上茂吉郎:会誌 13 (1958) 42−BUKRI日中交流小委員会発足のお知らせ. 
  29. 会誌 13 (1958) 54−第115回委員会議. 
  30. 会誌 18 (1963) 394, 545, 679−第176, 178, 179回委員会議. 
  31. 会誌 19 (1964) 106−第183回委員会議. 
  32. 会誌 21 (1966) 385−第209回委員会議. 
  33. 会誌 22 (1967) 177−第217回委員会議,有山兼孝:ibid. 330−中華人民共和国代表団招待のお知らせとお願い. 
  34. 会誌 22 (1967) 631−第222回委員会議. 
  35. 有山兼孝:会誌 34 (1979) 741−日中科学技術交流の最近の状況. 
  36. 有山兼孝:会誌 3 (1978) 639−日中科学技術交流協会について. 
  37. 会誌 23 (1968) 412, 504, 623−第227, 228, 230回委員会議,碓井恒丸:会誌 23 (1968) 628−科学研究費補助金の配分について,高橋秀俊:ibid. 628−文部省科学研究費配分審査の経緯について,長谷川正之:会誌 24 (1969) 57−科学研究費補助金配分問題について.碓井恒丸:ibid. 58−再び科学研究費補助金の配分について. 
  38. 会誌 23 (1968) 713, 777−第231, 232回委員会議. 
  39. 会誌 24 (1969) 75, 139, 283−第234, 235, 236回委員会議. 
  40. 小野 周:会誌 24 (1969) 190, 691−日本学術会議第52, 53回総会. 
  41. 小出昭一郎:会誌 24 (1969) 687−昭和44年度科学研究費の配分について. 
  42. 会誌 28 (1973) 240−第273回委員会議,なお,池内 了:会誌 32 (1977) 698−科研費配分における物理学の凋落. 
  43. 会誌 22 (1967) 480 (発端), 632 (議事録)−第221, 222回委員会議,ibid. (i)委員長談話,ibid.632 (議事録)−第222回委員会議,ibid.713−第33回臨時総会,ibid.816−臨時総会に於ける投票の有効・無効,ibid. 899−第223回 (臨時) 委員会議 (具体的運営),会誌 23 (1968) No. 1 末尾色ページ (2)−臨時総会速記録,ibid. 338 (決議3に伴う事後処理)−第226回委員会議,ibid.498 (収支決算承認)−第34回通常総会,ibid. 504 (事後処理方針)−第228回委員会議,ibid.572−事後処理に関する公聴会要録,中山正敏:ibid. 610−臨時総会決議3の事後処理について−決議を生かす道.委員会:ibid. 631−事実調査報告,糟谷忠雄:ibid. 688−臨時総会決議3に関する事後処理について.ibid. 714, 777, 967 (事後処理方針)−第231, 232, 233回委員会議,委員会:ibid. 968−決議3を実施するための方針について,会誌 24 (1969) 282 (事後処理方針), 421 (学術的会合)−第236, 238回委員会議,委員会:ibid. 496−決議3を実施するための方針について(訂正),ibid. 565 (学術的会合),241 (量エレ国際会議共催保留)−第239, 241回委員会議,会誌 25 (1970) 261−決議と学術的会合のあり方について−問題点とこれまでの経過−,ibid. 273−秋の分科会における公聴会要録,ibid. 344 (年会のもち方),415 (学術的会合,アンケート),569, 629, 697 (アンケート結果),852 (年会)−第248, 250, 252, 253, 254, 255回委員会議,ibid. No. 8,末尾色ページ−決議の英訳文,会誌 47 (1992) 731−四半世紀を迎えた「決議三」(小特集),伊達宗行:会誌 50 (1995) 696−決議三の取扱い変更について,会告:ibid. 765−決議三にもとづく諸慣行の変更について. 
  44. 小野 周:会誌 24 (1969) 691, 693−日本学術会議第53, 54回総会. 
  45. 会誌 24 (1969) 700−「大学運営に関する臨時措置法」に対する日本物理学会委員長談話,ibid.698−第241回委員会議,なお,S. K.: ibid. 701−編集後記. 

*略記:日本数学物理学会誌→数物会誌,日本物理学会誌→会誌.