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50年をかえりみる

超伝導研究の歩み

大塚泰一郎*


1. ミクロへの歩み--黎明期の日本--

日本物理学会が創立された1946年,MITのS. Collinsは画期的な設計のHe(ヘリウム)液化機を開発した.翌年市販されたCollins液化機は,簡便性ゆえに急速に普及し,それまで欧州と旧ソ連の限られた機関でしか行われていなかった低温物理学の研究の発展に大きなインパクトを与えたのである.1952年,東北大学金属材料研究所(金研)に,日本で初めて設置されたHe液化機もCollins液化機である.翌年金研に赴任した筆者は,一年足らずの間にさまざまな実験が進行し,成果も得られている状況を目の当りにし,これも昭和の初めに低温の重要性を認識した本多光太郎が,日本で初めての低温部門を設置し,多額の資金を投じて空気液化機,水素液化機等を設置して以来培われてきた低温実験技術の賜かと感銘を受けたのを覚えている.

当時,低温部門は,神田英蔵,袋井忠夫両教授の研究室に分れていたが,この中で早速に超伝導の研究に着手したのは袋井研の渋谷喜夫である.日本における超伝導研究者が皆無という,今では想像できない状況下で頼ることができたのは欧米の文献のみであった.この中で棒状超伝導体に磁場を加えた状態で電流を流すと,試料内の磁束が,ある条件の下で加えている磁場より大きくなる現象(1943年にドイツの研究者が発表したもの)に渋谷は注目し,田沼静一(後に東大物性研)とともに実験を開始した.日本における超伝導研究の事始めである.

この渋谷らが手掛けた,常磁性効果とよばれていた現象は,その後,磁場と電流の重ね合わせで特別な形状の中間状態が形成されるためであることが明らかにされている.中間状態は第1種超伝導体に磁場を加えたとき,試料の形状に依存するある磁場から臨界磁場の間の領域で現われるS(超伝導)相とN(常伝導)相が混在する状態である.研究の対象がほとんど第2種超伝導体(特に高温超伝導体)に限られている現在,第1種超伝導にみられる中間状態は忘れ去られた感があるが,1930年代の後半から40年代にかけて,中間状態の安定性が重要な問題になっていた時期がある.中間状態が現れる磁場領域では,S相とN相が磁場に比例する一定の体積比を保つ.このバランスはS相とN相の境界エネルギーが正でないと保つことはできない.しかしN相を通る磁場はSN境界からS相内に侵入し,この侵入深さ程度のS相領域の磁気エネルギーが下る.従って境界エネルギーは負ということになり,観測されている中間状態の安定性が保証されない.当時,London兄弟が予言した磁場の侵入深さは,すでに実験的にも検証されていたが,それに対抗し,正の境界エネルギーを与える機構の起源が大きな問題になっていたのである.この問題は1950年,GinzburgとLandau,およびPippardが独立に導入したコヒーレンス長さの存在によって解決をみている.SN境界では超伝導状態が常伝導状態に変るが,この変化は階段的ではなく,ある長さにわたって連続的に起る.コヒーレンス長さxは,この超伝導状態が変化する固有長さを与える.この連続的な状態変化のため,境界からおよそxにわたるS相内の超伝導凝縮エネルギーが実質的に失われる.これによるエネルギー増が,侵入深さlにわたる磁場侵入によるエネルギー減を上まわれば,境界エネルギーは正となる.このためにはxlであればよい.侵入深さlは,超伝導状態に凝縮している電子固有の性質で決まるのに対し,コヒーレンス長さxは臨界温度Tcに逆比例し,電子の平均自由行路が不純物や欠陥で制約される試料では,不純度とともに短くなる.従って,xlの境界エネルギーが負の場合もありうる.しかし,1950年当時,知られているすべての超伝導体は,正の境界エネルギーをもつと考えられていた.GL(Ginzburg-Landau)理論にもとづいて,負の境界エネルギーをもつ超伝導体のふるまいを初めて解析したのは,旧ソ連のAbrikosovである.この美事な論文は1957年に発表されたが,論じられた新しいタイプの超伝導体−第2種超伝導体−が広く認知されたのは1960年代に入ってからである.

1950年はまた,Frhlichが電子−フォノン相互作用を媒介として電子間に負の相互作用が生じうることを示した年である.同じ年に,フォノンが超伝導の発現に関わっていることを強く示唆する同位元素効果(臨界温度がイオン質量の平方根に逆比例する)が水銀で見出され,超伝導の微視的解明に大きなステップがふみ出されたのである.1950年代はマイクロ波,NMR等の新しい実験技術の登場で,固体物理学が長足の進歩をみせた年代であったが,超伝導状態の本質に迫るエネルギーギャップの存在を明らかにしたのは,古典的な低温比熱の実験である.戦後電子回路用のカーボン抵抗が,ヘリウム温度で極めて敏感な抵抗温度計として用いることができるという発見で,低温比熱の精度も一段と向上したが,1954年,米国Westinghouse社の研究グループが超伝導バナジウムの比熱が臨界温度(約5K)より十分低い温度で,温度による変化が指数関数的であることを示した.このことは,基底状態と励起状態の間にギャップが存在することを反映している.

日本でようやく極低温の実験ができるようになったのは,この長年にわたって欧州や旧ソ連で積み重ねられてきた研究に,米国の新しい力が加わり,戦後の超伝導研究が躍進した時期である.相手がゴール近くに迫っている中で,やっとスタートをきる困難な状況下で渋谷らは実験を始めたのである.常磁性効果のあと,渋谷は電流による超伝導-常伝導転移(SN転移)の研究にとり組んだが,その頃(1956年)MITのD.Buckが,SN 転移を利用した素子−クライオトロン−を考案し,計算機素子として有望であることを示した.これは当時,超伝導の産業規模の応用として関心をよび,日本でも東北大電気通信研究所の小野寺大(故人)がクライオトロンの研究にとり組み,日本における超伝導エレクトロニクスの草分け的な仕事をしている.その後,クライオトロンは SN 転移に伴う僅かな発熱がスイッチ時間を制約するなどの欠陥があり,当時集積化に向ってすさまじい勢で進歩しつつあった半導体技術に対抗できないことが明らかになって,IBMを中心に進められていた研究も終息に向った.

ヘリウム温度での実験ができるのが金研に限られていた時代に,共同利用で多くの研究者が来所したが,それぞれの専門の分野(主として磁性,半導体)の研究を目的としたもので,新しく超伝導の実験を志す人はいなかった.1958年,金研に次いで当時の電気試験所(現電子総合技術研究所)にヘリウム液化機が設置されたが,主として半導体研究の発展を目的としていた.この背景には,当時活躍していた研究者が,若手をふくめて,極低温が高嶺の花だった時代に研究をスタートした戦前戦中派に属し,低温物理学の伝統が皆無に近かったこともあろう.この事情が一変し,日本における超伝導研究が新しい展開をみせたのは1960年に入ってからである.

渋谷らが超伝導の実験を始めた頃から,Frhlich理論に対する批判や摂動理論の限界をめぐって,日本でも超伝導理論への取組みが始まっていた.中嶋貞雄がカノニカル変換によってハミルトニアンの電子−フォノン相互作用を電子間の有効相互作用に置き換える論文を「物性論研究」に発表したのは1953年である.学会でも理論関係の発表が目立ってきたが,その多くは当時の私の理解を越えるものであり,定かな記憶は残っていない.

当時私は原子核整列を目指した断熱消磁による超低温の生成に取り組んでおり,超伝導については極低温実験にたずさわる者として関心をもっている程度であった.特に磁性研究者にはなじみ深い遷移金属が中心になっていることで関心をもったのは,Bell研究所におけるB.Matthiasのグループの仕事である.Matthiasらは1954年に,当時最高の臨界温度Tc(Tc〜18K)をもつNb3Snを発見していたが,数多くの遷移金属合金・化合物超伝導体の研究から,Tcが価電子の数に従って特徴的な変化をする,いわゆるMatthiasの法則を提唱していた.超伝導を示す4d遷移金属の電子比熱係数も価電子数に対してTcと類似の変化をすることは,超伝導の発現機構の解明に示唆を与えるものとして議論されていたのである.

もう一つ私が取り組んでいた断熱消磁の仕事との関連で関心をひいたのは,超伝導磁石の開発研究である.


2. 応用への試行--BCS理論の登場

超伝導磁石を初めて試作したのは,KamerlinghOnnes自身である.1913年,Onnesは10Tの強磁場発生を期待して,鉛線を用いた超伝導コイルを試作したが,僅か0.01T程度で常伝導化する期待はずれの結果に終った.この失敗は翌年,臨界磁場の発見という実を結んだが,一方では超伝導は磁場に弱く,磁場発生には役立たないという観念を固定することになったのである.この固定観念を破るきっかけを作ったのは,超伝導とは専門外のYntema(当時Illinois大学)である.

1954年,YntemaはNb(ニオブ)線を用いた小型鉄芯磁石を作り,臨界温度(Tc9K)から推定されるNbの臨界磁場を上回る,約0.7Tの磁場を発生することに成功した.この成果に刺激されて,米国各所でNb磁石の研究開発が進み,1960年には1Tを発生できる空芯コイルがMITのAutlerらによって作られている.私が深い関心をもったのは,これらのNb磁石が主として断熱消磁冷却に用いることを目的としていたからである.しかし当時の日本では,Nb線はおろか,Nbのような融点の高い難融金属を処理する設備も整っておらず,成果を見守ることしかできなかった.このYntemaに始まる挑戦が1961年,その後の超伝導研究に革命的変革をもたらすことになった,KunzlerらのNb3Snの異常な高磁場特性の発見につながってゆくことは,当時夢想だにできなかったことである.

渋谷らが常磁性効果の研究を進めていた頃から,松原武生をはじめ何人かの理論家が来所され,話を聞く機会をもつことができた.話の内容は記憶にないが,超伝導の微視的解明の前には摂動論の限界の克服という難問題が立ちふさがっていることだけは認識できたように思う.ただし難問題の中身をよく理解した上での認識ではなく,皮相的なものであったことは否めない.一つだけ,中身も理解できたように思ったのは,この難問題を迂回して,先に超伝導状態のモデルを考察しようという話である.

荷電Bose粒子がBose-Einstein凝縮を起すとMeissner効果を示すことは当時すでに知られていた.話はこのBoseモデルについてのもので理解し易かったが,電子はBose粒子ではなく,Fermi粒子であるという問題がある.50年代中頃にこの問題を精力的に追究していたのはオーストラリアのJ. Blatt, M. Schafroth, S. Butlerらである.彼らは,化学反応もどきの過程e+e2eでBose粒子の性格をもつ電子対を形成し,形成された対の密度の平衡値が十分大きくなった低温でBose-Einstein凝縮が起り,超伝導が出現すると考えた.素人目には分りやすい,魅力的なモデルであったが,定量的な計算は難しいという話であった.Blattらは松原武生の協力を得て,この難しい計算にとり組んでいた.しかし成果をうる前に,量子統計的手法とは全く異る観点から,理想Fermi気体の基底状態が,Fermi面にある粒子間に引力があれば,引力が如何に小さくとも粒子対の形成に対して不安定であることを示したL.Cooperの論文が発表されたのである(1956年).この結果を足がかりに構築されたBardeen, Cooper, Schrieffer (BCS)理論が発表されたのはその翌年である.

私がはじめてBCS理論に接したのは原論文ではなく,1958年に出版された「低温現象」**の中で中嶋貞雄が執筆された超伝導の章である.この章はFrhlich理論からBCS理論に至るまでの理論の発展の過程が精しく,かつ要領よく記述されている名著であるが,当時の私にとっては難解であった.BCS理論が分ったような気になったのは,翌年来所された芳田奎の話を聞いてからである.

芳田はBCS理論が発表された当時,米国にあって専門の磁性理論で重要な成果を上げていたが,1958年にBCS理論にもとづいて,伝導電子のスピン磁化率が超伝導状態に移ると急速に減少し,絶対零度でゼロになることを示した有名な論文を発表している.金研での講演は,専門外の人でも理解できる極めて明快なものであったことが印象として残っている.

その頃の日本では,ヘリウム液化機の普及の機運が高まり,電気試験所に続いて,1959年には新設の東大物性研究所に液化機が設置され,60年代に入ると阪大,京大,名大,九大と普及は加速的に広まった.当時,超伝導実験を専門とする研究者は,金研以外にはいなかったこともあって,液化機の普及がただちに超伝導研究の広がりにつながることはなかったが,1960年代に入ってからの新しい超伝導時代を迎えて事情は一変した.


3. 新しい時代の幕あき

私自身,超伝導の研究にとり組んだのは,1961年に物性研へ移ってからである.BCS理論が発表されてからしばらくの間,残されているのは理論と実験の精密化と言われた時期があり,独創性を発揮するのは困難に思えたが,1960年にI.Giaeverが,それまで知られていなかった全く新しい超伝導トンネル効果の実験を発表した.実験室の片すみに転っている機器を使えばできるこの実験は,研究費の不足をかこつ日本でもできたのではないかと言われもした.しかし,後に発見の経緯を聞くと,常伝導金属間のトンネル現象の地味な研究を重ねていたGiaeverならではの発見と感じた.たまたま聴講していた固体物理学の講義ではじめて聞いたBCSのギャップが,トンネル効果でみられるのではないかと直感し,理論家の否定的意見にまどわされずに,早速実験に訴えることができたのも,長年の研究の背景があったからであろう.単にギャップの大きさばかりでなく,準粒子状態密度を直接的にとらえるトンネル効果は,電子−フォノン相互作用の構造,磁気不純物添加によるギャップのない状態への移行等,超伝導状態をプローブする強力な手段に発展していったことは周知の通りである.

私が物性研に移った1961年,京都で国際磁気物理学会が開かれた.BCS理論が成熟期を迎えていたこの学会では,磁性に関連した超伝導の問題が幾つか論じられた.その中で印象に残るのは「超伝導と強磁性」と題したB.Matthiasの講演である.この講演の中でMatthiasは遷移金属超伝導体Os, Ruに同位元素効果が欠除していることから,遷移金属ではフォノン以外の磁気的な起因をもつ相互作用が超伝導の発現に寄与している可能性を指摘している.その根拠としてもう一つ,Tiの臨界温度TcがFeを加えることによって上昇する例をあげている.超伝導体にスピンをもつ磁気不純物を加えると,スピン反転を伴う磁気散乱によって,スピンが反平行状態にあるBCS対が壊され,Tcは急速に降下するが,Tiに加えたFeは局在スピンモーメントをもたない.

CuやAuに微量に加えたFe,Mn等の3d遷移元素は局在モーメントをもち,温度の降下とともに減少する電気抵抗が極小を経て上昇する,後に近藤効果として知られるようになった異常を示す.これに対し,Alに加えた3d元素は局在モーメントをもたず,電気抵抗に異常な振舞はみられない.しかし3d元素の添加による残留抵抗は,Znのような非遷移元素を加えたときよりも,一桁も大きい割合で増加し,その割合は3d電子の数Nに従ってN=5(Mn)で最大となる特徴的な変化を示す.この特徴的な変化は,d軌道の仮想束縛状態の形成による共鳴散乱で説明できることは,すでにJ. Friedelによって示されていたが,1961年に仮想束縛状態を詳しく論じたP. W. Andersonの論文が発表されている.局在モーメントをもたない3d不純物の仮想束縛状態が,BCS理論によく従うことで知られていたAlの超伝導にどのような効果を与えるか.当初,Matthiasの新相互作用機構の存在を示唆する効果がみられないかという期待をもって青木亮三(現阪大)とともに実験を始めた.この研究を通してMatthias効果こそ検知できなかったが,共鳴散乱によるTcの降下の機構と仮想束縛状態に対する多少の情報をうることができた.内容の詳しい紹介は控えるが,実験結果の解析を可能にした理論家の仕事にふれておきたい.

1962年に恒藤敏彦が発表した,不純物散乱によるギャップの異方性のぼやけに起因するTcの降下の理論は,同じ年に,IBMに滞在中の益田義賀が核スピン−格子緩和レートの変化から求めたAlのギャップ異方性の不純物散乱によるぼやけの度合と合わせて,Tcの実験結果にふくまれる異方性効果の差し引きを可能にした.恒藤の理論と益田の実験は,ともに非共鳴散乱による異方性効果を対象としていたが,教育大(当時)の宗田敏雄と長島富太郎は共鳴散乱の場合,非共鳴散乱異方性効果に対する補正は無視できる程度に止まることを示した.等方的なギャップの場合でも生ずる共鳴散乱によるTcの変化を初めて計算したのは米国のM.Zuckermannであるが,この理論では電子対が3d準位に散乱されて再びもとに戻る過程で感じるd電子間のCoulomb反発の効果が考慮されていない.この相関効果がTcの変化に対して重要な寄与をすることを示したのは,教育大(当時)の高野文彦と高中健二である.

私達の研究もそうであったが,60年に入ると超伝導に他の物性(特に磁性)がからむ研究が増えてきた.その中で日本で行われた大変ユニークな研究は物性研(当時)の鈴木平らが行った金属中の転位と電子の間の相互作用の研究であろう.金属中の転位の運動を阻むのは自由電子との相互作用とされているが,超伝導状態では対の形成によって,個別的にふるまう自由電子の数が減る.鈴木らは,先ず高品質のNbの単結晶を作成し,超伝導状態と,臨界値以上の磁場を加えた常伝導状態における塑性流動に対する粘性抵抗の違いから,転位と電子間の相互作用を考察している.これは転位と電子間の相互作用を調べる新しい手段として海外でも注目された研究である.

超伝導体に加えた不純物が局在スピンをもつと,Tcは急速に下る.1960年に旧ソ連のAbrikosovとGor'kovは,伝導電子(s電子)と局在スピンをもつ電子(d電子)間のsd交換相互作用による電子対の破壊がTcの急激な降下をもたらすと同時に,準粒子状態がくずれてエネルギーギャップ内にも状態が生じ,ついにはギャップがない(gapless)状態が出現することを示している.このgapless状態は,Pbに磁気不純物としてMnを加えた試料へのトンネル電流の伝導率の変化の実験によって,F. Reif によって検証されている(1965年).同じ年に,Abrikosovらが無視した,不純物近傍の超伝導秩序パラメータの変化を考慮した理論を都築俊夫(現東北大)と恒藤敏彦が発表している.

磁気不純物の問題は,電総研(当時)の近藤淳による,CuにFeなどを加えたときにみられる電気抵抗極小の理論的解明(1964年)によって新たな展開をみた.近藤は伝導電子と局在スピン間の交換相互作用が負の場合,電気抵抗は極小を示す温度の低温側で−logT(Tは温度)に従って発散することを示したが,さらに温度を下げると不純物スピンのまわりに,スピンを打ち消す伝導電子の束縛状態が形成され,抵抗は一定の限界値に向うことが示された.この束縛状態の形成が超伝導に及ぼす効果の研究は日本でも盛んに行われ,真木和美,高野文彦,宗田敏雄,長岡洋介等の理論解析,超伝導LaやLa化合物に不純物スピンとしてCe,Gdを加えた系に対する実験が菅原忠,津田惟雄,益田義賀等によって行われている.これらの研究は,1個の不純物スピンによる効果とみなせる稀薄合金を対象としたものであるが,十数年後に,束縛状態が各格子点で現われる濃厚近藤状態を示す稀土類化合物CeCu2Si2Tc0.5Kで超伝導に転移することの発見を契機に,この問題は新たな展開を見ることになったのである.

BCS理論は,電子−フォノン相互作用を想定した理論であるが,具体的な計算には一定の相互作用定数が用いられている.比較的Tcが低いAl, Sn, In等の超伝導状態の諸性質はこの単純なモデルでよく説明できるが,デバイ温度が低く,電子−フォノン相互作用が強いPbやHgでは無視できない不一致がみられる.これら電子−フォノン相互作用が強い“強結合の極限”にある超伝導体の理論は,1960年を通じて旧ソ連のEliashbergをはじめとする人々によって進められ,Coulomb相互作用も考慮した臨界温度の表式が求められている.この強結合の理論によってフォノンを媒介とする超伝導の発現機構の理解は深まり,またCoulomb相互作用が同位元素効果に影響を与えることも分ってきた.特にバンド幅が狭い遷移金属ではこの影響は大きく,RuやOsにおける同位元素効果の欠除も理解できることが示された.またPbやHgの熱力学的性質のBCS理論との不一致も説明できることが和田靖(当時,東大)によって示された.

以上のように,60年代に入ってから,BCS理論を出発点とするさまざまな研究の展開がみられたが,何と言っても超伝導研究を一気に広め,変貎させたのは磁束量子化の発見,Nb3Snの異常な高磁場特性の発見に端を発した第2種超伝導体の“再発見”およびJosephson効果の発見である.


4. 疾風怒濤の60年代

Yntemaに始った超伝導磁石の開発の進展に,固体メーザー装置のコンパクト化等の応用面から関心をよせていたBell研究所では,Matthiasらが発見した多くの合金・化合物超伝導体の中で,Nbよりすぐれた特性が期待される線材を用いた超伝導磁石の試作が始められた.当時最高のTcと臨界磁場をもっていたNb3Snが注目されたのは当然であるが,Nb3Snのような金属間化合物は脆く,線材に加工することができない.この難点を,Nbチューブに粒状のNbとSnをつめ,あらかじめ線引きした後に反応させてNb3Snを形成する方法で克服したのは,同じBell研究所のKunzlerらである.この線材で当時推定されていたNb3Snの臨界磁場をはるかに越える8.8Tで高い電流密度(〜105A/cm2)の抵抗のない超電流を保持する異常な振舞が発見され,その年(1961)のうちに7Tの超伝導磁石が作られている.同じ年に,Westinghouse社のグループが,線引き可能なNbZr合金を用いた超伝導磁石で6Tを発生している.

Kunzlerらの試料は,超伝導状態の磁化が磁場の上げ下げで著しく異なる非可逆的な磁化曲線をもつ試料であった.非可逆的な磁化曲線は以前から多くの超伝導体で観測されていたが,当時これは超伝導部位が,超伝導状態に転移しない常伝導部位にスポンジ状に分布している試料の不均質性によるものと解釈されていた.Nb3Snの高磁場特性は,この超伝導部位が高磁場まで超伝導状態を保つ,磁場の侵入深さ程度の径をもつ細いフィラメント状に分布しているとすれば,定性的に理解できる.しかし同じ頃,Nb3Snと同じ型の化合物超伝導体V3Gaが7Tの高磁場中でも試料のほとんど全体積が超伝導状態に転移し,常伝導相の混在はみられないことが比熱の実験で明らかにされた.

この比熱の実験はまた,従来の超伝導体と違って,V3Gaの磁場中の転移は潜熱を伴わない2次相転移であることを示した.相転移が2次であれば,磁気転移で超伝導状態の磁化も連続的にゼロ(常伝導状態)に移らなければならない.同じ頃,非可逆性の少い,均質なNbTa合金の磁化が,まさにこのような振舞を示すことが英国で発見された.これはNbTaでは,中間状態を安定に保持する正のSN境界エネルギーが負になっていることによる,として解析を進めたのは英国のB.Goodmanである.Goodmanは,この場合,ある磁場から磁束が層状に侵入するとするモデルを用いたが,このモデルは肝心の2次相転移を与えない.この欠陥に苦慮している間にGoodmanはすでに1957年にA.Abrikosovによって発表されていた理論を“発見”した.この理論は磁束が太さのない磁束線の形で侵入するモデルを用いて,2次の磁気相転移を示す新しいタイプの超伝導体−第2種超伝導体−の諸性質を詳しく解析したものである.冷戦のため,西側に知られていなかった第2種超伝導体の“再発見”は,Abrikosovが用いたGinzburg-Landau (GL)理論と,BCS理論に基いてGL理論に微視的根拠を与えたGor'kovの論文の重要性の認識につながり,GL,Abrikosov,Gor'kovの頭文字をとったGLAG理論がしばらくの間,話題をさらうことになったのである.

第2種超伝導体では,下部臨界磁場Hc1から磁場が磁束線の形で侵入し,磁束線が規則正しく格子状に配列した混合状態が現われる.均質な試料では混合状態の磁束線は,試料全体にわたって一様な密度を保ちながら磁場とともに増大し,上部臨界磁場Hc2で連続的に常伝導状態に転移する.これに対し不均質な試料では,混合状態に入ると,ある磁場まで磁束線が一様に試料内部まで侵入していないことを示す磁化の振舞がみられる.1962年に,P. W. Andersonは,当時Bell研究所で行われていた中空円筒状のNb3Snの円筒内磁場の外場による変化の実験結果にもとづいて,磁束線が内部に侵入しないのは,磁束線が不均質な試料に存在する欠陥等にピン止めされる効果によって説明できることを示した.この場合,表面から内部に向っての磁束線密度の変化の割合に比例して外場を遮蔽する電流が流れるが,実験結果はこの遮蔽電流が臨界電流の値をもつとして説明できる.このいわゆる臨界状態モデルは,すでに前年,C. BeanとH. Londonによって提案されていたが,当時第2種超伝導体の存在が知られていなかったので,遮蔽電流は十分細い超伝導フィラメントで保持されていると考えていた.

説明は省くが,Nb3Snが高磁場まで超電流を保持する特性も磁束のピン止めで説明できる.これは,その後の高磁場,高電流に耐える超伝導線材の開発に指針を与えることになったのである.

1962年にはもう一つ,超伝導状態を新たな視点からみる契機となったB. Josephsonの電子対タネリングと予期される諸効果の理論が発表された.最初にこの論文に接した時には,高等な数式に武装された内容が全く理解できなかったことを覚えている.電子対タネリングが観測できるのは,電子対が位相がそろった“位相コヒーレント状態”に凝縮しているからであることを,その後Josephsonも強調しているが,原論文では位相はあらわな姿を見せず,トンネル超電流が位相差のsinに比例する有名な式も数式の中に埋もれていたのである.もっとも,位相が登場したとき,何を意味するのかさっぱり分らなかったので,論文を理解できなかったのは難解な数式のせいばかりではない.

Josephson効果の実験的検証は,発表から一年も経たないうちに,Bell研のRowellとAndersonによってなされた.決め手になったのは,磁場のベクトルポテンシャルによる位相の変化に伴うトンネル超電流の臨界値の周期的変化(回折効果)であった.この実験で位相の役割が実証されたと言える.実は位相自体は全く新しいものではなく,すでにGinzburg-Landauが直感的に導入した複素数秩序パラメータに登場しており,超電流が位相の勾配に比例することも示されている.またBCS理論でも,電子対が位相をそろえて凝縮することの重要性が強調されている.しかし,位相自体は原点の任意性をもつ量であり,観測には姿を現わさない黒子的な存在に止まっていた.これに対しJosephsonは,電子対が観測可能な確率をもってトンネルするのは,位相コヒーレント状態に凝縮していることによるもので,トンネル電流は原点の任意性のない物理的な意味をもつ位相差に依存することを示し,初めて位相を檜舞台に立たせたのである.

Josephsonが予言した諸効果は,その後二年足らずで検証されている.トンネル接合に電圧Vが現われる超電流の臨界値以上の電流を流した状態では,周波数nJ=2eV/hの交流超電流が流れる.この効果は,電圧状態で周波数n0のマイクロ波を接合に照射すると,nJ /n0が整数値をとる電圧で,電流をふやしても電圧が変化しない定電圧ステップが現われる同期効果を通してShapiroによって検証され(1963年),より直接的には接合から放射されるごく微弱な信号の検出によって米国と旧ソ連グループにより検証されている(1965年).また1964年には,2個のJosephson接合をふくむ超伝導ループを通る磁束によって臨界電流が磁束量子f0=h/2eの周期で変化する干渉効果が米国Ford研究所のグループによって発見されている.その後,同期効果は電圧標準の維持,干渉効果は微弱な磁束変化を検出する超高感度磁束計SQUIDという応用を生んだが,1966年,Josephson接合がナノ秒以下の短い時間で電圧ゼロからmV程度の電圧状態にスイッチするIBMのMatisooの発見は,高速コンピュータへの応用の期待をもたせることになったのである.

第2種超伝導体とJosephson効果の発見によって超伝導研究は,以前には考えられもしなかった応用研究を含めた新しい時代を迎えた.この新時代は戦前からの超伝導研究の伝統をもつ英国,オランダ,旧ソ連に米国の伝統にとらわれない研究者が加って切り開かれたが,その後の進展には,伝統国以外の国々の多くの研究者が加わった.P. G. deGennesの理論的指導の下に多くの成果を上げたフランスのOrsayグループの活躍がその一例であるが,折しもヘリウム液化機の普及が加速された日本でも多くの研究者の強い関心をよんだのである.

当時日本で始められた研究の中で特筆しておきたいのは日大の故安河内昴と京大(当時)の真木和美(現南カリフォルニア大)の活躍である.早くから応用の重要性を認識した安河内は,小笠原武らと磁石応用にとって重要な不均質第2種超伝導体の実験的研究を進め,独自の臨界状態モデルによる磁化曲線の解析をはじめ,多くの成果を上げるとともに,通産省のMHDプロジェクトをはじめ,核融合炉用超伝導磁石の開発等の推進に中心的な役割を果した.志半ばにして早世されたことは惜しみても余りある.一方の真木は,私の印象では彗星の如く現われ,難解な第2種超伝導体の平衡状態から磁束線運動に至る諸性質の微視理論を発表し,一躍世界の注目を集めたのである.

応用への関心から,研究者の層が物理から工学へ広まったのも新時代の特徴である.日本でも金属材料技術研究所の太刀川恭治(現東海大)が画期的な方法で高磁場特性のすぐれたV3Gaテープを製作する成果を上げ,また九大電子工学の入江冨士夫,山藤馨は,不均質第2種超伝導で観測される磁束線のピン止め力を求めるには,磁束線間の相互作用による磁束線格子の剛性を考慮しなければならないことを示している.これはその後のピン止め機構の解析の基礎にもなった重要な成果である.


5. 応用の成熟

超伝導転移では磁性体の磁気転移にみられるゆらぎの効果はみられない.これはコヒーレンス長さが十分長いためと理解されている.70年代を迎える頃,非晶質のため,コヒーレンス長さが極端に短くなっている超伝導BiのTc以上の電気抵抗や反磁性のゆらぎ効果が注目された時期がある.ここでゆらぎ効果について詳しく述べることはできないが,Tcに逆比例するコヒーレンス長さが本質的に短い高温超伝導体では十分考慮しなければならない効果である.

このような超伝導の本質に対する理解の深まりもあったが,疾風怒濤の60年を経て迎えた70年代の大きな特徴は,超伝導応用技術の成熟であろう.超伝導線材には,ちょっとした攪乱で磁束が雪崩れ的に侵入する磁束ジャンプによってクエンチ(常伝導化)する不安定性がある.この不安定性を回避する技術は60年代の中頃から進められていたが,磁束ジャンプの機構の考察から,線径を細くすることによって磁束ジャンプ自体が発生しない,本質的に安定線材が得られることが分り,60年代末には多数の細いNbTi合金線を束ねた極細多芯線材が英国で開発されている.

超伝導線材を含めた超伝導磁石の開発研究は,欧米では高エネルギー物理学の研究者が中心となって推進された.極細多芯線も超伝導加速器を目指してRutherford研究所で開発されたものである.超伝導加速器が米国のFermi国立研究所で実現されたのは1985年であるが,その間,高エネルギー粒子の輸送,検出等にさまざまな形状,性能の超伝導機器の開発を通して技術が蓄積されて行った.これに対し,日本では60年代末に始った通産省のMHD(電磁流体)発電用の超伝導磁石の開発等,主として電力機器への応用を中心に開発が進められ,中でも1970年に始まった旧国鉄の超伝導磁気浮上列車の開発は,日本独自のプロジェクトとして世界の注目を集めた.

超伝導磁石を中心とする応用と並んで,Josephson効果を利用したエレクトロニクスへの応用研究も70年代に入ってから盛んになってきた.超伝導干渉効果を利用したSQUIDも実用的な高感度磁束計として市販されるようになり,超伝導磁石とともに次第に実験室で使われるようになってきた.一方,産業規模の応用として注目されたのは,前に述べた超高速スイッチ機能の高速電算機への応用である.IBMで開始された開発では,安定な酸化膜が生成できる鉛合金を用いた性能のそろった微小素子の集積化技術の開発が精力的に進められたが,性能のばらつきを許容範囲内におさめることの困難や素子の劣化の問題もあって,1983年に開発が中止されている.一方,日本では70年末から始まった通産の高速電算機開発プロジェクトの中でJosephson電算機の開発が電総研を中心に企業で開始され,鉛の代りにNbを用い,トンネル障壁にAl2O3を用いたNb素子の開発が進み,80年代に入って性能がそろった,極めて安定な素子の製作技術が確立されてJosephson電算機が構成できることが実証されている.実用的なJosephson電算機はまだ実現していないが,Nb素子の集積化技術は同期効果を利用した電圧標準維持の機能の飛躍的な向上をもたらし,またIBMプロジェクトで生まれた,入力コイルを一体化した,微小で高感度の集積化SQUIDの製作に利用されて,100個以上のSQUID素子を配列した脳磁計の製作に活用されている.


6. 多彩な超伝導物質の登場から高温時代の幕明けへ

70年代には応用の基礎をふくめて超伝導研究のフロンティアは多彩になってきたが,この時代の基礎研究の特徴を一つ上げるとすれば,さまざまな種類の超伝導物質の発見であろう.すでにp型半導体のGeTe, SnTeが,キャリア濃度が1021/cm3程度になる組成で超伝導を示すこと,水素還元した酸化物誘電体SrTiO3が1 K以下で超伝導に転移することは60年代に発見されていたが,1975年にはSrTiO3と同種類の酸化物BaPb1−xBixO3がx0.25で,キャリア濃度(〜1021/cm3)からみて異常に高いTc13Kをもつことが発見され,超伝導の発現機構に対する問題を投げかけた.

この頃から80年代にかけて,さらに多くの超伝導物質が次々に登場する.層状構造をもつNbS2, NbSe2, TaS2, TaSe2の超伝導的性質は,従来調べられてきた超伝導体と違って顕著な異方性を示すことと,TaS2の場合,層間に有機化合物を挿入するとTcが数倍にもなる興味ある性質を示す.この挿入効果は主として米国で研究されたが,異方性の研究は金研の武藤芳雄らによってもなされている.1972年,米国のMatthiasらは,新しく発見されたChevrel化合物PbMo6S8が比較的高いTc15Kで超伝導に転移することを発見したが,この物質で注目されたのは,数10Tに達する異常に高い上部臨界磁場Hc2をもつGeneve大学のFisherらの発見である.さらに同じグループの石川征靖(現東大物性研)はFisherとともに,Pbを4fスピンをもつ稀土類元素Hoにおき換えたHoMo6S8が,一旦超伝導状態に転移してから強磁性状態に移ることを発見し,大きな関心をよんだ.その後ErRh4B4も類似の振舞をすることが発見され,理論的解析が金研の立木昌(現金材技研),前川禎通(現名大)らを中心に精力的に進められた.磁性との関連でさらに注目を集めたのは,4f電子が価数揺動状態,あるいは濃厚近藤状態にあることを示す重い電子系をもつCeCu2Si2Tc0.5 Kで超伝導に転移する,というドイツのSteglichらの発見である.その後,重い電子系の振舞を示すUBe13, UPt3, URu2Si2も1K以上で超伝導に転移することが発見されている.この重い電子系の超伝導状態は未だに未知の部分が多い.

1964年に,W.Littleはエキシトンを媒介とする相互作用によって,一次元的な構造をもつ有機化合物で室温超伝導が期待できることを発表し,波紋を投げた.この期待は実現しなかったが,Ginzburgの理論的考察等,多くの研究を刺激する効果はあった.有機超伝導体(TMTSF)2PF6がフランスで発見されたのは,16年後の1980年である.この化合物でPF6をClO4, AsF6, SbF6, TaF6に置き換えた化合物も超伝導を示すが,ClO4以外は圧力を加えないと超伝導にならない.その後,(BEDT-TTF)2I3も常圧で超伝導を示すことが発見されている.これらの化合物のTcは,期待された高温ではなく,高々数Kに止っているが,興味ある超伝導特性を示す.有機超伝導体は日本でも京大,電総研,岡崎の分子研等で研究が進められており,成果が注目されている.

これらの新超伝導物質の多くは,単純な金属超伝導体と比べて色々な物性がからむ複雑な常伝導状態をもっており,超伝導の発現機構も単純ではない.高Tc材料の応用分野に対する重要性から,発現機構の基礎研究を要望した故安河内昴に応えて,中嶋貞雄を代表とする文部省特定研究「新超伝導物質」がスタートしたのは1984年である.スイスのBednorzとMllerが酸化物LaBaCuOで超伝導の徴候を発見したのは1986年であるが,単一相をもつ良質な試料の作製とMeissner効果の測定を通じて,(La1−xBax)2CuO4の組成をもつ試料が,当時の最高記録Tc=23K(Nb3Ge)を上まわるTcをもつ超伝導体であることを示したのは,特定研究でBaPbBiOの研究にとり組んできた田中昭二らの東大グループである.翌87年には米国のP. ChuらがTc90KのYBa2Cu3O7を発見し,さらに88年には金材技研の前田弘が100Kを越すTcをもつBi2Sr2Ca2CuO10を発見し,いわゆる超伝導フィーバが起ったことは記憶に新しい.

その後,酸化物超伝導体の分野で日本の研究者は目ざましい活躍をしている.すでに現役を引いていた筆者はその情況を伝える立場にはないが,そこに日本における超伝導研究の新しい伝統が築かれつつあることを感じる.


*251神奈川県藤沢市弥勒寺498-7 
**共立出版物性物理学講座