戻る
祝 辞

日本物理学会創立50周年によせて

岡本和夫

〈日本数学会理事長 東京大学大学院数理科学研究科 152東京都目黒区駒場3-8-1〉

日本物理学会と日本数学会は,年表に依りますと,1877年に創立された東京数学会社を共通のルーツとしております.両学会は19年前に創立100周年を迎えたわけであります.その際の日本数学会100周年記念式典におきまして,朝永振一郎博士の「物理学とは何だろうか」と題する記念講演を拝聴したことは,私個人の良き思い出であります.さて,東京数学会社はわが国最初の学術団体であり,1884年に東京数学物理学会に改組されました.1945年7月に敗戦前最後の会合が,9月には戦後最初の会合がもたれ,同年12月に,大戦中失われた学会としての機能を復活し活性化するために数学会と物理学会の分離が決定されております.日本物理学会創立は1946年4月,日本数学会創立は同年6月と記録されております.したがいまして,本年は両学会にとりまして創立50周年にあたります.このような機会に日本物理学会創立50周年のお祝いの文章を物理学会誌に掲載して頂くことは,私にとりまして,まことに光栄なことであると存じます.

学会の歴史をひもとくまでもなく,数学と物理の近代史は,ある場合には共通の道を歩み,ある時には遠くなることはあってもつかず離れず進んで来ました.突然ではありますが,1階の常微分方程式を解くことを考えましょう.これが,1階の偏微分方程式を積分すること,すなわち数学用語を使えばベクトル場の積分を求めることと等価であることは,大学生は知っていなければ困ります.ところで,この事実が最初に指摘されているのは,1695年11月のライプニッツからドゥロピタルあての手紙だそうです.すなわち,現在はベクトル場が発見されてから300年経った,というわけです.このことは,数学と物理学の発展の歴史を象徴していると思います.ちなみに,今年はベックレルによる放射能発見100年の年でもあります.その後の量子力学の確立や相対性理論の発見は,数学と物理学がお互いに影響しあいながら発展してきたということの良き証と言えましょう.私個人は,自然現象の背後にある数学的現象を探求する学問という意味で,数学は自然科学であると信じておりますが,物理学の研究に携わる方々にとっては,数学は一つの道具であるかもしれません.もし,食事に譬えるならば,物理学は自然科学の主食でありましょう.数学が道具であるとしても,それは茶碗とか箸の食事に欠かせない道具ではないでしょうか.たとえが適切でない,とお叱りを受けるかもしれませんが,御勘弁下さい.

それでも,近年の物理学は,学問研究の深化と同時にどんどん守備範囲が広くなっているようです.塀も仕切りもない隣の芝生も物理学なら,遠い山の彼方も物理学である,私のような数学者はそんな印象を持っております.実際,現代数学の最も数学的な部分を使いこなす友人も物理学者であり,「古い数学は役に立つけど,現代数学はちょっとね」と言う友人も物理学者です.物理学者の皆様も,数学に対しても同じような印象を持っているかも知れませんが,何が芝生で何処が山の彼方なのかは人により違うのが数学者と物理学者の良いところ,と言っておきましょう.もちろん物理学だけでなく,数学の幅がこの間に,純学問的にも社会への役割という点でも,広くなっているのは強調しておきたい事実ですが,物理学と同じ方向であるとは必ずしも言えないでしょう.その意味ではこの50年間は,物理学と数学がお互いに独立に進まねばならなかった50年とも申せましょう.その期間の,わが国における物理学の進歩を支えつつ発展してこられた日本物理学会と,その発展を支えてこられた諸先輩諸氏の御努力に対しては,言葉を重ねて多大なる敬意を表明いたします.

しかし,50周年を祝う時は,来るべき50年を考える機会でもあります.楽しかった過去と苦しかった過去があったように,明るい未来と同時に不安な未来もあるかも知れません.たとえば,近年若者の理工系離れが話題になっております.理工系離れは物理離れに象徴され,物理離れは学問離れに通じるとも警告されています.いずれにせよ,物理離れと数学離れが表裏一体であることだけは間違いないようです.暗い話で恐縮ですが,幸いなことにこれは,運命では決してなく切り開くべき障害であります.それでも,物理学会と数学会とが別々に対応していては勝てそうもありません.日本物理学会には,物理学者として物理教育を考える組織がありますが,日本数学会にも同様なグループが構成されております.この両者はお互いに連絡をとりつつ検討と活動を開始しています.このような連携はこれまであまり例がなかったと思いますが,私共も皆様と協力してこの難問に立ち向かう覚悟でおります.きっとこの協力関係は近い将来に純粋に学問的な分野にも広がって行くでしょう.また,そうであらねばなりません.

勝手なことを書きましたが,最後に重ねて,日本数学会を代表し,日本物理学会創立50周年のお祝いを心より申し上げます.