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周辺からみた物理

物理学者,物理学会への期待--物理「楽」,あるいは,物理が苦--

池澤直樹

〈野村総合研究所 240横浜市保土ケ谷区神戸町134 e-mail: n-ikezawa@nri.co.jp〉

「プロの音楽家になると音が苦になる」 とは,山本直純氏の言である.上記表題に付記したダジャレは山本氏の剽切である.

無論,音楽のアマチュアでも音が苦になる人もいるだろうが,こと物理学については,アマチュアでも物理が苦である人は,音楽とは比較にならないくらい多いのではないだろうか.

以下に,関連するデータを紹介したい.

図1のデータは,出所に示した米国の機関が作成したものである.複数の国で実施された調査結果を総合したものであり,例えば,日本については1991年についてのデータである等,データの解釈には注意を要する点もあるが,結果は極めて印象的である.(上記資料におけるデータの収集,作成の方法については,原資料を参照して頂くこととしたい.)

スポーツでも,そして多分学問の世界でも,楽しみながら活動するアマチュアの増加が高質なプロの育成の基盤となるのではないかと考えると,図1に示された日本の状況は,高質なプロの出現には繋がり難いといえるのではないだろうか.

この資料には,他にも興味深いデータが示されているが,以下にもう一つだけ引用したい. 図2のデータは,一般的な学術用語や科学的な基礎知識についての回答結果である.18才以上の成人を対象とした調査で,代表的な質問を引用すると以下の通りである.

A “The center of the earth is very hot." (True)

B “The oxygen we breathe comes from plants." (True)

C “Electrons are smaller than atoms." (True)

注)設問は,AからLまで計12問ある.

この結果についても,先に示したデータと同様,例えば,国別の調査では回答が得られていない質問があるなど,結果の解釈に注意を要する点もあるが,結果はやはり印象的である.

上記のような状況については,教育者や教育界の責任であり,本稿の主題である物理学者や物理学会は直接に関連しないと考えることもできるのかもしれない.しかし,物理学を物理「楽」と考えるアマチュアの増加が,優れた物理学者の輩出や物理学の発展に効果的であるとするなら,やはり,物理学者や物理学会の役割でもあるのではないだろうか.

先に引用した三つのデータからは,「物理が苦」の状況が強く感じられるのである.(但し,引用データを踏まえると,物理以外にも「苦」があることが推測できるが)

日本の産業界は,空洞化,円高等の影響で,産業構造全体でのリストラクチャリングが必要とされている.このため,例えば各種規制の緩和などの推進が計画されているのであるが,同時に,日本の新しいコンピテンスとなる産業分野創出の必要性も高い.

一方,メゾスコピック物理と半導体工学やナノテクノロジー,生物物理学と新しい情報工学といった例に見られるように,先端的技術分野では,物理学と工学の収斂といえる現象が進展している.

つまり,物理学を楽しむことのできるアマチュアの育成は,単に物理学の発展に貢献するというだけではなく,工学や新しい産業の創出や発展にも大きく貢献することになると考えられるのである.

物理「楽」構築を期待する一つの所以である.


図1
図1 一般人の科学に関する関心の大きさ (1992年). (National Science Board: Science & Engineering Indicators-1993より.)


 

図2
図2 基本的な科学技術に関する知識の程度.(National Science Board: Science & Engineering Indicators-1993より.)