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「新著紹介」より
                       
 

会誌Vol.64(2009)「新著紹介」より


このページでは、物理学会誌「新著紹介」の欄より、一部を紹介者のご了解の上で転載しています。 ただし、転載にあたって多少の変更が加わっている場合もあります。 また、価格等は掲載時のもので、変動があり得ます。





L.レーダーマン,C.ヒル著,小林茂樹訳

対称性 レーダーマンが語る量子から宇宙まで



白揚社,東京,2008, 468 p, 19.5×14.0 cm, 本体3,200円[一般書]
ISBN 978-4-8269-0144-4


 
小松原 健 〈KEK素核研〉  


  本書は,米国シカゴのフェルミ国立加速器研究所(フェルミラボ)で活躍している素粒子実験家のLeon M. Lederman (1922-)と理論家のChristopher T. Hill (1951-)が著した「Symmetry and the Beautiful Universe」(2004)の邦訳である.一般の読者に向けて注意深く丁寧に書かれた現代物理学の入門書であるとともに,女性数学者のエミー・ネーター Emmy Noether (1882-1935)の功績の顕彰と,高等学校や大学初年での物理教育の改善を意図して書かれた本でもある.多くの会員に読んで頂きたいと思う.
“対称性” とその “破れ” は素粒子物理学の最前線のキーワードである.本書の特色は,対称性を武器にして自然を探求するという,物理学者の研究のアプローチを前面に押し出して現代物理学を説明していることにある.題材は元素合成,エネルギー保存則,古典力学, 相対性理論, パリティ, 自発的対称性の破れ, 量子力学, ゲージ不変性, 素粒子で,歴史的経緯を辿ってはおらず,好きなところから読み始めることができる.対称性を直接扱っていない章でも物理法則の対称性が常に意識されていて,例えば相対性理論の章では,不変インターバルを導入してからローレンツ変換の説明を行なっている.
エミー・ネーターの生涯(第3章)とネーターの定理 (第5章), そのもとになる連続的対称性(第4章)を解説しているのも本書の特色である.ネーターの名前は,対称性(数学)と保存則(物理学)を結びつけるネーターの定理とともに不朽であろう.にもかかわらず「学生に限らず,実際には大部分の人が,ネーターの名前を知らない.」 (p. 26) 3, 4, 5章の内容を講義や一般向け講演の中で是非生かして頂けたらと思う.
レーダーマン(フェルミラボの元所長で,ニュートリノの研究により1988年のノーベル物理学賞を受賞)は,フェルミラボ・レーダーマン科学センターやイリノイ数学科学アカデミーなどを通して科学教育に熱心に取り組んでいることでも知られる.本書の「教育に携わる人たちに贈るエピローグ」にあるように,執筆に先立ちhttp://www.emmynoether.comというそのものすばりのウェブサイトを立ち上げ,そこでの議論を参考にしたとのことである.物理教育に関連した鋭い指摘は随所に見られる.レーダーマンの科学教育への貢献については,本書と同時期に邦訳が出版された「科学力のためにできること-科学教育の危機を救ったレオン・レーダーマン」(近代科学社)を参照されたい.
本書の記述スタイルは極めてオーソドックスで,題材も物理学として確立しているものばかりである.邦訳もしくは原書を,学部生向けのゼミのテキストや講義の副読本に用いることもできると思う.ただし,本書は概説書ではなく入門書であり,対称性に関するすべてのトピックスを説明しているわけではない.(例えば,CP 対称性の破れと物質・反物質の非対称性にはpp. 242-245の4ページしか充てられていない.) また, 対称性の研究に重要な貢献をした実験や理論家への言及がわずかしかない.(南部,小林,益川らの名前が出てこないのは残念.)素粒子物理学を教える目的で本書を使う場合は,これらの点を適切に補う必要がある.
(2008年8月28日原稿受付)


 
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Y. Aharonov and D. Rohrlich


Quantum Paradoxes: Quantum Theory for the Perplexed



Wiley-VCH, Germany, 2005, x+289 p, 24.0×17.0 cm, US$95.00[一般書]
ISBN-13 978-3-527-40391-2
ISBN-10 3-527-40391-4


 
木  伸 〈富士常葉大〉  


  書評依頼を受け「題名だけ」を見たときには殊更に煽り立てる胡散臭い本かと思ったが,パラドックス(以下,PX)の分類から説き起こしていることに共感させられた.本書はPXをE型(error: 相対論の双子など理論適用の誤り)・C型(contradiction: 古典黒体輻射エネルギーの発散など理論内部矛盾)・G型(gap: 理論踏査不足)に三分類する.
“量子力学の総ての基本的諸相をより深く理解すること” を目指し,ダブルスリット干渉・Einstein-Podolsky-Rosen (EPR)相関・Aharonov-Bohm (AB)効果・猫・量子Zenon効果などが,“非局所性や因果律の問題” とも絡めて,次々にPXとして提示される.特に第一著者がAB効果の始祖だけあって,電磁場が様々に工夫を凝らした装いで登場し,ぼんやり読んでいると平易そうに見える語り口に誘導されて巧妙に仕掛けられた罠に落ちるスリルが味わえる. 終盤は, “スピン 1/2 の測定結果が100にもなり得る” というセンセーショナルな題目で20年前に発表された論文に端を発する,著者の持論が開陳される.
PXを提示して解くという体裁を採る以上,曖昧ないし不正確な言い回しが提示部分に登場するのは必然である.しかし,提示部分以外にも, “非局所性” あるいは “相互作用” といった語の使い方(例えば相互作用と相関の混同)など,不適切な表現が散見される.特に,上述の “100にもなり得る測定結果”(弱値(weak value)と呼ばれる)を “測定値” と呼ぶことなどに対する異論が論文発表直後から出されているにも拘わらず,本書に明確な説明がないのは残念.(“弱値” が諸文脈で有用との指摘もあるが, “測定値” という呼称の正当性とは別のことである.)
著者の持論に賛同するか否かは別として,各章のPXが何型かと考えながら読むと面白いかもしれない.(著者による型判定は第1章末に述べてあり,そこには “猫のPXが何型かはopen questionである” と書かれている.)PX分類に関し評者の私見を述べたい:(1) G型は,提起時点においてはC型の可能性もあり,その後の踏査で解消されて G 型と判明する. (2) ECGに加えて S 型 (schism) とでも呼ぶべきもの(理論と「ある種の実在論」の齟齬)がある.
本書は,学生・教師・研究者を問わず,漠然とした言い回しの背後を相当程度に見透かせるだけの素養に加えて遊び心のある人が,本気で反論を試みたり,初学者を惑わす語りの手引書として活用すれば,大いに楽しめるであろう.その意味で「大人向き」である.(緒言に “初学生にも使える” とあるが賛同できない.第1章にG型の説明として登場するWheeler's demonとBekenstein-Hawking踏査からして初学生向きではないし,“演習” の形で書かれている初等量子力学解説も雑な記述や誤りが気になる.大人の指導者が付けば良いかもしれないが.)
(2008年8月15日原稿受付)


 
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日本天文学会百年史編纂委員会編

日本の天文学の百年



恒星社厚生閣,東京,2008, xxxiv+341 p, 26.5×19.5 cm,本体3,300円[一般書・専門書]
ISBN 978-4-7699-1078-7


 
小 沼 通 二  


  日本天文学会が創立百年を迎え,記念事業の一つとして,本書が作られた.
本書を見ると,学会創立の1908年は,東京天文台が発足した年であり,東大に星学科ができて20年,京大に宇宙物理学科ができる10年前だった.
このような早い時期に学会が発足したのは,狭い意味の研究者だけでなく,アマチュア天文家が会員となって学会を支え,活動に参加したからだった.
このような学会の歴史も興味深いが,本書の中心は,学会発足のはるか以前の黎明期と,それに続く勃興期の記述に始まり,最近の研究まで含めた発展期を16のテーマに分けて解説してくれる日本の天文学・宇宙物理学の歴史である.全ての記述に執筆者が明記されていて,没個性的な当たり障りのない通史に陥ることなく,個々の業績まで責任を持って取り上げ紹介しているので,歴史の中でのそれらの位置づけが分かり,興味深く,好感が持てる.
物理の分野から見ると,物理研究の一部である宇宙物理学や宇宙線研究の業績だと思っている多くの研究が,天文学全体の発展の中に,堂々と市民権を持って位置づけられ,評価されていることが各所に現れている.
本書の中には,「1948年会一部数物学会と共催」という記述がある.しかし数物学会(日本数学物理学会)は1945年に解散を決め,1946年に日本物理学会(物理学会と略)が発足しているので,調べてみた.物理学会では,「年会の中 天文の部を日本天文学会と共同主催する件」を決定し,5月21, 22日に京大理学部宇宙物理学教室で34の講演が行なわれたのだった.
振り返ってみると1877年に発足した東京数学会社の社則(1880年)に,「本社ハ数学測量天文ノ学術ヲ研究練磨シ…」とあり,1884年に東京数学物理学会に改組された時の学会規則にも,「本会ノ主旨ハ同志相会シテ数学及ビ物理学(星学ヲ含ム)ヲ攻究シ…」とされてきた.1919年に日本数学物理学会に改称されてからも,後に物理学会と数学会が分離してからも,天文学は一貫して物理学会の活動の一角を担い続けて来たのだった.
このような角度から本書を見ると,物理学会およびその前身の中での活動が,かならずしも本書に適切に含まれていないのではないかと思われる.
しかし,書物の価値は,書いてある内容で評価すべきだろう.実際,専門論文の引用もつけてある反面,広い読者向けの工夫が各所にもられている.個人史のインタビュー,聞き書き,随筆のコラムなども楽しめる.
アマチュア天文家に贈った天体発見賞のリストが延々と続くことも驚きである.発足時から続けてきた啓蒙・普及への地道な努力が,本書の読みやすさの基礎にある.どこからでも読めるので,是非直接ご覧いただきたい.
(2008年9月2日原稿受付)


 
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伏見康治


光る原子,波うつ電子



丸善,東京,2008, x+240 p, 19.0×13.0 cm,本体1,800円[学部向・一般書]
ISBN 978-4-621-07943-0

 
有 山 正 孝 


  この書評の依頼を受けた時,伏見先生は未だご健在であった.もしこの書評を目にされたなら,先生はカラカラと打ち笑って「何だ,こんな書評を書いたのですか」と言われたであろう.悲しいかな,そのお声を聴くことはもはやできない.しかし今この書をひもとくとき,先生の諄々と説かれるお声が行間から伝わってくるように感ずるのである.
この書は1941年12月から1944年5月にかけて,当時中央公論社から仁科芳雄博士監修の下に発行されていた一般向け科学雑誌 “図解科学” に伏見康治博士が執筆して断続的に掲載された10編の解説を,60年余を隔てた今年,初めて1冊の書にまとめて出版したものである.2007年6月に開催された著者の白寿を祝う会を契機に出版の機運が起こり,小沼通二博士が中心となって,散逸していた “図解科学” の掲載号を集めて編集し,漢字・仮名遣いを現代のものに改め,内容も見直し註を付け加えて出版した.第1刷は2008年1月25日,これに修正を加えた第 2 刷が 4 月 20 日に発行され, さらに修正・補足を加えた第 3 刷が 6 月 30 日に発行された.第3刷のために小沼が著者と最後の内容検討を行ったのは 2008 年 5 月 1 日, 著者の逝去 1 週間前のことであり,まさしく遺作というに相応しい書である.
内容は原子論的な物質構造から説き起こし,光の波動性,電子とその波動性,光の粒子性,原子模型と原子スペクトルに及ぶ,いわゆる原子物理の初歩である.数式を用いることを勉めて避ける一方,図は多く挿入されている.その中には手書きのものも多いが,これらは幼少時より画才のあった著者が自らその下絵を描いたと伝え聞く.また一般読者の理解を助けるために,章によっては対話形式をとり,敢えて初歩的な質問を提起してはそれに答える形で議論が展開されている.かなり大胆な喩えも用いられている.光の波動性と粒子性を説明する中で爆風と機銃掃射の例を引いているのは執筆された時代の然らしむるところであろう.“エーテル” という語が登場するのに読者は愕然とするかも知れないが,これには当初から注意深い注釈が附け加えられている.全体が “ですます体” で書かれているのも読者に親しみを覚えさせる心配りであろう.なお “図解科学” は横書き2段組であったが,今回は出版社の示唆により縦書きに組まれている.
“図解科学” への連載執筆は, 著者自身が “はしがき” の中に述べているように,旅行途次の仁科に大阪駅頭に呼び出されて依頼を受け,承諾したということであるが,当時は大阪のような主要駅では急行列車でも 5 分・10 分の停車は普通だったので,このような話し合いがなされるのは珍しいことではない.“軍事研究の一端を受け持てという話ではなかったので大いに安心した” という伏見は恐らくその場で承諾したと思われるが, 仁科は “図解科学” のために実に適任の執筆者を得たのであった.著者の学識についてはもとよりその巧みな表現に対して,当時の読者の評価も高かったと伝えられている.
この連載記事が掲載されたのは量子力学が形成されて十数年が経過した時期で,また当時の著者は大阪帝国大学教授,年齢は32歳から34歳にかけての頃である.ようやく解明され始めたミクロの世界に対して一般の関心も高まっていたことと想像されるが,その関心に応えて最新の科学知識について第1級の若手研究者が一般向きに懇切丁寧な解説を著す活動に加わっていたことは注目さるべきであろう.我々もこれを頂門の一針として受け止め,若者の “物理離れ” を嘆く前に,物理に関わる啓蒙活動に更に時間とエネルギーを傾注することを考えねばなるまい.ただしこの連載記事が書かれた当時,科学知識の普及が推奨された背景には, “これからの戦争は科学戦であり,それに備えるためには国民の科学知識の向上が必須である” という風潮があったことも忘れてはなるまい.
1941年から1944年にかけては,わが国が成算に乏しい戦争を開始し,破滅に向って突き進んだ惨憺たる時代であった.すなわちこの連載は第2次世界大戦が西太平洋地域に拡大する契機となった日本海軍の真珠湾攻撃の直前に始まり,日本海軍が組織的戦闘能力を喪失するに至ったマリアナ沖海戦の少し前に中断されている.戦況の悪化に伴い国内では軍事色が色濃くなり,精神的側面においても物質的側面においても統制は強化された.(旧制の)中学生・高校生は勤労動員と称して農村や軍需工場の労働力としてはじめは間歇的に,そして遂には恒常的に駆り出され,学校で授業を受ける機会は失われた.軍の学校や予科練等の志願兵に身を投ずる者も少なくなかった.文科系大学生の徴兵猶予も廃止され,1943年10月21日には神宮球場において学徒出陣壮行会が挙行され,テレビの映像等でよく知られる雨中の分列行進が行われたのである.このように若者にとって未来の希望のなかった時代,もっとあからさまに言えば生きる見込みさえなかった時代に,新しい科学の知見に触れることは微かな光明であり,ささやかな悦びであり慰めであったであろう.しかしこの雑誌 “図解科学” にも弾圧の手が及ぶ.著者の序言にも記されているとおり,国民の思想統制の一端を担う内閣情報局は “基礎科学とそれに関係を持つ応用科学に重点を置く” この雑誌に対して “戦意高揚に資する軍事科学を専門とする” よう,圧力をかけた.中央公論社はこれには屈しなかったが, 1944年7月, 別の理由で自主的に廃業せざるを得なくなり, “図解科学” の発行は朝日新聞社に委ねられたが伏見の執筆は終わった.この連載記事がその当時一冊の本にまとめて出版されなかった理由も,この辺にあったに相違ない.
最後の掲載となった “10原子アンテナ” の章を著者は次の文によって結んでいる.
“兄が語り終わったときには,春の日はすでにかげって,夕映えが窓外の樹々と防空壕を淡く彩っていました.”
それから半年あまりの後,日本各地に対する空襲が開始され,日本国民は身を護るには余りにも粗末な防空壕に運命を託して爆弾の雨に耐えることとなる.そしてその間に科学は核分裂を兵器として利用することに成功し,実用された最初の2つの原子爆弾は,戦術的・戦略的必要性よりはむしろ国際政治上の理由によって,市民の頭上に炸裂したのであった.
このように複雑な時代背景が秘められているこの書の出版には,まことに意義深いものがあると言わねばならない.あの時代を知る者の少なくなった今日,それを知らない人々も心して行間まで読んでいただきたい一書である.
(2008年9月7日原稿受付)


 
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宇津呂雄彦

中性子光学-実験による量子力学の探求と応用-



吉岡書店,京都市,2007, viii+260 p, 21.0×15.0 cm, 本体3,200円[大学院向]
ISBN 978-4-8427-0344-2

 
阿知波紀郎 〈阪大院理〉 
 


  副題にあるように,低速中性子のde Broglie物質波として示す光学特性について量子力学の基礎を検証する諸実験を意識しながら,その発展のエポックとなる数多くの実験論文が約300編紹介されている.
古典光学類似の中性子の光学的性質は,中性子が質量を持ったフェルミオンとして,自然の4つの力(重力,電磁力,弱い力,強い力)のすべてを体験するため,光学的位相などの解釈におのずと光には存在しない特徴が現れる.中性子波動関数の位相は,中性子と相互作用するあらゆる種類のポテンシャルエネルギーを反映する.たとえば,磁場中の中性子スピンのラーモア回転は ↑ スピンと ↓ スピンの中性子波動関数の位相差と解釈できる.中性子干渉計は,種々のポテンシャルによる中性子波動関数の位相差を精密に測定することができる.第1章「中性子の波動-粒子2重性」では,極冷中性子の高周波振動鏡による単色中性子の反射がフォノン状の部分高調波で表される時間依存量子力学解を確認したFelberらの実験解析が紹介されている.これは,時間変動ポテンシャルの振幅の増加に従って,エネルギー遷移がとびとびの量子力学解から古典的連続解への移行を観測したもので大変教育的な題材である. Rabi が提唱し, AlvarezとBlochにより核磁気共鳴法により中性子の磁気モーメントが早くも1939年に測定された.この手法は,現在にいたるまで,中性子の電気双極能率の精密測定,共鳴中性子スピンエコー法(Gahler, Golub)などに用いられている.中性子のラーモア歳差回転を用いた中性子分光器は, Mezeiにより1972年に提案され,物質ダイナミックスを時間空間相関関数として測定できる.第2章第3章で解説される中性子の反射屈折などの中性子光学を応用したデバイスの発展として,近年中性子スーパーミラーを利用した中性子導管,中性子ベンダー,中性子モノクロメータ,中性子偏極子,偏極中性子集光,中性子のラーモア回転や,磁気共鳴中性子フリッパーを利用した新しい中性子分光器の開発,など著しい発展がなされている.これらの中性子光学デバイスは新たに始まったわが国の大型加速器施設J-PARCにおける大型パルス中性子源が稼動始めた今,種々工夫された多くの中性子分光器のあらゆる部分のなかに登場しつつある.中性子スピン波動関数の位相の測定としては,中性子のラーモア歳差回転状態をスピノールで表しその4π周期性を示したWernerらの実験,スピンの可干渉的重ね合わせをSi干渉計を用いて示したSummhammerらの実験,分波をスピン状態により行い,その後かさね合わせる実験は,海老沢らにより行われた.これからは,スピン状態間の無磁場空間経路位相差によりスピン歳差回転が出来るなど興味深い結果が得られている.第4章「中性子回折と散乱における光学現象」では,通常の動力学的回折現象や, 小角散乱以外に,Bouwmanらによる中性子スピンエコー小角散乱による散乱の空間相関関数の測定や,Hilsらによる動作枠重複型中性子飛行時間分光器を用いて,スリット開閉による時間回折効果(時間サイドバンド)の観測が述べられている.第5章「中性子干渉と位相の観測」では,はじめにRauch, Bonseらによるシリコン完全結晶干渉計が紹介され,これを用いた,Overhauser, Colellaによる中性子の重力質量と慣性質量の等価原理,Summhammerらによる中性子吸収の確率論的過程と決定論過程,Jacobsonらによる事後選択実験,Badurekらによる干渉計分波の2重共鳴実験,EPRパラドックス検証実験として長谷川による Bell の不等式の破れの実験が解説されている.電子によるAharonov-Bohm (AB)効果と比較される中性子によるAharonov-Casher効果,スカラーAB効果のうち,回折格子を用いた中性子干渉計ではZouwらによるスカラーAB効果が紹介されている.多層膜鏡を用いた干渉計実験では,舟橋らによる分波経路差による干渉縞の観測,海老沢らによる位相エコー型スピン干渉計の開発は完全結晶中性子干渉計とは異なる長波長中性子の特性を生かした位相測定が可能となった.日野らは,磁気多層膜ファブリ・ペロー共鳴を利用して,束縛準粒子のトンネル滞在位相を10連結ファブリ・ペロー共鳴まで示し,平面波理論と良い一致を示した.宇津呂,日野は共鳴束縛トンネル透過中性子に対して,Schrodinger波束,de Broglie波束理論の検証を試みた.
これらの成果は,中性子干渉計の分波が,かならずしも空間分波のみならず,スピン空間分波,エネルギー空間分波など多用な中性子干渉計が可能であることを示した.のみならず,J-PARC大強度中性子源に設置予定の中性子散乱分光器の開発に関しても飛行時間がマイクロ秒の時間ビートが可能となるMIEZEスピンエコー法,共鳴中性子スピン分光法などの新たな分光法の開発がなされつつある.
この書は,これら現在進行しつつある中性子技術革新において中性子利用の開発・中性子散乱,基礎物理実験など新分野開拓に携わる研究者,大学院生にとって重要な指針となりうる.
(2008年5月14日原稿受付)


 
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井田 茂,佐藤文衛,田村元秀,須藤 靖

宇宙は “地球” であふれている-見えてきた系外惑星の素顔-



技術評論社,東京,2008, 224 p, 19×13 cm, 本体1,580円[一般書・学部向]
ISBN 978-4-7741-3367-6

 
住  貴 宏 〈名大STE〉
 


  FS映画でお馴染みの宇宙人は何処からきたのだろう? 火星人を除けば,それは太陽系の外にある惑星(系外惑星) からだろう. 本書は, このSFでしかなかった系外惑星が科学になった現在の天文学の最前線を分かり易く紹介している.著者は日本を代表する系外惑星研究の理論的,観測的な第一人者達で彼ら自身の研究成果を交え世界最先端の結果を分かり易くまとめている.
20世紀に入り観測技術の向上に伴い「宇宙の果て」に関する理解は飛躍的に進歩したが,系外惑星の発見は1995年まで待たねばならなかった.近くても暗い惑星は検出しにくく,隣にある主星からの強い光がさらに観測を困難にしている.本書では,太陽系を外から見るとどう見えるかを例にこの困難さを示し, 1930 年代から始まった系外惑星探査の苦悩の歴史を紹介している.系外惑星探査の歴史は観測技術向上の歴史である.系外惑星発見に先立ち,宇宙望遠鏡やすばる望遠鏡の登場で,惑星の種となるガスや塵でできた円盤や,褐色矮星が観測されるようになり系外惑星発見への期待は高まった. 1995 年ついに初の系外惑星が発見され,一躍天文学の主役に躍り出た.
観測困難な系外惑星をどのように観測するのか? 第2章では,5種類の検出方法を,式は省き原理を図解し,実際の観測例を交えて紹介しており非常に分かり易い.そして実際に見つかっている約300個の系外惑星がどのような物かをまとめている.太陽系とかけ離れた物ばかりなのには驚かされる.
では,このような惑星系はどのようにできたのか? 第3章では,星ができた時の残骸であるガスや塵から惑星が生まれる様子を,現在最も受け入れられているモデルにそって紹介している.こうした理論研究は系外惑星発見前から,太陽系の形成モデルとして研究されていた.本書でも,太陽系形成のシナリオを紹介して,その後発見された様々な系外惑星がどのようにできるかを説明する最新の理論モデルを紹介している.
第4章では,5つの観測方法の中でも特に惑星の情報が詳細に分かるトランジット法について掘り下げている.アマチュア天文家が最先端の観測に参加している例を紹介しているのは興味深い.第5章では,近い将来の観測計画で,いよいよ地球そっくりな系外惑星の発見が期待されていることを紹介して,さらに未来の地球外生命発見の方法を真剣に議論している.
本書は,数式がなくほぼ全てのページに写真や図を使った説明により原理や結果が分かり易く書かれており,一般や学部学生が気軽に読むことができる.それにも関わらず,最先端の理論や観測結果を網羅しており,これから系外惑星を学ぼうとする大学院生や専門家でも満足できる一冊である.
(2008年9月19日原稿受付)


 
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高木隆司

「理科」「数学」が好きになる 楽しい数理実験

講談社,東京,2008, 190 p, 21.0×15.0 cm, 本体2,400円[一般書]
ISBN 978-4-06-153137-6


 
小 川  泰* 〈ISTA〉  


  「家でも学校でもできる」と帯にある60余りの実験に必要な物を列挙しておく.針金,シャボン液(台所用洗剤,グリセリン),サイコロ,折り紙,厚紙,鏡素材(アルミ板,アクリル板など),発泡スチロール球,輪ゴム,紙粘土,糸,各種の接着剤等の手近な素材.測定や作図用に,ものさし,分度器, 定規, 鉛筆, マーカーペン, カッターナイフ,セロハンテープ等の文具と筆記用具.相似な図形を多数作るためのコピーサービス.記録やデータの処理用に,カメラ,電卓,測定対象としてヒマワリと巻き貝の(実物または写真)とヘソの見える人体写真である.
これらのモノ以外に重要なのは,遊び,楽しむ心,好奇心,既成概念にとらわれない工夫の態度.
現在の理数教育制度では,数学と理科は別の教科.理科という教科は英語ではScience(科学)である.日本語では,新しいことを研究するときは「科学」,教えるときは「理科」と区別している.運動法則や万有引力などの力学研究と同時に,微分学という新しい数学を創り上げた17世紀のニュートンの成果は 『自然哲学の数学的諸原理』(通称プリンキピア)である.両者が近代科学誕生の過程で同根であったことを考えて,数学と理科を切り離さない理解の重視が基本思想である.それらの思いを 『楽しい数理実験』 の数理という言葉に込めており,評者も賛同する.
提案されている61件の実験が,本書を頼りに実践可能で,その成果が,現行制度にとらわれないさまざまな工夫や試みを誘発できるならば,何かが好転する契機として期待したい.直接のターゲットとしての生徒・学生も重要であるが,理工系教育再生のポイントが優秀な教員の養成・確保にあるとしよう.
* 筑波大名誉教授
さてこの61件の実験内容を登場順に章・副題(内容説明)・実験件数を列挙すると:
1.「ねじれ」と「くびれ」・シャボン膜のトポロジー・8; 2.折り紙は天才である・折りと角度の幾何学・5; 3.万華鏡と手まり・鏡でつくる立体図形,10; 4.シャボン玉と縄張り・空間を埋め尽くすには? 7; 5.ハチの巣とケルビン立体・でたらめを実験する・7; 6.サイコロと酔っぱらい・色々な螺旋を描く,7; 7.アルキメデスとオーム貝とヒマワリと・平面の敷きつめと分割・6; 8.美の中の数理・黄金比を探そう,11.
番号で区別された個々の実験は4択や穴埋め式等の形式になっている.その意味では現行制度に収まる形式を取っている.
以下は,実践しない読者としての評者が感じた印象である.冒頭に,誰でもがそれなりの楽しみ方ができるシャボン膜という題材から始めるという意図はわかるし,針金枠の形毎にできる膜の特長を予想させる設問も納得できる.しかし,鞍形シャボン膜が登場する実験2あたりでは,立体的状況を説明する図が工夫されてはいるものの,十分に把握できるかどうかの危惧を感じた.理屈はわからなくても,とにかく積極的に答えを想像してみるタイプの者は予想が外れても落ち込まずに,当たった! 外れた! と予想を楽しんで進むだろうが,状況把握が困難なときにも当てずっぽうを嫌い,黙って論理的に考えようとするタイプの者がこのあたりで沈没する可能性を危惧する.その意味では,折り紙を蛇腹状に折って離散化した鞍形曲面状のものを作ることを先行させるのも一案かと思う.
(2008年9月3日原稿受付)


 
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E. M. Henley and A. Garcia

Subatomic Physics (3rd Edition)

World Scientific, Singapore, 2007, xx+620 p, 25.0×17.0 cm, US$58/£33[専門書・大学院向]
ISBN 978-981-270-056-8


 
清 水 則 孝 〈東大理〉  


  本書はすでに著名な原子核・素粒子物理の教科書の第三版である.第二版は1991年に実験家のH. Frauenfelderと理論家の E. M. Henley によって出版されていたが,前者はすでにこの分野から離れているため同じく実験家のA. Garciaに交代している.著者2名による実験,理論の両側面からの明解な記述というスタイルは健在である.内容は,素粒子・原子核物理と,その関連領域であり,加速器技術から,量子力学,素粒子,ハドロン物理,電弱理論,核子多体論,天体核物理学まで,幅広くカバーしている.
第三版では紙面のレイアウトも一新され,白黒だった写真,図も多数カラーに置き換えられたことにより,読みやすさが改善された.内容的にも,新しい実験データによる修正や構成の見直しにとどまらず,ニュートリノ振動の発見とそれに関連する話題など,第二版出版以降の新しいトピックが加筆され,この研究分野の現状と豊かさを読者に伝えてくれる.主な加筆箇所は以下の通りである.
・2章と4章における加速器,検出器技術の進展.
・11章におけるニュートリノ振動とマヨラナ粒子,CKM行列.
・14.9章における低エネルギー領域でのQCDの成果,特にカイラル摂動論と格子QCD.
・16.4章における相対論的重イオン衝突実験とその成果.
・17.7章における安定線から離れた不安定核のエキゾチックな構造.
・19章における天体物理学との関連,レプトジェネシス.
本書は,Dirac方程式や場の量子論を用いないという条件の中で,幅広い分野をself-containedに記述するよう構成されており,初等の量子力学の知識さえあれば式の導出も含めて理解できるような配慮がなされている.ゆえに,学部生から修士課程の大学院生向けの教科書として最適であるが,詳しく書かれて箇所も多く,それ以上の読者にも得るものがあるだろう.ちなみに,実際に学部4年生を対象に本書を用いて輪講を行ったところ,一学期間(12回)で,全19章中,5章から12章までを終えられた.その際には章末の演習問題は行わなかったが,適当に選んで回答することを奨めたい.
巻末のAppendixは削除されたが各章末の豊富な参照文献と演習問題はさらに追加されており,本書の魅力を増している.総数545問の章末問題の半数は,同出版社から出版されている“Subatomic Physics Solutions Manual"に解説されているので参考にされたい.
(2008年8月31日原稿受付)


 
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吉田善章

非線形とは何か; 複雑系への挑戦

岩波書店,東京,2008, xii+201 p, 21.7×15.5 cm, 本体3,300円[学部向・一般書]
ISBN 978-4-00-005877-3

 
田 中 ダ ン 〈福井大院工〉
 


  これに類する本をすぐには挙げにくい,と言うと評者の不勉強を疑われるだろうか.私の院生で理学知識に疎くも有志の者に,一週間での通読を勧めよう.
章の初めに新書のような概念解説があり,数式の直感的解釈は各所にある.線形代数を復習しつつ,線形法則とその破綻が丁寧に書かれ,解析力学,カオス,確率過程,統計力学,フラクタル,スケーリング,特異摂動などが概説される.章末には,解の一意性,微分可能性,有限と無限の違い,極限操作への注意などが記される.参考文献は短い紹介文付きで,著者が厳選したのだろう少数が挙げられている.
全体を通し,目次から想像する程の奇はてらわれず,標準的な内容が「非線形とは何か」という文脈に束ねられ,多くのキーワードの紹介とともに,よくまとまった講義を想起させた.他所で培ったことを踏まえて読めば,非線形系に挑む際の良い門前準備になるだろう.表紙に「複雑系への挑戦」とあるが,複雑系解析の教書というよりは,複雑を語る前に知るべき事柄の概論書であって,むしろ,複雑を複雑に論ずる者への挑戦とも解釈できる.
非線形科学は今や,新しさゆえの胡散臭さを洗練し,確立された重要概念や解析手法を体系化して,教養へ浸透させるべき時期に思う.このような時代背景のもと,線形の補集合たる非線形という消極的定義を再考させる本だろう.
(2008年9月8日原稿受付)


 
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星崎憲夫,町田 茂


基幹物理学-こつこつと学ぶ人のためのテキスト-

てらぺいあ,東京,2008, xvi+1145 p, 25.5×18.5 cm, 本体10,000円[学部向]
ISBN 978-4-88699-017-4

 
古 賀 幹 人 〈静岡大教育〉 
 


  比較的真面目な学生に,「どこまで勉強すればよいのですか?」という質問を受けた経験は,教員をやっていれば多少ともあるのではないだろうか.私の場合,この「どこまで」にどのように答えてよいか分からず,大学ということもあるので,「自分がやりたい所までトコトンやればいいじゃないか」と答えてしまう.しかし,学生の不満げな表情を見ると,「どこまで」ということを具体的に示してやる必要があったかもしれない.それと同じく「どこから」というのもなかなか悩ましい問題である.
本書は大学に入学したての学生に向けた教科書であるが,「こつこつと学ぶ人のためのテキスト」と副題が示しているように,決して易しいという内容ではない.とりあえず最終章を見ると,「どこまで」に相当するのは「量子力学的な場の理解」のようである.では,そこにたどり着くには,どのような道のりをたどっていけばよいのか.そこで第1章から見てみると,力学の基礎から始まり,熱学,振動,波動,電磁気学などをへる標準的な展開である.この本1冊でその流れを概観できるのであるが,1,000ページにも記述は及ぶ.
1冊にまとまっている長所として,第II部(約150ページ分)の量子力学で登場する数々の数式が,第I部(約800ページ分)で学ぶ古典力学のものと直結していると実感することができる.例えば,ド・ブロイ波の数学的記述については,波動の章のこの式の形と同じである,というように具体的に示してあるので,量子力学と古典力学との関連がすぐに見える.また,第I部・電磁気学の章において,点電荷の自己エネルギーの解説のところで,発散の困難と繰り込みについて軽く触れられている.これは,「場の量子論」を「どこまで」の目標の1つと著者が考えているからであろう.
反対に「どこから」ということで本書を見ると,付録として「数学の復習」に約150ページも割かれている.高校数学を基本とするが,中学レベルの数学も含まれており,基本的過ぎるのではないかと戸惑いを覚える.微分・積分の内容はここには書かれておらず,力学や振動の章で解説されている.微分・積分の習得は高校の段階では不十分であることが前提なのだろう.物理を学びながら,微分・積分を理解していくようになっている.
読み応えがあると思った内容として,「ホイヘンスの原理」と「物質中の電磁場」が挙げられる.前者は高校物理でも取り上げられるが,数学的な基礎づけはかなり高度であり,普通初等物理学の教科書で目にすることはないと思う.後者についても,通常の初等的な扱いは電磁気学の基本的な法則に終始するが,本書は具体的な扱いにも力点をおいている.初学者にとっては,電磁気学のアカデミックな部分よりも,応用のほうが重要かもしれない.「どこまで」という学生の問いに対して,「物質中の電磁場を理解する」という独自の目標をこの本で示してやるのもよいだろう.
以上,1,000ページにも及ぶ本書を,教えるという立場から評してみた.文庫本のようなコンパクトな教科書が増えている昨今,辞書のように分厚くて値段は高いが,このような教科書の存在は貴重であるように思う.
(2008年9月29日原稿受付)


 
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井上 恭

工学系のための量子光学

森北出版,東京,2008, vi+185 p, 22.0×16.0 cm, 本体3,200円[大学院・学部向]
ISBN 978-4-627-15411-7


 
山 本 直 樹 〈慶大理工〉  


  本書は,量子力学をほとんど知らない読者に,量子光学の基礎とその量子情報への応用を理解してもらうことを目的とする野心的なテキストである.量子光学系は量子情報通信を工学的に実現する最適なプラットフォームの1つであり,それが対象に据えられていることからも,本書は伝統的な量子力学のテキストと一線を画するまさに「工学系のための」教科書であると言える.量子力学の基礎に加えて,光通信路の損失の影響などの工学的に重要な問題にも触れてあり,初学者のみならず現場の研究者にとっても有用である.
第1章では,古典的な空洞放射実験を説明するプランクの公式を導く過程において,光子が光の最小単位であることを説明している.筆者はこの歴史的背景については読み飛ばして構わないと述べているが,実は初学者であろう読者は,たとえ最初は読み飛ばしても必ず第1章に戻るような工夫がされている.事実,本書の最大の特徴は量子力学の入門書でありかつ量子光学のテキストであるという点にあり,そのため読者がはじめて出会うすべての量子力学の不思議は,第1章で述べられる「光子の分割不可能性」で説明される.もちろん,本章は量子力学入門としても非常に分かり易く書かれており,読者は無理なく光子の存在を受け入れることができるであろう.第1章の最後には「よく,光の粒が空間を飛び廻っている図を見かけるが,これは便宜上そう描かれるだけで,実際に粒状の物があたかも鉄砲玉のように飛んでいるわけではない.」としっかり説明されている.非常に教育的である.
第2章は,量子力学の初学者に向けた量子力学の入門である.言うまでもなく「重ね合わせの原理」が量子論を理解するための最初のハードルであるが,筆者は内容が量子光学に限られていることを逆に利用し,極めて平易にその原理を説明している.例えば,光子1個をビームスプリッタの片側ポートに入力し,2つの出力ポートのどちらに光子1個が出てくるかわからないことから,出力量子状態はそれらの重ね合わせであると説明している.この論理は,第1章で説明した光子の分割不可能性に根拠を置いている.さらに,光経路の途中に屈折率板を挿入する状態を考察することで,量子状態の位相の概念を説明している.このような直感的説明を経て,ブラ・ケットを用いる量子状態の記法を導入する筆者の手法はJ. J. Sakuraiの教科書のスピンに関する記述を彷彿させるが,そこでも光通信を念頭に置く工学者向けテキストとしてのスタンスは一貫している.
第3章,第4章ではそれぞれ電磁場の量子化,コヒーレントおよびスクイズド光が物理学者にとっても標準的な論法で説明されている.古典雑音による光の損失などが述べてあり,光通信への応用を念頭におく工学者への配慮が見られる.
第5章はレーザの原理であり,筆者がまえがきで述べているように,「ふだん天下り的に扱っているであろう現象を量子力学の原理から説き起こすことは,通信を勉強・研究する学生にとっても有意」であろう.実際,自然放出は光の量子論を用いなければ説明できないことが半古典論をふまえて解説されており,レーザを扱う工学者にとっていやでも興味を引く内容となっている.
第6章では量子光を実現する手段として極めて重要である光パラメトリック増幅を扱っており,この章まで達すると本書が初学者のみならず現場の研究者にとっても有用であることが実感できる.
第7章,第8章では再び単一光子に注目し,いくつかの光子干渉を解説している.通常,この現象を理解しようと思えばビームスプリッタやパラメトリック増幅をユニタリ変換で表現し,光子間相互作用の過程を詳細に計算することになる.しかし本書は初学者に配慮し,思い切って重ね合わせの原理のみで干渉を説明する方法をとっている.この方法は数学的に明らかな誤りを含んではいるものの,計算が格段に容易になる.量子性の発現を手早く実感できた読書には,他の専門書を参考に詳細な計算を追うことが期待される.
最後の第9章,第10章では量子情報理論への応用が概説されている.しかしベル不等式の計算や量子もつれ発生法などのアドバンストな内容も含まれており,読者は量子光学研究の面白さを実感できるうえ,後々専門的な研究を行うようになってからでも参考になる構成となっている.
本書には解答つきの問題も多数含まれており,非常に教育的である.そして,いたるところ挿入されているコラムには筆者の「本音」も含まれていてとても面白い.例えば「1光子状態を発生させる実験が極めて困難で,もう2度とやりたくないと思った」などとその道の専門家から聞かされると思わず驚いてしまうが,一流の研究の舞台裏を垣間見ることができ,大いに奮い立たされる.
まとめると,本書は200ページ以下の手頃な分量にも拘わらず,古典量子光学から量子情報への応用までの幅広い内容を,読者に理解させることに成功している,理想的な量子光学のテキストである.本書によって速やかに量子光学・量子情報分野の面白さを実感できた工学者が,次なるステップへ進むであろうことは想像に難くない.また,物理学者が読んでも工学者向けの説明や講演などで参考にすべき記述が多数あり,大変勉強になる一冊である.
(2008年10月1日原稿受付)


 
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阪口 秀,草野完也,末次大輔編

階層構造の科学; 宇宙・地球・生命をつなぐ新しい視点

東京大学出版会,東京,2008, viii+227 p, 21.0×15.0 cm, 本体2,800円[学部向]
ISBN 978-4-13-060306-5


 
池 内  了 〈総研大〉 


  私たちが知っている自然界の物質世界は,大きく3つの階層構造に分けることができる.強い力が支配するクォークを基本粒子とする世界,電磁力が支配する原子を基本粒子とする世界,重力が支配する星を基本粒子とする世界である.これは,物質間に働く基本的な力がそれぞれ異なった特徴ある構造を形成しているという意味で,いわば静的な階層分類と言える.
しかしながら,実際のマクロシステムは3つの物質世界が共存し,それぞれが部分系を構成しながら互いに非線形で相互作用し合っている.通例,これらは「複雑系の科学」と呼ばれるのだが,本書の著者たちは「階層構造の科学」と呼ぶ.系を構成する部分系を異なった相互作用をする階層構造として捉え,その各々の存在理由や基本過程を明らかにしながら,階層間の反応や相互転換などの非線形結合を考慮して全体系の発展を解こうという方針を明示したいためだろう.キーワードは,不安定・波動とリズム(周期性)・干渉・協調と競争・分岐と合体・カオスなどであろうか.非線形過程を特徴づける言葉ばかりだが,対象とするシステムによってそのいずれが主役を演じるかは異なっている.その一つ一つを克明に洗い出そうというわけだ.
本書に取り上げられている対象は,生命・宇宙・気象現象・地殻形成の4つである.いずれも多成分から成り,その各々が独自の時間発展をしながら,それを取り巻く環境条件との相互作用と,空間的にも時間的にもミクロからマクロまでの反応が幾重にも結びつき合っている.それらの重要性を弁別しながら,可能な限り多階層間のカップリングを取り入れた研究成果を展開するのが主目的である.
当然ながら,これらの現象の解析には,スーパーコンピューターが欠かせない.本書の著者たちは海洋研究開発機構でシミュレーションを行っている研究者で,スーパーコンピューターの威力と限界を示すことになっている.威力は,むろん膨大な計算を苦もなくこなし,思いがけない非線形現象の発見がなされることである.限界とは,用いるべき理論が確立していない場合,パラメーター化せざるを得ず,恣意的な結果かもしれないという不安がつきまとうことだ.
例えば,気象現象では,自転する球体である地球に太陽からの放射エネルギーが注がれ,さまざまなスケールの大気の流れや渦運動が励起され,さらに地球の重力が垂直方向,山・陸海・森林・都市構造などが水平方向の運動に影響する.その上,水は相変化しつつ循環して熱エネルギーの複雑な流れを作り出している.大気と海洋の相互作用はまだ不明な部分が多く,大気乱流やカオスについても十分な知識がないことが弱点である.
ともあれ,複雑系を階層構造と言い換え,研究のターゲットを絞り込むという方法は悪くない.要素還元主義を基本におきながら,系を丸ごと捉える観点を追究しようとしているからだ.複雑系に興味を持つ学生諸君にお薦めしたい.
(2008年9月29日原稿受付)


 
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朝永振一郎著,江沢 洋注

スピンはめぐる; 成熟期の量子力学[新版]

みすず書房,東京,2008, 343 p, 21.5×15.5 cm, 本体4,600円[学部向・一般書]
ISBN 978-4-622-07369-7


 
酒 井 英 行 〈東大院理〉 


  『スピンはめぐる』,この本は,1979年にノーベル賞を受賞した朝永振一郎が,月刊誌「自然」(中央公論社,1984年に休刊)に連載していたものを本としてまとめたものである.1920年から1940年にかけての量子力学の創成期から成熟期までの歴史が,スピンの発見とスピンに関連する話題を主軸として描かれている.朝永振一郎は,この時代を若手研究者として過ごした,まさに幸福なその当事者であった.それゆえにこそ書くことができる内容は迫力に満ちている.後書きにあるように,その執筆の姿勢は「いろいろ古い論文を引っぱり出して読んでいるうちに,昔それらを読んだころのことがしきりに思い出され,そのころ僕が感じたこと,考えたこと,気がついたこと,またむつかしくて困ったことなどを,もう一度再現してみたい気持が起ってきたから」というもので,著者の個々のこだわりが表れている.また,著者独特の明解な語り口で随所に出てくる逸話もこの本を読む楽しみのひとつである.朝永は1937年から2年間ライプチヒ大学のハイゼンベルグのところに研究・滞在した.逸話は,この際に実際に見聞きしたことがベースになっているのであろう.
ところで,私は 『スピンはめぐる』 を3冊持っている.1979年の中央公論社発行のいわば初版本,1997年のシカゴ大学出版会の英語版,それとこの度のみすず書房から発行された「新版」である.なぜ3冊もあるかといえば,学部3年生のゼミナールで1990年から 『スピンはめぐる』 を教材に使用してきたからである.初版本は90年代の中ごろに絶版になってしまった.その後数年間,学生達は古本屋を探してなんとか手に入れていた.英語版が出てからは,それを使用した.名著の名訳であるとはいえ,英語版を読むのは量子力学を半年間しか学んでいない3年生にとっては大きな負担であった.まさに今回の「新版」は私には待ちに待った復刊である.復刊に努力された,みすず書房編集部と関係者の方々には読者の代表としてこの機会を借りて感謝を申し上げたい.
「新版」ではいくつかの工夫がなされ,より一層読みやすくなっている.まず,江沢洋氏による詳しい脚注と付録が付け加えられた. 付録 A は補注で,脚注で説明しきれなかった項目が収められている.さらに,スピンにまつわるその後のトピックスのいくつかが付録 B にまとめられている.ただ,ここに最近のトピックスである,「陽子を構成するクォークのスピンを足し上げても陽子スピンの2割に満たない」という,スピンをめぐる新たなミステリーも含めてほしかった.次に旧版では,電磁気の表記はCGSガウス単位系が使われていたが,「新版」ではSI単位系に変更されている.その上,付録Cにていねいな対照表が付けられている.最後に「新版」では新たに索引がついたことも便利である.また,初版本にはいくつかの校正ミスが残っていた.その大部分は英語版でかなり訂正されていたが,「新版」ではさらに訂正され(例えば,式(3-21 ))より完成度が高くなった.
この,『スピンはめぐる』 には大学の講義では聞けない多くの題材が含まれている.物理学を学んでいる学生には必読の書であると考える.初版本の帯には,CNRS(フランス国立中央科学研究所)名誉主任研究員であった湯浅年子*(故人)による「フェルミ,ランダウの教科書とともに,世界中の人に読ませたい科学史に残る名著である.」 という推薦文がついている.まさに多くの方にぜひとも読んでいただきたい名著である.
(2008年9月20日原稿受付)
* 例えば, 坂井光夫:日本物理学会誌 35 (1980) 618-湯浅年子氏を悼む参照.


 
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坪田 誠,西森 拓

量子渦のダイナミクス/砂丘と風紋の動力学

培風館,東京,2008, v+223 p, 21.5×15.5 cm, 本体6,000円(非線形科学シリーズ1)[大学院向]
ISBN 978-4-563-02341-6


 
太 田 隆 夫 〈京大理〉 


  本書は「非線形科学シリーズ」として企画された第一巻である.企画代表の中村勝弘氏の巻頭言によると,今後 『量子力学と非線形ダイナミクス』,『蛋白質の柔らかなダイナミクス』,『結晶成長における秩序化と形態形成』,『散逸系カオスの統計力学』,『摩擦の物理科学』 などの発刊が予定されている.「非線形」関係のシリーズ的な刊行物は,最近では,『非線形・非平衡現象の数理』(東大出版会)があり,主として反応拡散系や非線形振動子系が記述されている.一方,本シリーズは「物質科学との接点をもつ」非線形科学の入門的専門書として企画されたとのことである.短い言葉から中村氏の意気込みとこだわりが伝わってくる.
『量子渦のダイナミクス』 の著者 坪田誠氏,および,『砂丘と風紋の動力学』 の著者 西森拓氏はそれぞれの分野で国際的に活躍している存在感のある研究者である.しかし,本書のタイトルをみた人は「量子渦」と「風紋」にどのような関係があるのかといぶかるであろう.内容をみてみると,「非線形」の二つの異なるテーマをひとつの本として出版したのであって,積極的な意図はなさそうである.(西森氏はかつて「量子渦」の研究をしていたことはあったが.)
『量子渦のダイナミクス』 では,超流動や量子化された渦,二流体方程式などのていねいな説明のあと,熱カウンター流による超流動乱流の理論と計算機シミュレーションを述べている.ごく最近のたいへん興味深い研究として,熱カウンター流によらない極低温での量子乱流では古典流体でのコルモゴロフ則が成立することや,ボース・アインシュタイン凝縮系での量子渦のダイナミクスが生き生きと解説されている.これらは,坪田氏自身が世界をリードする形で発表してきたテーマであり,行き届いたわかりやすい記述になっている.
『砂丘と風紋の動力学』 はユニークな研究分野である.非平衡パターン形成のテーマであろうが,研究者人口はそれほど多くない.しかし,風紋のような美しい縞模様をみるとだれでもどうしてこのようなパターンができるのだろうと思ってしまうだろう.関連する研究としては,レーリー・ベナール対流や液晶対流系があり,時空間パターン発現の機構を解明するのが基本的課題である.対象とする砂粒は衝突によるエネルギー散逸が無視できない,いわゆる粉体に属する物質である.さらに砂丘や風紋形成は砂と風(空気)との相互作用が本質的であり,粉体力学と流体力学の両方を必要とする難しい問題である.本書では,まともにこれらの力学を扱うことはせず,物理的洞察から簡単なルールを仮定してモデル方程式をつくり,観察や実験と比べる方法をとっている.特に,バルハンとよばれる局在したパターンの運動については,最近,水槽実験から詳しいデータが得られるようになり,急速に研究が進歩していることがうかがえる.
評者は学部3年生の「非線形科学」の授業を担当(分担)しているが,この経験から判断して,本書は「量子渦」,「砂丘」の両方とも学部学生には少し難しく,大学院学生により適切であろう.しかし,「非線形科学」に興味をもち,研究を行なう若手を育てるには学部学生レベルでの入門的専門書が必要であることは言うまでもない.本書の著者は2人とも十分力量があるのであるから,古典力学や量子力学と対比して「非線形科学」のおもしろさを語り,その研究の意義や重要性などをそれぞれの立場から,初学者にもわかるように詳しく述べた構成になっておればさらによかったとの思いをもつ.
(2008年10月23日原稿受付)


 
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小山慶太

物理学史

裳華房, 東京, 2008, ix+263 p, 21.0×15.0 cm, 本体2,500円(裳華房フィジックスライブラリー)[学部向]
ISBN 978-4-7853-2230-4

 
福 島  肇 〈もと錦城高校〉 


  ヘルツによる電磁波の発見は同時に,「エーテルの存在がついに確かめられた」と受け止められたと言ったら,皆さんは驚かれるだろうか.エーテルなる物質は古代ギリシャ,アリストテレスの時代から,20世紀,アインシュタインの相対性理論が登場するまで,科学者にとってまさに実在するものであった.こうしたことは普通の教科書には出てこない.通常の教科書は,力学,電磁気学などを完成したものとして扱う.エーテルの “エ” の字も出てこないのである.
「あくまでもそれぞれの時代の雰囲気,状況の中で,物理学の “進化” のプロセスを追う」とまえがきにもあるように,本書はこうした教科書と趣を異にする.
本書では力学,光学・電磁気学,熱力学,量子力学,相対性理論,基本粒子とその相互作用の研究(20世紀前半),ノーベル賞を通して語る物理学(20世紀後半)の多彩な歴史の展開が綴られる.
物理学史を学ぶことによってどんなメリットがあるのかと考える方もおられよう.いくつかの答えが本書を通して見いだされるであろう.
まず,物理学の歴史はその時代の背景,登場人物とあいまってドラマを見ているように興味深い.本書はこのドラマを見事に描いている.有名なニュートン力学による太陽系の安定性の証明(ラプラス),海王星の予測と発見.アインシュタインの重力場による光線の湾曲や重力レンズの予言とその発見.電池, 電磁誘導, X線, 超伝導等, 一見偶然に見える発見の背景など,数多くの実例は本書をひもといて実際にご覧頂きたい.
実は私にとって印象が深かったのは,力学の発展に関連して,夏目漱石の椿に関する俳句(落ちざまに虻を伏せたる椿かな)から寺田寅彦が,椿の花の落下運動を考察した論文を書いたというところである.寺田寅彦はオイラーによる剛体の力学を使って,椿の花が落下するとき「空中で回転して仰向きになろうとする」ことを分析し,論文としたとある.著者の言うように少し趣を異にした話題であるが興味深い話である.
人間(科学者)は自然に対して「こうあるはずだ」という「先入観」を持つ.例えば天王星は,惑星は6個しかないという先入観から,観測されていたにもかかわらず19回も見逃されていた.速度というものは異なる系から見れば当然変化するはず.光速度不変の原理によってこの常識を打ち破ったのがアインシュタイン.光量子仮説も同じく常識を覆した.空間の対称性という常識も現代物理学によって覆された.本書ではこうした例について詳しい説明が展開されている.
私たちはここから,ある時代,組織などに共有されている思考の制約から自由に思考することの難しさとその重要性を知ることができる.
また,物理学研究の意外性に富む歴史や論争(例えば光の粒子説と波動説)から,その探求の方法を自然に学ぶこともできよう.
本書の利用法について一言.本書を手元に置き,各分野を学ぶとき並行して読むのも一つの方法.各分野の理解を補いかつ深めることは間違いない.とりわけ量子力学,相対性理論,素粒子論などは,これらの理論がなぜ必要となったのか,その形成過程を知ることなしに学んでいくことは難しい.
本書はもちろん著者も認めているようにページ数などの制約もあり,物理学史の全てを述べているわけではない.エントロピーの概念の環境問題を考えるときの重要性,物性物理学の諸問題と発展.これらも知ることが重要であろう.しかし,ここに書かれていることは,物理研究や物理教育などを志す人たちは最低限知っておくべきことであると思う.
その成果は,知らず知らずのうちに,その後の研究,教育などに生かされていくことは間違いない.
なお,私見であるが,科学技術が社会に与える影響が極めて大きくなっている現在,自分の研究がもつ社会的意味をも,本書だけではなく科学史・科学技術論から学び,広い視野から考えて行く研究者,教育者が増えることを願う次第である.
関連して最後に,核分裂を発見したハーンのノーベル賞受賞講演(1944年)を本書より引用したい.
核物理学的な反応のエネルギーは人類の手中に与えられました.それが自由な科学的な知識の増進のためや,社会建設や人類の生活条件の向上のためにもちいられることになるのでしょうか,あるいは人類が数千年かかって作り上げてきたものの破壊のために誤用されることになるのでしょうか?(以下略)(山崎和夫訳:『オットー・ハーン自伝』 みすず書房)
(2008年11月4日原稿受付)


 
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田沼静一

電子伝導の物理



裳華房,東京,2008, vii+148 p, 21.0×15.0 cm, 本体2,700円[大学院・学部向]
ISBN 978-4-7853-2914-3

 
佐 藤 英 行 〈首都大理工)
 


  本書は,索引を含めてB5版148ページで,伝導電子が直接・間接的に係わる諸物性を紹介し,初学者がこれを読むだけで,全体を把握できるようになっている.基礎から最近の情報まで,物理の学部基礎科目を学んでいれば,抵抗なく読み進めるのではないか.
「伝導電子」あるいは「電気伝導」を題名に冠したテキストとして,国外版では,A. B. PippardやJ. S. Dugdale, などによる名著が出版されている.また, 参考文献6, 7として挙げられているJ. L. Olsenによる小冊子(A5版で121ページ)は,電子輸送現象に関する内容が,実験データを含めて要領よくまとめられている(味気ない印象も受けたが).私が不勉強なためか,本書の出版以前には,実験を主体にした和書のテキストには出会っていない.最近,論文や学会講演において,電子輸送特性の常識を無視した議論に出会うことが多いが,本書は,電子伝導ミニマムを学ぶためのテキストと言える.
本書は,1章で1電子近似での基本的事項を,2章では,ハリソンのフェルミ面構成法,バンド有効質量やブロッホの定理などが整理され,加えて,サイクロトロン共鳴やド・ハース-ファン・アルフェン効果が紹介されている.3章では,1価から5価の金属・半金属について,フェルミ面の違いが,実例を挙げて概説されている.4章で半導体の基本を整理したのち,5章では,磁気抵抗(Kohler則の実例図つき)とMgの磁気貫通効果を取り上げている.6章では,電子-電子散乱の取り扱いとフェルミ液体の考え方が整理されている.7章では,ボルツマン方程式の考え方,電子の静的な散乱と動的散乱,マティーセン則,RKKY相互作用,近藤効果,など必要不可欠な情報が与えられている. 8章では,4Heの超流動について1節,超伝導に関して 3 節を割き, その後, コーン異常,パイエルス転移, CDWとSDW, モット転移,アンダーソン転移に各1節を設けている.最後の9章では,スケーリングの考え方を説明し,金属リングでのAB効果やポイントコンタクトでの量子化コンダクタンスなど,メゾスコピック系での問題を取り上げている.
書名は 『電子伝導の物理』 となっているものの,関連する格子の寄与についても重要なものは取り入れられており, 学部の3, 4年生や修士課程の学生が,伝導電子を中心にして固体物性の概略を知るには適切な参考書となっている.説明の多くは,直感的になされており,短時間で読み通せる.随所に,他の教科書にない説明や味わい深い表現があり,無味乾燥な厚い本とは違った楽しみ方ができる.
但し,初版には幾つかの問題点がある.田沼先生が亡くなられてからの出版ということのためか,最後のそぎ落とし段階で残されたと思われるミスが幾つかある.例えば,図3.3はCaのフェルミ面となっているが,Caのものは (a) のみであり, (b), (c) はおそらくZnのものであろう.98ページにある干渉関数についての記述は削除のはずではなかったのか.これらについて,出版社による次版での修正が望まれる.
(2008年10月31日原稿受付)


 
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S. Weinberg

Cosmology



Oxford Univ. Press, New York, 2008, xvii+593 p, 25.0×17.5 cm, $90.00[専門書・大学院向]
ISBN 978-0-19-852682-7

 
早 田 次 郎 〈京大院理〉 
 


  本書を,宇宙論を学びたいと考えている全ての大学生,大学院生,研究者に薦める.
ノーベル物理学賞を受賞した素粒子物理学者として,そして場の量子論の教科書の著者として有名なワインバーグが,宇宙論の教科書を書くというのは意外に思われるかもしれない.しかし,ワインバーグは,啓蒙書 『宇宙創成はじめの3分間』 や一般相対性理論・宇宙論の教科書の著者として,以前から宇宙論の業界でもすでに有名であった.後者はインフレーション以前の宇宙論の非常に優れた教科書として定評がある.しかし,1972年刊行のため,観測データにしても,理論的な記述にしても古さは否めなかった.改訂版が出るという噂はかなり前からあったのであるが,今回ようやく実現された.と,思ったが,これは単なる改訂版ではない.完全に新しい現代的宇宙論の教科書となっている.
本書は,付録を除いても500ページほどの大著である.内容はというと,標準宇宙論の概説に始まり,宇宙背景輻射を概観し,初期宇宙の熱史,そしてインフレーション理論の初歩に至るというのが前半部で,ここまでで200ページ程を費やしている.その後,100ページ程が宇宙論的摂動理論の定式化にあてられる.残りの部分では,宇宙背景輻射の揺らぎの詳細,構造の成長,重力レンズ,インフレーション理論からの揺らぎの生成,が解説される.この本の核となる部分は,宇宙背景輻射に関する2つの章である.近年の宇宙背景輻射観測衛星WMAPの成果を理解するため,そしてもうすぐ打ち上げられる観測衛星PLANCKがもたらすデータを解釈するために,本書はまたとない一冊であると言えよう.
この本の技術的な特徴は揺らぎの発展を同期座標系で定式化している点にある.歴史的には同期座標系は最初に使われた座標系であるが,物理的ではない自由度が混じっているため,悪い座標系の例として挙げられることが多かった.しかし,きちんとした取り扱いさえすれば,むしろ最も便利な座標系なのである.
この教科書のスタイルもまた特筆に値する.宇宙論の教科書でありがちなのは,基礎方程式を数値的に解いて,その性質を議論するというスタイルであるが,この本では,多少の精度は犠牲にしてでも,方程式を解析的に取り扱うことで,物理的内容を理解するということに徹している.ここまでやるかというほどの徹底した論理的記述,しつこいほどの解析的な取り扱い,そこに素粒子物理学で中心的な役割を荷ってきた著者の信念のようなものが伺えて読み応えがある.その意味でも非常に教育的な本になっている.
(2008年11月7日原稿受付)


 
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W. Demtroder

Laser Spectroscopy Vol. 1; Basic Principle, Fourth edition
Laser Spectroscopy Vol. 2; Experimental Techniques, Fourth edition



Springer, Germany, 2008, xxi+457 p, 24.0×16.0 cm, euro79.95[大学院向]
ISBN 978-3-540-73415-4

Springer, Germany, 2008, xxi+697 p, 24.0×16.0 cm, euro79.95[大学院向]
ISBN 978-3-540-74952-3


 
南 不二雄 〈東工大〉  


  レーザー分光法は物質の構造や電子状態を調べる最も有効な方法として従来からいろいろな物質系に適用されてきた.特に最近はレーザー技術の目覚ましい発展のおかげで,以前は不可能と思われていた研究が物理,化学,生物,工学などのいろいろな分野で次々と行われている.このように広範囲にわたる内容を含むレーザー分光学を最近の進展も含めて紹介する教科書は世界的に見ても数少ない.本書は,原子,分子を主な対象物質として,レーザー分光の基礎から先端の研究までが分かり易く書かれているレーザー分光学の教科書である.最近の進展を含むように6年ぶりに全面的に改訂が行なわれて,Vol. 1とVol. 2の2巻構成になった.Vol. 1は基礎部分で,レーザー分光の基礎原理が書かれており,Vol. 2は応用部分で,実際の実験技術が述べられている.
Vol. 1では分光学の基礎物理,光学機器およびその使い方などレーザー分光学を学ぶ上で必要な基礎的なことが書かれている.また,光源として使用するレーザーに関しても入門的な記述がなされており,レーザー物理,共振器,レーザーの種類などの知識が得られるようになっている.各章の最後には理解を深めるための問題があり,問題に対する解答も Vol. 1 の最後の部分にまとめて載せられている.
Vol. 2ではレーザー分光を物理,化学,生物などの分野にどのように応用し,どのような結果が得られるのかについて書かれている.特に最近開発されたいろいろな分光法,例えば,ドプラーフリー分光法,コヒーレント分光法,時間分解分光法などについての入門的記述がある.また,レーザー冷却,単原子,単分子分光,アト秒分光などの最新の話題にも触れている.Vol. 1同様,各章ごとに設問があり,それに対する解答も与えられている.
本書はこれからレーザー分光学を勉強しようとしている学生にとって良き入門書である.また最近の進展までも含んでいるので,実際にレーザー分光法を使って研究をしている人たちにとっても役に立つ本である.本書で扱っている主なる対象物質は原子,分子であるが,固体のレーザー分光を勉強あるいは研究している学生にとっても役立つ内容である.
(2008年11月18日原稿受付)


 
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R. N. Boyd

An Introduction to Nuclear Astrophysics


The Univ. of Chicago Press, Chicago, 2008, xi+422 p, 23.5×15.5 cm, $85.00/£44.00[大学院向]
ISBN 0-226-06971-0

 
久保野 茂 〈東大CNS〉 
 


  原子核物理と天文学の接点は,20世紀の初めの星の輝きのもとは原子核エネルギーであるという認識に始まる.本書は,両分野の発展に伴い進んできた宇宙核物理(Nuclear Astrophysics)の研究分野の入門書である.ミクロの世界の核物理学と天文学は,密接な関係があるにも関わらず,研究対象に大きな隔たりのある分野であるため,本教科書では,両分野の最低限の基礎と両分野の関わりに多くのページを割いている.そのために,ともすると単なる2分野の羅列になりがちな感は否めない.
さて,これまで宇宙核物理の入門書としてCauldrons in the Cosmos (The Univ. of Chicago Press, 1988, C. E. Rolfs and W. S. Rodney)が広く読まれてきたが,両分野の急速な発展に伴い,現代的入門書が望まれていた.本書は,現在の宇宙核物理に関わる天文学と原子核物理の最前線を紹介し,現代的課題などを議論し,現代性を伝える点で初学者のための良い書になるであろう.入門者は,上記の古典的教科書の副読本としてこの本を読むことを薦める.
第1章では,宇宙観測の基礎として,太陽組成,光学観測による元素分析,HRダイアグラムが議論され,一方原子核物理として物理の基本法則が触れられている.第2章では,各々の分野で現在使われている最先端の機器が詳述されている.各波長領域の特徴的なプロジェクトとその性能が最近の成果とともに紹介されている.核物理からこの領域に入る入門者に貴重な情報となろう. WMAPやVLBAの電波から,GLASTなどのガンマ線, さらには,Super-KamiokandeやSNOを代表とするニュートリノ観測までカバーしている.一方,宇宙核物理の主な研究拠点の施設の特徴と研究の可能性を紹介している. ドイツのGSIや理研のRIBF,東大原子核科学研究センターのCRIBなどが紹介されている.
第3章では,宇宙核物理に必要な核物理の基礎と宇宙における熱核反応の取り扱いについて説明している.ここでは,結論的な式が与えられているので,研究の指針となるが,羅列的であり系統的な物理の勉強には向いていない.第4章では,宇宙核物理に関わる天文学の観点から,星の基本的なダイナミクスや白色矮星の縮退,化学進化について最低限の項目について,議論している.
第5章では,元素合成過程の最も基本である原子核の水素燃焼過程,とりわけ主系列における準静的な燃焼過程であるppチェーンとCNOサイクルを取り上げている.
第6章では,主系列の次の段階から超新星,中性子星形成までの進化の過程と,ガンマ線バーストの問題を取り上げている.各進化の過程を推進する核燃焼過程の概要と,各々の過程の研究の例を取り上げ,研究の現状を議論している.さらに,大質量星の中心コアの崩落から超新星爆発に至る過程などについて,最近の原子核・素粒子の研究の例を紹介している.
第7章では,重元素の生成過程について議論している.重元素は,星や宇宙の進化を調べる上で大変貴重な情報を提供している.その生成過程に主に速い中性子捕獲過程(r過程)と遅い中性子捕獲過程(s過程)があるが,s過程では,基本的なシナリオと核物理的課題,隕石中の同位体比の比較からその生成メカニズム研究の方法を示している. 一方, r過程については, 核物理の実験的研究がまだ浅いことから,主に最近の観測の進展を議論している.
第8章は,核図表の上で陽子過剰領域を流れる元素合成過程であるrp過程を取り上げている.この過程は,新星やX線バーストさらには超新星初期に重要な役割を果たすと考えられている.特に高温のrp過程について,いくつかの研究課題について比較議論している.
第9章では,ビッグバン直後の宇宙における元素合成を基軸として,WMAPの観測などからビッグバン模型の検証の議論を紹介している.
総じて,最初に述べた2研究分野の併記の危惧があるものの全体としては,宇宙核物理でどのように宇宙が研究でき,天文観測と直接関わるかを最先端の研究課題を通して伝えることに成功している.したがって,前述の通り,本書は,宇宙核物理入門の副読本として,お勧めする.また,本書は入門書であるが,物理や天文の基礎を勉強してから,この本に入られることをお勧めする.
(2008年10月30日原稿受付)
             


 
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池内 了

科学者心得帳:科学者の三つの責任とは



みすず書房,東京,2007, v+189 p, 19.5×13.5 cm, 本体2,800円[一般書〜大学院向]
ISBN 978-4-622-07327-7



 
石 黒 武 彦  


  科学の研究者が世俗的なことにかかわることなく一心に研究に打ち込む…そんな研究者のイメージは通用しにくくなっている.人付合いが苦手だから自然を相手にするようになったと言いたげな科学オタクに,社会によく生きるためのよりどころとなるものがあれば,と思わせるこの頃だ.『科学者心得帳』 は社会の問題に迂遠になりがちな研究者に処世の心がけを説こうとするもののようだ.
本書では,科学研究の楽しみ,研究現場のあり様について述べた後に,社会と共に生きる研究者が心得るべきこととして,倫理責任,説明責任,社会的責任をあげる.語呂合わせのように並べられた,三つの責任とされるものには,重なるところがあったり,構えにずれはあったりするが,いずれも近年よく耳にするものだ.
本書には,著者の科学研究に取り組む良識人としての見方が示されている.例を引きながら書かれていることを当然のことと読み流しつつ,心がけるべきものを再認識することになろうが,一歩踏み込んでそうであるべき事由について知ることによって,より自在な分別を付けることができるのではなかろうか.日頃,何事にも問いを投げかけ,そのよりどころを理解しようとする知的営みをしているのが科学者だからだ.根源的なことを把握することによって,新たに出会う問題に主体的に対処できるようにもなる.たとえば,倫理的であることは,科学者が専門家として自由に活動することを社会から容認されることと引き換えに,社会に請け負うべきものであり,科学者の行動規範はこうした背景のもとに作られるのではないか.科学者コミュニティが歴史的にどのように変遷してきたかについて知り,問題の由来について理解することも効果的だと思う.進歩と拡大によって,科学は技術と一体化し,社会ともシームレスにつながるようになっている.そうした状況を筆者は「科学が社会化されている」(岩波科学ライブラリー131)と言うことにしているが,社会的責任が問われるのはその帰結である.
科学の社会との関係,それに絡まる倫理,これには定番のようなものを挙げることはできそうにない.問題は多様であり,科学者のサイドで見るか,一般市民の立場で見るかで力点も異なるからだ.そうした事柄の一端が本書で取り上げられている.著者が言うように,本来は先達が後進に接する間に伝えられるべきものだが,個人的な接触が薄くなり,指導者たるべき人も,研究に取り組むことから離れれば,社会人としてどのようにあるべきかについて定かなものを持っているとはいえない状態ではないか.息抜きのときとか,悩みを抱えたときに手に取れるようなところに置かれる一冊であってよい.
(2009年1月30日原稿受付)


 
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東京大学物性研究所編

21世紀の物質科学「最先端がわかる」



培風館,東京,2008, viii+212 p, 21×15 cm, 本体2,000円[学部向・一般書]
ISBN 978-4-563-02285-3



 
藤 田 敏 三  


  本書は,東京大学物性研究所の創立50周年を記念して企画され,2008年に出版された.20世紀末から21世紀初頭の約20年間に物質科学の分野で進展著しいトピックスを選んで, 3編12章にまとめて紹介している.I編「新しい研究方法」は,レーザー冷却,超高速レーザー分光,トンネル顕微鏡,コンピュータ・シミュレーションなど,手法だけではなく,背後にある物理や問題点・今後の展望を解説している.II編「ナノスケールの物理」では,人工格子,量子ドット,スピントロニクス,カーボンナノチューブなどを舞台に見出された新奇な現象を紹介し,応用にも触れている.III編「多用な物質」では,高温超伝導,超高圧下での物質合成,有機エレクトロニクス,ソフトマターなど新物質開発の現状を紹介し,夢膨らむ未来を論じている.
各章は,第一線で活躍中の研究者が独立した読み物として執筆し,それぞれ基礎から分かり易く解説している.したがって,プロローグで編者が強調しているように,どこから読んでも理解できる構成になっている.しかも,他章の関連する話題を互いに欄外の注として付け加えるなど,バラバラな解説の寄せ集めと感じさせないような配慮もされている.さらにエピローグとして,電子論を軸に各トピックスを共通の物理学的視点から理解する道筋が,きれいに整理されている.頻繁に現れる量子力学に不慣れな読者も,巻末付録の簡潔な解説を参照すれば,無理なく読み通せるであろう.
もともと理工系大学低学年を念頭に置いて書かれている本書は,確かにこれから進路を選択しようとしている学生には大いに参考になる啓蒙書である.また,研究者でも,自分の専門分野外の研究状況を知る手軽な情報源となろう.詳細な専門書とは違って,一気に通して読むもよし,暇を見付けて気楽に1章ずつ楽しんでもよい.21世紀初頭における物質科学最先端の概要が分かる好書と言える.20年後にはまた状況が一変しているかも知れないが,その時は,室温超伝導も‘見果てぬ夢’(実現不可能な望みや計画:三省堂国語辞典など)ではなくなっていることを期待したい.
(2009年3月5日原稿受付)


 
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青山秀明,家富 洋,池田裕一,相馬 亘,藤原義久

経済物理学



共立出版,東京,2008, vii+442 p, 21.5×15 cm, 本体5,500円[専門書]
ISBN 978-4-320-09639-4


             

 
高 安 秀 樹 〈ソニーCSL〉  


  経済物理学という物理学の新しい研究分野が誕生しておよそ10年になる.まだ,一般的な知名度はそれほど高くないが,金融市場や企業などに関して蓄積された膨大で詳細な経済情報を物理学者流に解析し,モデル構築をする分野として土台ができあがり,応用研究にも手が伸びてきた段階である.
本書は,経済物理学に関する学部後半から大学院・研究者向けの教科書である.物理学の視点を持って経済現象を研究するために必要な様々な知識や概念,解析手法,さらには,コンピュータプログラミングに関することまで盛り込んでいる.どこの章からでも読み始められるので,事典と言ってもいいかもしれない.従来の枠組みからすれば複数の分野の文献にまたがっていてなかなか勉強しきれないような内容が一冊の本にまとまっているので,基礎的な知識を一通り身につけるにはもってこいの本である.そういう意味からいえば,経済物理学に関心を持つ学部の4年生から大学院の1年生くらいに読んでもらうのが一番効果的だろう.演習問題も充実しているのでゼミの輪講などには最適である.
ただ,複数の著者による網羅的な記述の裏返しとして,専門家の視点からすれば個性の弱い内容になっている感は否めない.すなわち,経済物理の研究者は何を目指し,どのような苦労を乗り越えてきたのか,というような学問の発展の経緯は見えにくい.いわば,栄養的には申し分のないフリーズドライ食品のような風合いなのだ.
ニュートンは誰しもが認める近代物理学の創始者であるが,彼が名誉あるサーの称号を得たのは,物理学の寄与ではなく,造幣局長官として偽造貨幣防止方法の発明をしたことや金本位制の導入による国家経済の発展に対する寄与だったことはあまり知られていない.若いころの仕事である惑星運動の解明も,当時は国家の存亡にかかわる航海技術だった天測の基礎研究として,直接社会のニーズに答えるものだったのだ.
昨年秋の金融危機以来,世界経済が混乱をきたしている.道に迷った時には出発点に戻るのが原則である.今,経済物理学に求められているのは,経済学の常識や社会の俗説に惑わされることなく,蓄積された詳細なデータに基づいて事実を正確に把握し,科学的な対処方法を創出することであろう.
本書で経済物理学の基礎知識を身につけたうえで,ニュートンのように分野の壁を超越して社会問題に切り込んでいく勇気と野心を持った若い研究者が現れることを願ってやまない.
(2009年1月8日原稿受付)


 
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夏梅 誠

超ひも理論への招待



日経BP社,東京,2008, 284 p, 19.0×13.5 cm, 本体1,800円[一般書]
ISBN 978-4-8222-8329-2

 
玉 置 孝 至 〈日大工〉 


  本書は,一般読者に超ひも理論をなるべくきちんと説明することをうたっている.この意向は,数式をあまり使わない本としては相当なレベルで達成されているのではないだろうか? 全体的に見て,一般読者への配慮が随所になされており,身近な例を用いて,偏光や量子力学を説明しているのも特徴の一つとして挙げられる.また,これらの例は,物理屋にとっても楽しめるものと思われる.中に挿入されている逸話も,他の本との差別化が図られているものが多く,類書を色々読んでいても飽きさせない.
全三部からなる本書の第一部から見てゆこう.光の偏光が端を持つストリングの性質と対応していること,その拡張としての重力波の偏光が,閉じたストリングの性質と対応していることが丁寧に説明されている.そのため,相互作用として 『重力のない超ひも理論は意味をなさない』 (p. 39)というのも理解しやすいと感じられた.ただ,この結論的な部分の後で一般相対論の説明に入るという順序は少し気になった.pp. 18-29の偏光の話の直後に一般相対論の話をすると,重力波の話に至るまでが長すぎるため,という配慮かもしれない.
第二部前半で,身近な例を挙げながら量子力学の説明がなされており,ミクロな世界が如何に日常と関係しているかを実感できるようになっている.その後,ストリングのエネルギーの揺らぎから次元を求める説明が,若干の数式を用いてなされている.この部分は 『難しい印象を受けるかもしれない』 と思いながら読んでいたら,最後に著者による意見(p. 153) 『次元の求め方が回りくどい理由は,私たちの理解に欠けたところがあるからだ』 に行き着く.この箇所だけではなく,研究者が何を理解していて何を理解していないのかもきちんと説明されている,という点でも誠実さが感じられる.
第三部では,超ひも理論の発展の歴史と最近の進展について述べられており,日本人研究者の活躍について多くの頁を割かれている点で特徴があり,その試行錯誤と苦悩,解決に至るエピソードだけでも楽しめる.著者自身が直接聞いた話も多い.南部陽一郎氏がひも理論から離れた理由について,『数学がずいぶん難しくなりすぎて』 (p. 171)とあるが,本書の出版がもう少し遅ければ,2008年アーカイブ上を賑わした南部ブラケット及びこの年のノーベル賞にも頁を割かれたと思われ,タイミング的には残念である.
以上,色々勝手なことを書いてしまったが,誇張した表現や誤魔化した表現をしない,きちんとした説明をしている本のため,一般読者だけでなく,普段超ひも理論と関わっていない物理屋にも是非手にとっていただきたい好著である.
(2009年3月1日原稿受付)


 
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田崎晴明

統計力学I、統計力学II


統計力学I
培風館,東京,2008, ix+284 p+7 p, 21.5×15.0 cm, 本体3,400円(新物理学シリーズ37)[学部向]
ISBN 978-4-563-02437-6

統計力学II
培風館,東京,2008, iv+518 p+7 p, 21.5×15.0 cm, 本体3,300円(新物理学シリーズ38)[学部向]
ISBN 978-4-563-02438-3


 
西 森 秀 稔 〈東工大理〉  


  学部向けの統計力学の教科書として,優れた著書である.「『標準的』 な内容と構成に出来る限り近いものにした」と著者が言う通り,基本的な題材の選択や配列はオーソドックスである.統計力学の歴史や考え方,確率論や量子論からの準備,カノニカル分布の導入とその初歩的な応用,格子振動の比熱,黒体輻射,グランドカノニカル分布,各種分布の間の関係,量子理想気体,相転移と臨界現象,という順序で丁寧な説明がされている.こう書くと,他の統計力学の教科書とあまり違いがないように思えるかもしれないが,実際に読んでみると,際だった特徴を持った本であることが分かる.
まず,カノニカル分布の導入の部分で展開されている統計力学の基礎付けについての,明快で個性的な見解である.平衡状態の意味付け,等重率の原理の意味,エルゴード仮説で時間平均とミクロカノニカル分布を関係付ける議論の問題点,これらについて,教科書としてはたぶん初めての斬新な視点を提供している.等重率の原理は,マクロな物理量を計算するために便宜上導入した方便であるという見方,エルゴード仮説をミクロカノニカル分布の基礎付けに使うことはできないという指摘,これらは,多くの人が分かった気になっていることの中にも深く再検討するべきことがあることを気づかせてくれる.今後書かれる教科書では,本書の見解を何らかの形で踏まえた記述が必要になるだろう.
もう一つの特徴は,関連分野の知識が丁寧に記述されていることである.確率論の基礎,連成振動の理論,電磁場の調和振動子による記述,多粒子系の量子力学などが,他書を参照しなくても本書の中だけで話が閉じるように配慮されている.式の変形も,多くの場合省略されがちなものまで含めて詳述されている.ページ数が類書よりかなり多いのは,一つにはこのためである.
物理学科での講義にさっそく使用してみた評者の経験によると,授業では焦点を定めて物理的な背景や考え方を丁寧に伝えることに重点を置き,関連した発展的な内容は演習や自習に任せると良い.筆者自身も書いているように,本書の内容をそのまま全部教えようとすると,時間が不足するし,そのために学生は消化不良を起こす.また,どちらかというとやや数理的な面の解説に類書より力点が置かれているので,物理の具体例を適宜補いながら多様な学生の興味を喚起する試みも有効だろう.
本書は,パターン化された公式のどれを当てはめると問題が解けるかを手際よく示した受験参考書のような本とは対極にある書物である.基礎になる考え方や論理の深い理解を通して,文化としての統計力学を楽しんでもらうことを重要な目的の一つとしている.原理はともかく,手っ取り早く統計力学の使い方だけをマスターしたいという人の自習書としては,やや重いかもしれない.しかし,力量のある講師が本書を教科書として使った授業を受けた学生や,本質的な理解を目指して本書に取り組んだ人は,統計力学の生涯のファンになるだろう.
(2009年3月5日原稿受付)


 
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井上 一,小山勝二,高橋忠幸,水本好彦編

宇宙の観測III--高エネルギー天文学



日本評論社,東京,2008, vi+268 p, 21.5×15.0 cm, 本体2,200円(シリーズ現代の天文学第17巻)[学部・大学院向]
ISBN 978-4-535-60737-8


 
有 働 慈 治 〈神奈川大工〉  


  昨年 2008 年は日本天文学会創立 100 周年だったそうである.明けて2009年は世界天文年であり,日本では46年振りに皆既日蝕が観測されるということもあり,世間一般でも天文ブームが再来するかも知れない.本書は,天文学会創立100周年記念出版事業によるシリーズの一冊である.
宇宙からやって来る高エネルギー粒子を捉える実験が,ガンマ線天文学,ニュートリノ天文学,という言葉で表されるようになって久しいが(本書によればガンマ線天文学という発想は50年前からあったとのこと),このような叢書の一部に当り前に組み込まれるようになったということが,現実に天文学として認識されつつあることを表していると言えるだろう.
本書は全17巻からなるシリーズの最終巻にあたり,天文現象の観測方法を紹介する三分冊のひとつである.I, IIではそれぞれ可視光・赤外と電波を扱っており,IIIとなる本書ではまずX線,ガンマ線観測が紹介され,次いで宇宙線,ニュートリノ,最後に重力波観測という順で紹介されている.
章ごとに見ていくと,やはり眺めているだけでも楽しいのはX線観測の章である.頁をめくる毎に現れる数々の人工衛星の図は充分キャッチーである.続くガンマ線観測の章では少し数式が増えてくるが,繁雑なものをコラムに分離して,読者の知識に合わせた読み方ができるよう配慮されている.観測対象のエネルギーが広範に亘る宇宙線観測にこの頁数では足りない,と思うのは評者が宇宙線屋であるがゆえか.その中でも近年のHot Topicsは積極的に取り上げられている.多くの読者にとって本書を手に取るきっかけとなるであろうニュートリノ観測の解説は,初学者には少し難しいかも知れない.が,高エネルギー宇宙ニュートリノは今後大きく発展する可能性もあり,そちらに目を向けてくれることも期待したい.重力波の章では,検出器に重点が置かれており,図を交えた,分かりやすい解説になっている.
各章にはほぼ同程度の頁が割かれており,これはちょっとした驚きだった.目次を眺めるまでは,当然天文学と親和性の高いX線・ガンマ線観測により多くの頁が割かれているものと思っていたのだ.特に,未だスタートラインにあると言ってよい重力波観測についても詳しく紹介されていることを歓迎したい.巻頭にも「意欲ある高校生にも読んでいただきたい」とあるように,若い読者に手に取ってもらうことを想定した本であれば,これから始まる実験に関心を持ってもらうことは大変重要である.
全般に,初学者向けということを強く意識した内容だと思う.より多くの高校生,大学生がこの本を手に取り,関心を持ってくれることを望みたい.
(2009年3月12日原稿受付)


 
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蕪木英雄,寺倉清之

破壊・フラクチャの物理



岩波書店,東京,2007, x+147 p, 19×13 cm, 本体1,800円(岩波講座 物理の世界 物質科学の発展3)[専門書]
ISBN 978-4-00-011139-3


 
田 中 良 巳 〈北大電子研〉  


  破壊現象に関するほとんどの著作は工学者の手によるもので,連続体力学的な考え方を中心に据えている.これに対し,本書は,著者らの専門を反映し,破壊のマルチスケールモデリングという立場を前面に押し出している.内容としては,通常の破壊力学の主要な題材である転位や亀裂の弾性論の説明とともに,第一原理計算による原子・分子レベルでの破壊研究の成果が豊富に紹介されている.このような立場(バランス感覚)で書かれた解説書は,洋書を含めて考えても非常に希少であり,この点が本書の大きな特長である.
第1章において,著者らは「マクロスケールの現象に原子スケールの現象が埋め込まれている」ことを破壊現象の本質的特徴として指摘し,従来の破壊研究の歴史と今後のマルチスケールモデリングの必要性と困難さを述べている.第2章では,変形や破壊に対する分子論的扱いの基礎事項が,第一原理計算の概観とともに与えられ,以降の準備がなされる.第3章では,破壊力学の定番の内容-転位や亀裂の弾性論や,亀裂進展条件の擬熱力学的議論-が式の導出も含め手際よく解説されている.破壊のマルチスケールモデリングと題された第4章は,おそらく本書の核心となる部分であり,金属や半導体などの結晶系の破壊において,転位形成や不純物効果を第一原理計算によって調べた結果など,ミクロな手法ならではの研究成果が紹介されている.
本書は,著者らと同じく第一原理計算のバックグランドをもつ読者が,破壊現象に関する基礎的な事柄を知るのに非常に役立つと思われる.また,工学的な破壊力学や材料強度学の専門家が,ミクロな観点からの破壊研究に乗り出そうとするときにも,その基礎的なアイデアや研究の概略をつかむのにも大いに役立つだろう.一方,(例えば)破壊現象に興味をもつ大学院生が,破壊力学の基礎概念を一から勉強するには,少し情報(弾性論的な式の取り扱いの背後にある考えや,結果として得られた式の意義など)を補足する必要があるかもしれない.本書では厳選された参考文献が挙げられており,それらがより深い勉強に役立つと思われる.この 『破壊・フラクチャの物理』 は,いわば “破壊現象に対するスマートな大人向けの解説書” ではないかと思う.
(2009年4月13日原稿受付)


 
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J. B.ハートル著,牧野伸義訳

重力; アインシュタインの一般相対性理論入門



ピアソン・エデュケーション, 東京, 2008, xviii+539 p, 23×18 cm, 本体 4,600 円 [大学院向]
ISBN 978-4-89471-641-4


 
原 田 知 広 〈立教大理〉 


  本書は539頁におよぶ一般相対論の教科書である.著者は,量子重力から相対論的回転星まで,一般相対論に関する幅広い分野で重要な業績を挙げてきたJ. B. Hartleである.想定されている主な読者は,一般相対論を専門としない,宇宙論を含む宇宙物理学を専攻する大学院生である.宇宙物理学の研究者や一般相対論を専門とする大学院生・研究者にも得るところが大きいだろう.
本書の最大の特徴はその斬新な構成にある. 「物理をまず最初に!」 という標語の下に,Schwarzschild解・Kerr解・Friedmann解・ポストニュートン近似解・線形重力波解などの良く知られた時空解が導出なしに提示され,その物理的性質が調べられ実験・観測と比較される. 全24章の大半 (第6章から第 19 章) がこの部分とこのための準備にあてられている.一方,Riemann曲率テンソルが導入されるのは第20章で,Einstein方程式の完全な形は第21章・第22章になって初めて現れる.考えてみれば,宇宙物理学において相対論的重力の効果を見る場合,時空解を与えて物理過程を調べれば十分な場合も多い.したがって,本書の構成は,一般相対論の理論的枠組みよりも宇宙物理学への応用に興味をもつ読者には打って付けであり,宇宙物理学を専攻する大学院生のための一般相対論の教科書の新たな標準となる可能性がある.
本書は従来の教科書に比べて様々な点で圧倒的に現代的である.光の遅れや Lense-Thirring 効果・ブラックホール降着円盤・宇宙背景マイクロ波放射非等方性など,近年重要性が増している事項について,その基本的な理解が得られるように配慮されている.実験・観測については,最新状況の概観ではなく,基本的な実験・観測が丁寧に説明されており,物理を理解したいという欲求が満たされるとともに,本書がすぐに時代遅れになることを回避している.また,長い導出過程や計算をおこなうためのMathematicaノートブックをウェブサイトに置くなど,本書がこれ以上厚くならないための努力もなされている.実用的・現代的でユーモアあふれる例・コラム・問題や印象的な図表がふんだんに盛りこまれていて,そこだけ拾い読みをしても楽しい.
この教科書は大変な分量があるので,全部を半期の授業で教えることは不可能である.授業で使うなら,クラスの興味などにも合わせながら,いくつかの章を組み合わせてコースを構成して使うべきである.本書の付録には学習法に関する解説もある.
残念ながら誤字・脱字等が散見される.今後の増刷の機会には改善されることを期待する.最後に,広範な応用の解説を含む大部の原書を翻訳した訳者には第一級の讃辞を送りたい.
(2009年4月23日原稿受付)


 
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久保 健,田中秀数

磁性I



朝倉書店,東京,2008, vii+235 p, 21×15 cm, 本体4,600円(朝倉物性物理シリーズ7)[大学院・学部向]
ISBN 978-4-254-13727-9


 
宮 原  慎 〈JST ERATO-MF〉  


  本書は,局在スピン系を中心とした現代的な磁性物理学の入門書と位置付けられる良書であり,磁性の研究,とりわけ量子スピン系の研究を進めようと志す学部4年生,院生,若手研究者に適した教科書であるといえる.特に,第六章から第八章では, 1980 年代以降急速に発展している低次元局在スピン系における量子効果の研究について述べられており,従来の磁性の教科書とは一線を画した独自性が感じられる.ただし,『磁性I』 という題名から分かるように,朝倉物性物理シリーズの磁性 I, II のうちの一冊として位置付けられているため,遍歴系の磁性に関する内容は含まれず,局在スピン系に内容を限っている点は留意すべきである.
全八章で構成されているが,第一章から第五章までの磁性物理の基礎をまとめた前半部分と,量子スピン系の磁性に関する近年の発展についてまとめた後半部分との二部構成とみなすことができる.また,後半の三章は,それぞれの話題が独立にまとめられており,各節毎にどの節からでも読み進められるようになっている.
前半部では,磁性イオン,結晶場の効果,交換相互作用,相転移,分子場理論,スピン波といった内容が取り扱われている.これらの話題は,従来の磁性教科書にも記載されている内容ではあるが,この本独自の特色も伺える.例えば,磁場中相転移として,近年量子スピン系で注目を集めている磁化プラトーに触れるなど,最近の研究にも言及しながら議論している点や,スピン波の議論を古典スピン描像を省き,ホルシュタイン・プリマコフ変換の方法の導入から始めている点などがあげられる.量子力学,統計力学に慣れ親しんだものにとって,簡潔かつ分かりやすくなるようまとめられている印象がある.その分,学部学生には若干敷居が高く感じられるかもしれない.
冒頭でも述べたが,第六章以降にある「1次元量子スピン系」,「ダイマー状態」,「フラストレーションの強いスピン系」は,この本のハイライトともいうべき部分であり,量子揺らぎが引き起こす磁性に関する近年の研究状況が簡潔にまとめられている(多少,理論的興味に重きがある感は否めないが).ハルデイン系,直交ダイマー系,三角格子系をはじめとして,日本を中心に発展した近年の成果についてもまとめられており,すでに他の磁性教科書を学習済みという若手研究者にも,読みごたえのある内容となっている.実験,理論を問わず若手の量子スピン系研究者に一読をお勧めする.
(2009年4月20日原稿受付)


 
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G. Segre

Faust in Copenhagen; A Struggle for the Soul of Physics



Penguin Group Inc., New York, 2007, 10+310 p, 23×16 cm, $25.95[一般書〜大学院向]
ISBN 978-0-670-03858-9

 
佐 藤 正 知 
 


  本書は1920年代から50年頃までの量子物理学の建設期に,コペンハーゲンのニールス・ボーアを中心に集まった物理学者たちの物語である.当事者たちの回想や書簡をもとに各人の思想,性格,交流,人生が数多くのエピソードとともに綴られ,平明で興味深い読み物になっている.物語の主役を演ずるのはボーア,エーレンフェストおよびマイトナーの年長組と,パウリ,ハイゼンベルク,ディラック,デルブリュックという若き天才たちの計7人であるが, ‘脇役’にもアインシュタイン,ランダウ,ガモフ,ラザフォードほか多数の豪華メンバーが並ぶ.物語の主体はもとより物理だが,この時代はまたナチス,スターリン,そして第2次大戦と重なり,登場人物の多くがユダヤ人迫害や原爆など,政治・戦争の影響をこうむることになる.
ボーアの研究所は1932年に創立10周年を迎えた.その前には,原子核のベータ崩壊に関連してボーアが唱えた “エネルギー保存則は統計的にしか成立しない” という主張と,パウリがそれに反対して提唱した‘中性子’(後にフェルミがニュートリノと命名)説との間の論争があった.一方32年初頭にはチャドウィックが中性子を発見した.その年はまた悲劇ファウストを書いた文豪ゲーテの没後100年でもあった.そこで29年春以降定例化していた復活祭研究会の余興として,原作のあちこちを適当に取捨・改作し,それに当時の物理の話題を面白おかしくとりまぜた史劇ファウストが才気煥発の若手たち, いわゆる‘少年物理’(Knabenphysik)の担い手たちによって立案・上演されて好評を博したという.劇中ボーアが主,エーレンフェストがファウスト,そしてパウリがメフィストーフェレスと,それぞれの人物に合った振り当てがされている.劇の序幕ではメフィストと主の掛け合いで先の論争が再現される.また第一部でファウストの恋人グレートヘンにパウリの‘中性子’の役を当て, “わが電荷 消え去りて” と,シューベルトの曲でも有名な‘紡ぎ歌’の替え歌を歌わせて,その役割をアピールする.終幕ではチャドウィックの,質量をもつ‘真の中性子’が登場し,パウリはその存在を信ずる.そして “永遠なる女性”(ゲーテ)ならぬ “永遠なる中性” を賛美しつつ幕が下りることになる.なおこの劇の脚本は,朝永先生によるドイツ語原版からの名訳がある(『朝永振一郎著作集8』 みすず書房, 1982年). またこの劇のことを含め,当時のボーア研究所の雰囲気については,亀淵迪氏の紹介がある(図書,岩波書店,2008年6月,9月; 2009年1月).
著者はノーベル物理学賞を受賞したエミリオ・セグレの甥で,自身もニュートリノ物理の専門家である.本書の題名は上記のパロディ劇に由来するが,それはまた副題が示すように, ‘物理の魂’を求めて格闘した物理学者たちをファウストになぞらえたものでもあろう.本文では15の章の各冒頭にゲーテの原作からの引用(英訳)を置き,後年ガモフ夫人が訳した英語版パロディ劇の詩句を適宜文中に挿入して話を進めている.英語版では中性子とニュートリノが最初から区別されたり,脚韻の都合で詩句も若干変わったりして,朝永訳に親しんできた評者には多少違和感も残ったが,これは趣味の問題か.全体として楽しく読め,年配者には懐かしく,若い人には量子物理の歴史を知る上での好著といえよう.ただ,核分裂の発見におけるマイトナーの寄与をハーンが後年否認したことや,ナチ政権下でのハイゼンベルクの行動の問題などについて,批判的な言及がないことがいささか気になるところである.
(2009年4月27日原稿受付)


 
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伊知地国夫

Focus in the Dark; 科学写真を撮る



岩波書店,東京,2008, 46 p, 22×19 cm, 本体1,900円[一般書]
ISBN 978-4-00-005957-2


 
勝 山 智 男 〈沼津高専物理〉 


  美しいミルククラウンの写真を見て科学への興味をかきたてられた経験を持つ読者も多いことだろう.科学写真は,拡大したり瞬間を切り取ったりすることにより,普通は見ることのできない自然の姿を見せてくれる.これが,科学への興味の原動力になる.理科離れが問題視される今,子供たちに与える良質で安価な科学写真集が欲しいと思っていた.
本書は,子供はもちろん大人にとっても,知的好奇心を満足させてくれる楽しい本である.著者は大学で物理学を専攻し,教師の経験も持つ写真家である.
表紙を飾っているのは,きのこのような白いミルクの傘である.普通のミルククラウンは,中央にこけしのような柱が立つことはあっても,きのこのような形には決してならない.著者は,知人から,珍しいきのこ形のミルククラウンの写真がある,との情報を得て,何とかして美しいミルクの傘を撮影しようとミルクの滴を落とす実験を繰り返した.しかし,どんなに条件を変えても,ミルクの傘は作れない.あるとき,著者は気付いた.ミルクの滴は1滴とは限らない.ミルクの上に連続的にミルク滴を落下させて,下から跳ね返ってくるミルクの柱と上から落下してくる滴を衝突させたところ,落下間隔があるタイミングになったところで,美しいミルクの傘ができあがった.所蔵されている写真の一枚一枚に,こうした撮影秘話が語られており,読み物としても面白い.
本書には,もう一つ,きれいな色のミルククラウンが掲載されている.着色したミルクに白いミルクを落下させた「色水のミルククラウン」である.こうすると,内側は白く外側が着色されたクラウンができあがる.この写真から,落下したミルク滴が薄くクラウンの内側に沿って広がり,下に溜まっていたミルクはクラウンの外側だけに分布することが見て取れる.落下したミルクは,溜まっていたミルクとすぐには混合せず,衝突の衝撃で薄い膜となって広がり,その膜が表面張力の作用で縮んでいく過程で,美しいクラウンが形成されるようである.
「丸い炎」も興味深い.無重量状態で炎が丸くなることは知られている.無重量状態を実現させるには,自由落下を利用すればよいことはわかるが,実際に撮影しようと思うと,どう考えてみても多大な労力を必要としそうで,しり込みしてしまう.しかし,本書に書かれている撮影方法は,驚くほど単純である.ろうそくをペットボトルに入れて,カメラと一緒にフレームに固定して,フレームごと落下させるだけなのだ.文中に書かれてはいないが,撮影を成功させるまでには,姿勢の制御や衝撃の防止などに多くの道のりを要したろうと推察はされる.それでも,これならやってみようか,と思ってしまう.
他にも,セッケン膜などの干渉色模様,水風船の破裂,赤インクなどの結晶,液晶TVの画素,花のおしべなど,著者の興味の向く先は多様である.そして,収蔵された写真を見ていて,改めて思うのは,自然は美しいということである.この美しさを,何よりも子供たちに見せてやりたい.
巻末に,コンパクトデジタルカメラで瞬間写真や拡大写真を撮影する方法が書かれている.よし,撮ってみよう,とも思わせてくれる本である.
(2009年5月7日原稿受付)


 
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蔵本由紀

非線形科学



集英社,東京,2007, 253 p, 18×11 cm, 本体700円[一般書]
ISBN 978-4-08-720408-7

 
柴 田 達 夫 〈広大院理〉 


  非線形科学に黎明期から関わり成熟に導いた著者による一般向けのごまかしのない入門書である.
非線形科学を非線形現象を扱う科学とするとその範囲はあまりにも広い.本書では,従来の物理学では扱ってこなかった,熱力学的平衡から遠く離れた現象を扱う科学をとりわけ対象にしている.そのような非線形科学を,著者は新しい科学の持つ高揚感もこめて,「生きた自然に格別の関心を寄せる数理的な科学」であるとみなす.私たちの日常スケールの世界の中で普遍構造を見つけ出す科学である.ニュートンによって地上の落体を支配する法則が,天空の太陽や惑星においても成り立つことが明らかにされたとき,かけ離れた現象の間に不変な構造のあることが分かり,私たちの自然観は大きく変化したに違いない.同じ時代,ホイヘンスは壁に掛けられた2つの振子時計の同期する理由が分からなかった.20世紀,非線形科学は振子時計の同期する理由を解き明かし,時計でもホタルでも橋を渡る人々でも構わない,同期する振動子に関する不変の構造を見いだした.構成要素間の相互作用の結果生まれる本質的に新しい性質の発現を「創発」と呼ぶことにすると,非線形科学はダイナミックな創発を「生きた自然」として扱う.切り刻んだ自然の従う原理が分かってしまえば,生きた自然はその応用問題に過ぎないとみなす古くさい自然観に対して,ダイナミックな創発の科学はどのような自然観を提示できるのか,そしていかにして原理を探求する基礎学問たりうるのか,が本書のもうひとつのテーマである.
非線形科学の視線は,熱対流やジャボチンスキイのBZ反応のような現象を足場にして,そのはるか彼方の普遍的な構造に向かっている.その足場の上に築かれるのは徹底した力学(系)的自然観である.では,力学系(微分方程式)のあいまいさのない冷徹な決定論が,生きた自然のゆらぎに満ちた豊かさと相容れるのか.しかし,むしろ徹底的に決定論の世界に身を投じることで,創発の背後にある数々の普遍構造が明らかにされる.そのためには真性の非線形問題の持つ困難さや現象の個別性を乗り越えて,普遍構造を引きだすための方法論を身に付ける必要がある.非線形科学のとったアプローチの特徴のひとつは,現象の彼方にある概念的な問題を扱うための「現実離れした」モデルによって,新たな現実を突きつけるところにある,と言ってもよい.一見,物理とは何の関係もなさそうな簡単な力学系が対流のカオスを説明し,同じ力学系が生態系や化学反応でも成り立ち,そしてそれらに共通する普遍構造が見いだされる.ここに非線形科学の醍醐味がある.本書ではこのように非線形科学の準備をしたあと,パターン形成,非線形リズムと同期,そしてカオス,などが説明される.一般向けには少々難しいのではないかと心配されるが,本誌の読者には読みごたえがあるに違いない.
著者の言うように,「不変なもの」を通して多様な世界を描写する科学が,物質の組み合わせ的多様さから逃れ,不変な構造にたどり着くためのひとつの方法は「分解」することだろう.だから,物理学の関心が微小な世界に向かったことはごくごく自然な流れである.しかし,そのために科学は「実際の日常の自然にはあらわれない自然現象」(朝永振一郎)に膨大なエネルギーを注いできた.朝永振一郎はそのような科学のほかに,日常の世界の中で法則を見つけだすという性格の物理学の可能性を議論している.そのような議論からの40年はまさに非線形科学の歩みであり,本書が示すことは,物質的基盤とは別に現象横断的に普遍構造を見いだすことは可能であり,日常世界の基礎科学の可能性はそこにこそある,ということである. 21 世紀の科学のフロンティアはおそらく生命現象や広義の環境的現象にあり,そこは創発的現象の宝庫である.これからこそ非線形科学の真価が問われる.
(2009年5月11日原稿受付)


 
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伏見賢一

宇宙物理学入門-現代物理学のAからΩ-



大学教育出版,岡山,2008, ix+193 p, 21×15 cm, 本体2,500円[学部向]
ISBN 978-4-88730-838-1

 
坂 井 伸 之 〈山形大地域教育文化〉 
 


  宇宙物理学(天文学)の本は多数出版されているが,概して言えば,物理を専門とする学生が基礎物理学を学んだ後で読む専門書と,高校地学の教科書や一般向けの読み物のように物理を使わずに解説する本との2種類に分けられる.そのため,物理を専門としない学生に物理をある程度使って宇宙物理学を教えようとすると,手頃な教科書はなかなか見つからない.
本書は,文科系を含む大学1年生対象の講義と自然科学系3年生以上対象の講義の両方のための,著者曰く「なんとも欲張りな本」である.つまり,既存の本に適切な教科書がないから自分で書いてしまった,というわけだ.内容もまた欲張りで,恒星物理学と宇宙論の2本立てになっている.
本書の対象とする2種類の学生のうち,自然科学系3年生以上というのはかなり幅が広いので,文科系学生の視点で主に感想を述べたい.まず,著者自身が述べているように,各章の初めのうちは平易で読みやすい内容になっている.途中から式が出てきて読みにくくなるわけではないが,一般に数学や物理に慣れていない人は式が出た途端に読めなくなる傾向があるので,文科系の学生が独力で読む本としては難しいだろう.しかし,授業やゼミの教科書として使うのであれば,教員が式について補足説明したり,あるいは「この式の導出はわからなくても良い」と言って安心させたりして,ある程度は先に進むことができるだろう.
今回,新著紹介の依頼を受けたのが3月末だったので,試しに新学期の3年生のゼミの教科書として本書を使ってみた. 第4章 「宇宙の大きさを測る」から始めて約 1 ヶ月で第 5 章「宇宙論」のフリードマンの解まで進んだが,これまでのところ教員養成系の学生もついてきている.
この第4・5章に加えて第1章「恒星」と第7章「宇宙の始まりと物質の起源」には,文科系学生でも入りやすいような配慮が感じられた.その4つの章に比べると,第2章「太陽」,第3章「恒星の進化」,第6章「宇宙暗黒物質」は,文科系学生に対する配慮がやや少ないと思う.例えば太陽の構造図のように,導入的な図がもっとあればより良かったと思う.
ところで,著者は実験核物理学・実験宇宙物理学の専門家であるためか,第2章では太陽ニュートリノ観測が,第6章では暗黒物質探査が詳しく解説されている.そして,それに必要なニュートリノと SUSY 粒子についての解説が付録にまとめられている.これらは素粒子論の基礎知識がないと読めないが,逆に言えば,この分野外の研究者にとっても読み応えのある内容である.
(2009年5月22日原稿受付)


 
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石井 茂


ハイゼンベルクの顕微鏡; 不確定性原理は超えられるか



日経BP社,東京,2006, 271 p, 19×13 cm, 本体1,800円[一般書]
ISBN 4-8222-8233-3

 
谷 村 省 吾 〈京大院情報〉 
 


  ハイゼンベルクの不確定性原理はあまりにも有名だが,小澤正直氏によって不確定性原理の定式化も物理的内容も定量的予言も変更されたことは比較的最近の出来事である.1) 本書は,1927年にハイゼンベルクが不確定性原理を発見する前後から, 2002 年に小澤氏が新しい不確定性不等式を確立するまでの歴史物語である.
本書の論点を要約すると,不確定性原理は「物体の位置を正確に測ろうとするとその運動量が乱される」ことと説明される.この原理を精密化するためにケナードとロバートソンが証明した不等式は「同じ状態に準備した多数の粒子の位置を測れば粒子ごとに測定値にばらつきがあり,同じ状態にある粒子について(今度は位置を測らずに)運動量を測れば測定値には一定以上のばらつきがある」ことを示しているが,「位置の測定が運動量を乱す」というハイゼンベルクの元々の意図を表してはいなかった.にも関わらず,ハイゼンベルクはケナード流の不等式を自分の意図を数学的に表したものと受け止め,以後,ケナード流の不等式が広まっていく.つまり,誤差と擾乱の関係が,統計的分散同士の関係にすり替えられていた.
小澤正直氏は,重力波の検出限界の研究を通じて,不確定性不等式の問題に気づき,ついにケナードの不等式に替わる,誤差と擾乱に関する正しい不等式を発見した.本書によれば,小澤氏が定説に疑問を呈して新しい答えを欧米の著名な学術誌に発表することにはかなりの困難を伴ったようである.
本書は量子論の発展史であるだけでなく,物理学を築いてきた人物たちの物語でもある.完成された教科書を読むだけではわからない,物理学者たちの生身の人間としての営みや葛藤も生き生きと描かれている. 20 世紀という激動の時代に翻弄され苦悩しながらもたくましく賢明に生きようとした人々の姿が描かれていて感銘を受ける.
本書は一般読者向けとしては申し分ない内容だが,物理の記述としては詰めが甘い箇所が散見される.例えば,本書p. 19の相対論的エネルギーの表式がおかしい.文脈からすると静止エネルギーを差し引いた運動エネルギー
(誤)E=mc2 2 √ 1−(v/c)2
→ (正)E= mc2/ √ 1−(v/c)2  −mc2
   
を書くべきである.そうするとp. 24で質量 100 g のボールが時速 100 km で飛ぶときの運動エネルギーを1015 Jと計算しているが,上の定義式に従えば40 Jである.
本書は人物伝として読んでも物理学の本としても読んでも,なるほど,そうか,そういうことだったのか,と思うところが多々あり,知的刺激に富む本である.物理学を専門としない読者に向けて書かれているが,読者が一通りの量子力学の知識を持っていれば面白さは一層増すことだろう.
参考文献
1)小澤正直:日本物理学会誌59 (2004) 157; 小澤正直:数学(日本数学会編)61 (2009) 113; 小嶋 泉:数学61 (2009) 210.
(2009年4月30日原稿受付)


 
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D. McMahon

String Theory Demystified



McGraw-Hill Co., USA, 2008, 306 p, 23×18 cm, US$21.95 (Demystified Series)[学部・大学院向]
ISBN 978-0071498708


 
東  武 大 〈摂南大工〉  


  超弦理論は今や重力も含めた統一理論の有力な候補の一つとして揺ぎ無い地位を占めている.超弦理論に関する教科書はこれまでにも優れたものが数多く出版されているが,数学的に非常に難解な理論であるため,教科書もまた敷居の高いものが多いのが現実である.本書は初学者向けに平易に超弦理論を解説した教科書である.
頁数は全部で300頁程度であるが,その薄さと平易さにも関わらず最先端の話題まで含んだ良書である.本書は多くの超弦理論の教科書と同じくボゾン弦における共形対称性,弦の量子化を議論して,それらを踏まえて超弦理論について解説している.本書の特色は他の超弦理論の教科書と比べて群を抜いて諄いまでに丁寧に途中の計算が書いている点にある.超弦理論に限らず理論物理学の教科書や論文では途中の計算が省かれており行間を埋めるために大変な労力を必要とすることが多いが,こうした途中の計算は貴重であり,そのために本書は非常に読み易くなっている.本著は,ボゾン弦や超弦理論の基礎的な話題だけでなく,1990年代後半に脚光を浴びたブラックホールとの関連やAdS/CFT対応(共形場の理論とAdS空間上の超弦理論の対応で,1997年にJuan Maldacenaによって提唱された)といった最近の話題まで網羅している.初学者や他分野の研究者が手始めに超弦理論を勉強するうえでの最も優れた入門書の一冊として本書を推薦したい.
同じくDavid McMahon氏によって,場の量子論の教科書Quantum Field Theory Demystifiedが書かれたが, この本も途中の計算が丁寧に書いてある優れた入門書である.
最後に余談であるが, Demystified Seriesは場の理論や超弦理論だけでなく微積分や線形代数等の多くの入門書がある.私達私学の教員は多様な学生に対する数学教育に日夜苦心しているが, Demystified Seriesの微積分・線形代数等の本は(学生が英語の壁を超えられればの話であるが)学生にとって取っ付き易い教科書たりうるのではないかとも考えている.
(2009年5月11日原稿受付)


 
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湯川秀樹著,小沼通二編

湯川秀樹日記; 昭和九年:中間子論への道



朝日新聞社,東京,2007, 261 p, 19×13 cm, 本体1,300円[一般書]
ISBN 978-4-02-259936-0


 
江 沢  洋   


  本書は,湯川の1934年元旦から中間子論の第1論文が発表された翌年2月5日までの日記に,「昭和八年摘要」と「昭和九年一年間のつもり」を加えたものである. 日記は1934-1939と 1954 年の計 8 冊あり, 2007 年の生誕百年を機に公開された由,本書はその一部だ.
湯川の自伝 『旅人』 によれば中間子論への道は1932年に始まった.1933年4月には数物学会年会で核力を電子が媒介するとした場合の困難について講演し,その後で仁科芳雄からボース粒子を考えたらという示唆を受けた.
本書の日記には1934年5月6日に「Fermi, Neutrinoを読む」とある.ベータ崩壊の論文だ.『旅人』 にPauliのニュートリノ仮説を「私は知らなかった」, Fermiの論文を読んで「直ちに考えた」とあるのが9日の「Neurtrino問題を考究」で,その報告が6月2日の「午後コロキウム,湯川,ニュートリノ」であろう.『旅人』 のいう「陽子や中性子が電子・ニュートリをやりとりしている」だ.しかし「これによって生ずる力は核力には弱すぎた.」10月9日の 「γ’ rayについて考える」が 『旅人』 のいう「10月初めのある晩,私はふと思いあたった」であろうか.核力の到達距離と媒介粒子の質量の関係に気づいたのだ.γ’ は荷電粒子間の力を光子γが媒介することとのアナロジーだろう. これからは一瀉千里, 11 月 10 日の「発信, 数学物理学会」 で11月17日の学会常会での講演を申し込み,『湯川秀樹著作集』 別巻の年譜によれば11月30日に英文論文を投稿している. 日記には, この日に「Typewriter打ち始める」とあるが論文とは別のものか?
この他にも興味深い記録は多い.2月2日に「Gen. Trans. Theory」とあるのは Dirac が “The Lagrangian in Quantum Mechanics" Zeit. Sowjetunion 3 (1933) 64 で 導 入 し た Generalized Transformation functionを指し,「発信,数物会誌」は1934年4月2日の数物学会年会での講演「相対性量子力学に於ける確率振幅について」の申し込みであろう.数物会誌8 (1934) 113にある講演予稿は短くて内容が分からないが,湯川の後の「場の理論の基礎について」 (科学1942年7-9月号, 『湯川秀樹著作集』 8)から引けば,粒子の量子力学的変換関数 〈xt’|xt〉 を場の理論に一般化し,Diracにならって,ミンコフスキー空間の閉曲面 C 上の場の量の汎関数 〈C〉 を考えようというのである.湯川は講演のとき C をマルで表わしたので「マルの理論」といわれた.朝永は「湯川君はDiracの論文を見たのか,見ないでかもしれないのですが」 (『朝永振一郎著作集』 11, p. 274)といっているが, この日記から 「見た」ことがわかる.朝永は,湯川のマルを空間的曲面からなるレンズに変えて超多時間理論をつくった.
(2009年6月8日原稿受付)


 
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S. Datta著,森藤正人,森 伸也,鎌倉良成訳

量子輸送 基礎編; ナノスケール物性の基礎/量子輸送 応用編; ナノデバイスの物理



丸善,東京,2008, xiv+157 p+XIII, 21×15 cm, 本体3,600円[大学院向] ISBN 978-4-621-080005-4 /丸善,東京,2008, v+250 p+XIV, 21×15 cm, 本体5,500円[大学院向] ISBN 978-4-621-080006-1



 
江 藤 幹 雄 〈慶大理工〉  


著者のS. Datta氏の名前を聞くと,スピントロニクスの研究者はDatta and Dasのスピントランジスターを思い浮かべるであろう.Datta氏はまた,メゾスコピック系の輸送現象に関する理論の優れた教科書1)の著者としても知られている.この教科書は,私の研究室でも卒業研究の教材としてしばしば用いている.はじめの3章(2次元電子系の輸送特性の基礎,ランダウアーの公式, グリーン関数法)を読むと,『量子力学で記述される小さな系(量子ドット,量子細線など)に大きな粒子浴(ソース,ドレイン電極)を接続した開放系で電気伝導をどう計算するか』 が理解でき,さっそく具体的な問題に応用できるという優れものである. さて,本書はその有名な教科書とは異なる. その10年後に出版されたQuantum Transport; Atom to Transistor (Cambridge Univ. Press, 2005)の日本語訳(2分冊)である.この本は前書1)の内容を工学系の読者向けに平易に説明する目的で書かれたものだが,簡潔で明解な前書に比べると,多くのことを詰め込み過ぎて読みづらくなってしまった,というのが正直な感想である.しかしこれは読者の好みの問題もあろう.以下にその概要を紹介する. 第2〜5章:量子力学の初歩から半導体のバンド構造までの解説.基礎的記述の中に難しい内容が天下り式に導入されることがあって読みづらい.空間を離散化する計算手法,スピン軌道相互作用を含めた価電子帯の計算,グラフェンのバンド構造にも触れる(本書の具体例は, MATLABコードがウェッブサイトからダウンロードできる). 第6, 7章: 小さな系に電子を閉じ込めたときのサブバンド構造(量子井戸,量子細線),静電容量(量子ドット)の説明.シュレディンガー方程式とポアソン方程式を連立して自己無撞着に解く半古典的解法(電子の作るポテンシャルを古典電磁気学で扱う近似法)も詳述している. 第8〜11章:前書の中心テーマ(上述の 『…』)の詳しい説明.前書でもそうであったが,グリーン関数の解説は上手い.「小さな系」に粒子浴を接続した効果が自己エネルギーとして取り入れられることがよくわかる.フォノンの放出などの非コヒーレント現象も自己エネルギーでの記述が有効であるが,その説明は十分ではない. ナノスケールでの電気伝導の理論の解説書は他にあまり見当たらない.それが日本語で読める本書は貴重であるが,私の個人的な好みはやはり前書1)である. 参考文献 1) S. Datta: Electronic Transport in Mesoscopic Systems (Cambridge Univ. Press, 1995). (2009年6月3日原稿受付)


 
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P.ヘリングス著,川端 潔訳

パソコンで宇宙物理学; 計算宇宙物理学入門



国書刊行会,東京,2009, xii+284 p+v, 21×15 cm, 本体2,400円[学部向] ISBN 978-4-336-05001-4



 
真 貝 寿 明 〈大阪工大情報〉  


原著タイトルはAstrophysics with a PC. 宇宙物理学を題材にして数値計算プログラムを体験させる入門書である.対象としている読者は,ある程度物理の素養があるが数値計算は初心者といったレベル.物理・情報系の学部生,あるいはハイレベルの天文ファンに好まれそうな内容だ. 第1章で代表的な数値計算方法についてまとめた後は,章ごとにテーマを 12 個紹介している. 使う数値計算法は,微分方程式の解法(予測子修正子法,Runge-Kutta法など)・方程式の解法(Newton-Raphson法など),そして数値積分法(Simpson法)である.扱うテーマは,彗星の尾の形状,流星の光度変化,制限3体問題,星の構造(ポリトロープや白色矮星),銀河モデル,宇宙モデルなどである.物理的な解説がもの足りない箇所も多々あるが,解くべき基本方程式をどのように数値計算用に捉え直していくかといった説明には十分なページを割いている. 残念なのはプログラムの実行結果(数値データ)をどのように可視化(またはグラフ化)すればよいかという解説がないことと,得られた結果に対する物理的な議論が不足していることである.計算した結果何が分かって嬉しいのか,次にどのように発展させられるのか,といった視点の記述があれば,読者に一層の興味を与えられたであろう.ただし,この種の入門書にあれもこれも要求するのは酷かもしれない. 原著は1994年に出版されていて,この15年間に宇宙物理もパーソナルコンピュータ環境も大きく進展した.訳者の前書きにもあるが,本書の難点はサンプルプログラムがQuickBASIC (QB) で書かれている点である. QB は,Microsoft 社が Windows OS 以前の1985年に提供した開発環境であり,現在ではVisual Basicに置き換えられ,言語仕様も大幅に変更されている.訳者は QB に近い言語である FreeBASIC に対応するように,原著のプログラムを書き換える労を取られている.(英語版によると,QB版とPascal版のソースコードをフロッピーディスクで販売しているようである). また,訳者の気配りは本の体裁だけではなく,多くの脚注や参考文献の追加にも見られる.特に最後の宇宙モデルの章では「現実には宇宙項がゼロのモデルだけを考えれば良い」と言い切っている原著(15年前にはそうとも言えた)を多くの訳者注で救っている.ここだけは1章まるごと書き改めたほうが読者の混乱を避けられたかもしれない. 類書には,同時期に出版され早々に翻訳された文献1(Pascal言語)や天体力学にテーマを絞った文献2(C言語,CDロム付)がある.また,評者が以前に本欄で「計算機から導く物理の教材」と題した小特集3)で紹介した相対論ものの文献4(Basic言語)がある.本書は文献1とテーマが重なるがプログラムを組ませる点において優れており, 文献2, 4とは扱うテーマがほとんど重ならない. インターネットが発達した現在,独自にプログラムを組んでウェブ上にアプレットを公開する人も増えた.理系の裾野を少しでも広げるような,この種の本の出版は歓迎すべきことと思う.本書を通じて物理研究に興味を持つ学生が増えることを望みたい. 参考文献 1) J. M. A. Danby, R. Kouzes and C. Whitney: Astrophysics Simulations (John Wiley & Sons, 1995); 福江 純監修,山本菊男訳:『宇宙物理学シミュレーション』(海文堂,1996). 2) O. Montenbruck and T. Pfleger: Astronomy on the Personal Computer, 4th ed. (Springer, 2002). 3) 真 貝 寿 明, 山 内  淳: 日 本 物 理 学 会 誌58 (2003) 694. 4) 福江 純:『パソコンシミュレーション; 目で視る相対論』 I, II, III(恒星社, 1990, 1991, 2000). (2009年6月27日原稿受付)


 
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南部陽一郎著,江沢 洋編

南部陽一郎 素粒子論の発展



岩波書店,東京,2009, vii+505 p, 21×15 cm, 本体4,500円[大学院・学部向] ISBN 978-4-00-005615-1



 
高 柳  匡 〈東大IPMU〉  


本書は, 2008 年にノーベル物理学賞を受賞された南部陽一郎先生の初の和文論集である.内容は,南部先生のノーベル賞受賞講演からはじまり,日本物理学会誌などの雑誌における先生の解説記事や,シンポジウムなどにおける講演を40編近く掲載したものである.私は,この本を理論物理学を志している学部学生や大学院生のみならず,若手理論物理研究者にも強く推薦したい. この本の前半の多くの記事では,日本の素粒子論の誕生と発展に関しての歴史が,南部先生のお若かった時の体験を交えて生き生きと描かれている.長岡の土星型原子模型や仁科の光子電子の散乱振幅からはじまり,湯川,朝永,坂田の世代で大発展し,南部先生へとつながるわけであるが,日本の素粒子論を創った大先生方がどのように考え,交流し研究を発展させたのかとても面白く分かりやすく書かれている. 例えば,「日本の戦争時代になぜ理論物理学の分野で最も創造的な研究が続出したのか?」という興味深い事実に関しても先生の視点から解説されている.また南部先生自身,研究をはじめられた初期の頃に,戦争直後の厳しい生活環境のなかで東京大学で物性理論や素粒子論に没頭され,本書からはその当時の物理研究に対する熱意がひしひしと伝わってくる. 後半の多くの記事では,南部先生が発見された「弦理論」のハドロン物理への応用,またノーベル賞受賞の理由となった「自発的対称性の破れ」の超伝導,ハドロン物理,そして標準模型への応用に関してとても含蓄の深い解説が書かれている.また,最後の記事では,アメリカでの研究者養成がいかに日本の場合と異なるか説明されており,海外での研究経験の重要さを強調されている. 私のように超弦理論の若手研究者からすると,南部先生はまさにその分野の元祖である.5年ほど前に,シカゴ大を訪問した際に,先生にお目にかかることができ,幸運にも私のセミナーを聴いていただくことができた.にもかかわらず,やはり雲の上の伝説的な先生と思ってしまう.本書を読むと,南部先生との距離が少し縮まった気がし,またそこから自分の研究に対して大いなる励ましを得ることができた. (2009年6月25日原稿受付)


 
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C.グルーペン著,小早川惠三訳

宇宙素粒子物理学



シュプリンガー・ジャパン,東京,2009, xii+467 p, 24×16 cm, 本体8,500円[大学院・学部向] ISBN 978-4-431-10019-5



 
森  正 樹 〈立命館大理工〉   


本書は2000年に刊行されたドイツ語のAstroteilchenphysikの英訳Astroparticle Physics (2005年) の邦訳である.最近目覚ましい進展を遂げているこの分野を網羅する教科書としては唯一に近いものである.英訳書については2006年4月号の新著紹介で市村雅一氏によりすでに紹介されているが,和訳の登場は学部生や大学院生の学習の能率を上げるうえで有用であろう.記述は平易で,数学や熱力学についての付録もあり,演習問題とその解答も含むという親切さも兼ね備えている点で,この分野の教科書として役に立つものとなっている.その上,ウィットに富んだ名言やイラストまで添えられている. 内容の具体的な紹介は前掲紹介記事に譲るが,多くの事項が最近の話題に至るまで幅広く取り上げられている.前半がいわゆる天体粒子物理学で,後半はほぼ宇宙論の入門という二部構成ともいえよう.しかし,あまりに広い分野をカバーしているためか,記述に問題のある点が見られた. 2ページ,「ベラX1は連星であり,その1つはベラパルサーである」は誤りで,回転周期89ミリ秒のベラパルサーは単独パルサーであり,天球上の位置も大きく離れている. 89 ミリ秒は,「もっとも遅い」パルサーではない.(連星のほうのパルサーは周期283秒で,最も遅い部類に属する.)この勘違いは,146-147ページの「ベラパルサーが…. そのことからベラ X1 の…」の関連のない二つの文が,あたかも関連するように書かれていることにもつながっている.(なお, 通常「X1」でなく「X-1」と表記する.) 187ページ,「高エネルギー光子シャワーが最大になるのは(地上から見て)1,075 g/cm2となる」は誤りで,上空から見てである.(なぜか訳注は正しい線に沿って「地下になる」と書いてある. ただし, 「垂直入射の場合」の但し書きが必要.)また,このことと「高エネルギー光子は地磁気との相互作用のため地上から高高度で空気シャワーを引き起こす」こととは逆方向の効果であり,直接つながらない.(地球に入射する方角にもよるが,後者の効果により最大が起こるのはもっと浅くなる.) もう少し細かい点も挙げておく.P. 17:「ガンマ線バースター」という言葉は全くではないものの,使われることはまれな呼称であり,一般には「ガンマ線バースト」と呼ばれている.P. 19: 日本のX線衛星の貢献には(せめて訳注ででも)触れてほしかった.P. 98:「(π0崩壊, ケンタウルスA?)」根拠・典拠が不明なのでカッコ内の後者は削除すべきであろう.P. 114:「超巨星サンデュリーク」は「超巨星サンデュリーク−69°202」とすべきである(サンデュリークはカタログ作製者の名前). P. 136: 56Coからのガンマ線のエネルギーが847 keVと1,238 keVであることを書き加えたほうがよい.P. 318:「ハッブルの観測から」は「ハッブル宇宙望遠鏡の観測から」とすべきであろう. 訳文は元の文意を尊重しようとしてわざと逐語訳調にしているのかもしれないが,日本語としてはこなれていない箇所が多く見受けられる. タイトルについて個人的なコメントを付け加えたい.「Astrophysics」の訳語として「宇宙物理学」を当てるのは私には違和感がある. 接頭辞“astro"は「星(=天体)」のことである.日本語の「宇宙」には“space"の意味にも“universe"の意味にも使われるあいまいさがあるうえ,森羅万象を相手にしているのではなく,個々の天体を対象として行われていることの多い研究の実情を鑑みても「天体物理学」のほうが適当と考えるものであり,本書の場合も「天体(素)粒子物理学」とするほうがよいと思っている.しかし,一般受けのする「宇宙」を冠する類書がすでに多く出されている現状は動かし難いことではあるが. (2009年7月16日原稿受付)


 
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二間瀬敏史

カーナビからはじめる相対性理論



NTT 出版, 東京, 2008, iv+197 p, 19×13 cm, 本体 1,900 円 (やりなおしサイエンス講座 06)[一般書] ISBN 978-4-7571-6026-2



 
椎 野  克 〈東工大院理〉  


本書はやりなおしの社会人と,これからの若い人を対象とした,やりなおしサイエンス講座のシリーズ本である.相対性理論について一般向けの易しい解説を目的として書かれている.内容は2章で特殊相対論,残りのうちの大部分(1, 3, 4, 5章)で一般相対論に触れているが,他の相対論の一般向け解説書に比べて以下の二つの特徴を有している. 一つ目は,論旨の構築の仕方である.啓蒙書が易しさを指向した場合,先ずはその基礎概念をある程度まとめて用意し,その上で相対論的世界観を説明することが得策である.ところが著者は,個々の基礎概念の登場のたびにその物理的帰結を逐一明らかにすることを心がけている.例えば著者は,重力場中での時計の遅れを一般相対論導入以前に等価原理だけから説明している.このようなことをすると,ともすれば論理が散漫になってしまうところだが,そこは著者が相対論の論理構造について深層まで精通しているからであろう,本書にそのような乱れは一切無い.特に一般相対論の中で等価原理のみから説明される事柄を丁寧に仕分けしていて,簡単でありながら玄人好みの内容になっている.この点で,相対論を学ぶ学生の副読本としても十分な資格があると思う. もう一つの特徴は,内容を意識的に偏らせていることである.どうやら本書は体系としての相対論を説くことを目的としていないようである.むしろ著者が選択した話題に特化して一点集中,懇切な説明を指向している.例えば一般相対論の概念的骨格について本書は,等価原理を除いては,微分幾何及びアインシュタイン方程式等,殆ど説明していない.また特殊相対論に於いては,ミンコフスキー時空の導入を本章での説明には用いず,「算数」として補章に飛ばしてしまっている.おかげで相対論の数学的美しさは置き去りにされてしまったようだが,それだけに魔法のような相対論世界が読者を惹きつけることができるかもしれない. 本書は全体的に面白く読める本だと思う.アインシュタインの人となりが横糸として織り込んであり,アインシュタインの若き傲慢や老いての偏狭等も随所に楽しめる. 一転,終盤で話題を詰め込みすぎて駆け足になってしまっているのが残念である.現代の相対論,素粒子物理学をアインシュタインの思想から俯瞰することはいささか無理やりのような気もする.篤実な本書の文脈で最新の物理学の話題までを紹介することは必要だったのだろうか? それについては筆者の他著に任せれば十分であったのでないかと思う. (2009年7月30日原稿受付)


 
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C. W. Gardiner

Stochastic Methods; A Handbook for the Natural and Social Sciences (4th ed.)



Springer, Heidelberg, 2009, XVII+447 p, 24×17 cm, euro74,95 (Springer Series in Synergetics 13)[学部向] ISBN 978-3-540-70712-7



 
水 野 貴 之 〈一橋大経済研〉  


本書では体系的に確率過程がまとめられており,参考書として用いるのにベストな良書である.取り扱っている範囲は,基本的な確率や平均値の定義から,マルコフ過程や伊藤の公式,フォッカープランク方程式,さらには,最新の応用例として金融市場の株価の記述まで踏み込んで書かれている.網羅的に扱っており,目次だけでも10ページにものぼるが,各章間の繋がりが一覧表で明確にされているため,学部生であっても必要な基本的なことが書かれている箇所をすぐに見つけられるであろう.過去に確率過程を勉強した方は,簡単な確率過程では記述できない「べき分布」が現れる事象,例えば,金融市場の株価の変動に対して,中心極限定理と同じ安定分布の理論を応用したレヴィ過程で近似が成り立つことなどを,本書から新たに学ぶことができるであろう. 本書では,確率過程やフーリエ解析などが数学的な厳密さを失うことなく丁寧に記述されている.ある確率過程に従う現象の自己相関関数やスペクトルがどのようになるのか,また,確率過程の応用例にも触れている.従って,理論家だけでなく,実証研究をする方にもお薦めできる書籍である. 本書で扱われる確率過程,特に,1次元上の拡散過程やジャンプ過程,定常性の議論については,数学の統計分野や,情報学の時系列解析分野,経済学の金融工学や数理ファイナンスなどでも,現在,大きな発展を遂げている.本書でも,今回の第四版への改訂で,経済への応用例として,伊藤過程をもとに金融派生商品の価格を算出するブラックショールズ方程式や,価格変動を記述するレヴィ過程などが新たに取り扱われているが,それでも,まだ十分とは言えない.本書で,たびたび登場するオルンシュタイン・ウーレンベック過程は,離散時間で考えれば数理ファイナンスで使われる自己回帰過程,AR(1) 過程と同じである. 物理学の分野で,時間依存のあるオルンシュタイン・ウーレンベック過程と発展していくように,AR過程も時変AR過程や,拡散項の標準偏差がAR過程に従うARCH過程,フラクタルブラウン運動を取り入れたARFIMA過程など独自の発展を遂げている.本書で十分な物理学での確率過程の知識を得たのちに,本書の経済への応用をきっかけにして,他の分野の確率過程を学べば,さらに自身の知識の幅を広げられるであろう. (2009年8月17日原稿受付)


 
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