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周辺からみた物理

物理学者への期待

竹内外史

〈Department of Mathematics, 
University of Illinois at Urbana-Champaign, 
273 Altgeld Hall, 
1409 West Green Street, 
Urbana, IL61801, USA〉

私の物理学者への期待といえば,勿論宇宙の美しい根本原理をみつけてほしいということになる.しかしそういう高尚な期待の他に,私の様な数学者にも分るような物理学を作ってほしいという身近な希望がある.

私は物理が好きで,二・三年夢中になって物理を勉強したことがある.その結論は物理学は私には全く手の届かない難しい学問があるということであった.これは私の専門が数理論理学という物理からは一番遠い所にあるせいかも知れない.しかし私は涙ぐましい努力をしたのである.von Neumann algebraやC*-algebraが必要だからとBoole値解析学を作ったり,微分幾何が必要だからと直観主義的集合論でそれを研究したり,論理としては極めて変則な量子論理を調べてみたり,私の趣味に合わないノンスタンダードの解析学まで勉強したりしたのは,すべて物理に近づく為であった.こういう余計なことをしたから一層いけなかったのかも知れないが,結局物理は分らなかった.

一番困るのは数式を用いて計算する所である.いかにも数学のように見えて我々にも何とかなりそうに見える所が曲者である.しまいには物理学者は力学,電磁力学…と教育をうけている内に色々なクセを身につけて,そのクセで計算しているので,あれは数学でないと邪推した程である.その一つの理由は,数学の場合は原則及びその状況を明確にしてその上で推論又は計算をするが,物理学では暗黙の約束があって,そのことにふれずに計算を進めるようである.これは数学者にとっては苦手である.もう何年も昔のことで,その細かい苦情を書けないのが残念な程である.

少しちがったことで不満だったことを書けば,例えば,lattice gauge theoryが面白そうだと思ったことがあった.しかし,そこで考えているのは二次元のlatticeのようにしか思えなかった.物理だから少くとも三次元か四次元,そして特異点などを考えに入れれば位相数学のホモロジーなどにも関係がつくだろうに,どうして思考が二次元的なのか分らなかった.

細かい文句をいえば,大統一理論のHiggs粒子というのは,どう考えてもオバケとしか思えなかった.ああいうものが分る物理学者はやはり天才だと思った.ついでに一寸した不満をいえば,大統一理論では根本原理をたてて,そこからFermi粒子とBose粒子に自然に異ったLie代数の表現が出て来る形にしてほしかった.いきなり二つの異った表現を用いるので,統一ではなくて二つに分れた分裂理論だと思った.

もっとも数学者からみた奇妙なことといえば次の事となる.数学にも流行がある.しかし流行でない分野でもしっかりとした地盤の上に着実な研究が行われていて,そこの大問題がいつか解ければ大事件となる.物理ではstring theoryが流行になれば,大統一理論からstring theoryへと民族大移動が行われたような印象を受けた.少し関心をもっていた数学者の方からいえば,こんな風ではとてもついて行けないということになる.

この頃はstring theoryで数学と物理学との関係が密接になったようである.数学者が喜んでいる程,物理の方で旨くいっているかどうかは知らないが,少なくともここで私の書いたことは昔話になったことと思っている.

私自身は最近私のもっていた物理の本を,物理に興味をもっている若い数学者に殆ど全部あげてしまった.私にはもうとても手が出ないと思ったからである.

それでも,もう一度勉強してみたいとも思っている.今度は難しいことはあきらめて,私にも分りそうな量子力学に限ろうと思う.物理量はself-adjoint operatorで表わされる.逆に定義域が稠密な任意のself-adjoint operatorはその意味が直ちに明らかでなくても,その物理系のある物理量を表していると考えられる.いま二つの交換可能でない物理量ABとがあたえられた時,A+Bはself-adjoint operatorであるから,定義域が稠密ならば一つの物理量を表すことになる.この物理量の物理的な意味はなんであろうか? いま量子論理の上に数学的にある演算をあたえれば,その機構の上ではその答をあたえることが出来るように思う.したがって,そうして拡大された量子力学の体系について物理的な意味を考えてゆけば,上の問題は明らかになると思う.こういうことならば数理論理的な量子力学的世界像のなかでも考えられるように思う.その折は色々と教えて頂きたい.