The Physical Society of Japan
日 本 物 理 学 会

日本物理学会第7回論文賞(2002年)

 本年度の 「日本物理学会第7回論文賞」 は、論文賞選考委員会の推薦に基づき、3 月16日に開催された第422回理事会において、以下の3編の論文に対して与えられることになりました。
 授賞式は本年3月26日 (火) の午前、第57回年次大会の総合講演に先立ち、総合講演会場であるびわ湖ホールにおいて行われました。 なお受賞論文の選考の経過については授賞式の際に荒船選考委員長から報告されましたが、本記事の末尾にも掲載しましたのでご参照下さい。

日本物理学会 第7回論文賞受賞論文

  1. 標 題: Exchange Monte Carlo Method and Application to Spin Glass Simulations
    著 者: Koji Hukushima(福島孝治), Koji Nemoto(根本幸児)
    掲載誌: J. Phys. Soc. Jpn. 65 (1996) No.6,pp1604-1608
    受賞理由: 本論文はカノニカル集団モンテカルロシミュレーション法の新しい手法について論じたものである。通常、多粒子系のシミュレ−ションを行う際に最も困難な問題の一つに、系が局所安定点に落ち込み、そこから抜け出すのに要する時間が計算可能時間程度あるいはそれ以上になってしまう場合、サンプリングの結果は初期状態によって異なる局所平衡の性質しか得られないことがしばしば生じる、ということがある。現実のマクロな系に於ては、種々の可能な局所平衡状態の更なるアンサンブル平均が物理量となるので、比較的少数な粒子系による計算結果は現実の状態(実験)と一致しない。そこで、局所平衡点から容易に抜け出すことが出来、しかもカノニカル集団の性質が得られるような計算上の工夫が重要課題となる。これについては、近年いくつかの方法が提案され、各種の系についてその有用性も議論されている。
     Hukushima & Nemoto 氏による本論文はこれらの方法に近年の並列計算の特徴をうまく取り入れた全く新しい方法を物理分野に導入したものである。
     本論文で提唱された交換モンテカルロ法は、異なる温度の熱浴におかれた複数のレプリカを用意してシミュレ−ションを並行に(独立に)行うとともに、これら温度の異なるレプリカ間で配位(Configuration)を交換する過程を導入する。その際、各々のレプリカがカノニカル分布となるよう、交換の過程に詳細釣り合いの条件を課す。この方法により、低温のレプリカは準安定状態から抜け出すことができると考えられるのである。
     従って、交換モンテカルロ法は、計算効率も大変よく、これまでの類似の研究に比べても大きな前進がある。本論文では具体例として±Jイジングスピンガラスの緩和時間の計算等を行っているが、その結果も見事であるといえよう。論文は上に述べたすばらしい内容が平易に書かれており、内容、体裁ともに優れている。また、この論文は、世界的に注目されている準安定状態でのモンテカルロの効率化に関して我が国から発信された独自の方法であり、その後非常に注目され、スピン系はじめ、高分子系、タンパク質、その他多くの分野で応用されている。以上の観点から本論文は論文賞にふさわしいと判断する。

  2. 標 題: Anomaly Cancellations in the Type I D9-D9 System and the U Sp(32) String Theory
    著 者: Shigeki Sugimoto(杉本茂樹)
    掲載誌: PTP, Vol.102, No.3, 685-699 (1999)
    受賞理由: 自然界の4つの基本的な力(電磁・弱・強・重力)を統一的に記述する超弦理論には、5つのタイプの10次元理論がある。しかし、これらの理論から現実の4次元の理論を得ようとすると、摂動論的には無限個の縮退した真空があるため、無限個の理論が可能である。そのため、非摂動論的に唯一の理論を選び出すための努力が、多数の研究者によって行われてきた。このような中で見いだされたのがD-braneと呼ばれるソリトン解で、その解をもとに超弦理論の強結合領域での非摂動的な研究が飛躍的に発展している。
     10次元時空中のp+1次元部分空間に拡がっているD-brane すなわちDp-braneには、開弦の端が付着することができる。両端がDp-braneに付着した弦のDp-brane方向の振動はベクトル場として振る舞う。Dp-braneが同じ所にn枚重なっている場合、異なるDp-braneに両端が付着したベクトル場が存在し、超対称ゲージ理論で記述される。
     杉本氏は超弦理論とD-braneの物理を深く研究し、タイプI超弦理論にD9-braneと反D9-braneを加えることにより、無矛盾な開弦理論としてはどのような理論が可能であるかを考察した。D9-braneがn枚と反D9-braneがm枚あるときの重力アノマリーおよびゲージアノマリーが相殺する条件を調べ、n-m = ±32の場合にはSO(n)×SO(m)、n-m = -32の場合にはUSp(n)×USp (m)のゲージ対称性が許されることを示した。両端がD9-braneと反D9-braneに付着した開弦は虚質量のタキオンとなるため、この系は不安定でありD9-braneと反D9-braneは対消滅を起こす。対消滅の後、n-m = 32の場合には超対称SO(32)超弦理論が残るが、n-m = -32の場合には超対称性の破れたUSp(32)の弦理論が残ることが杉本氏によってはじめて示された。
     通常、超対称性を持たない理論にはタキオンが存在するため、物理的な理論とは考えられないが、杉本氏のモデルは超対称性も有せずタキオンもない特異な例であり、弦理論の非摂動的な研究に適している。その後、SchwarzとWittenによりbrane反brane系の一般的なアノマリー計算へと発展するなど、杉本氏の論文はこの方面の研究に大きな影響を与え、弦理論とその応用面で基礎的な役割を果たしている。よって論文賞にふさわしいと判断する。

     

  3. 標 題: Direct Observation of Sequential Weak Decay of a Double Hypernucleus
    著 者: Shigeki Aoki(青木茂樹)、Sang Yull Bahk、Ki Soo Chung、 Sung Hun Chung、Haruhiko Funahashi(舟橋春彦)、Chang Hee Hahn、Toshio Hara(原 俊雄)、 Shoichi Hirata(平田祥一)、Kaoru Hoshino(星野 香)、Masaharu Ieiri(家入正治)、Toru Iijima(飯島 徹)、Kenichi Imai(今井憲一)、Takashi Ishigami(石上隆司)、Yoshitaka Itow(伊藤好孝)、Mitsuko Kazuno(数野美つ子)、Kaoru Kikuchi(菊地 薫)、Chong Oh Kim、Dong Cheol Kim、Jae Yool Kim、Masaharu Kobayashi(小林正治)、 Koichi Kodama(児玉康一)、Yasuko Maeda(前田康子)、Akira Masaike(政池 明)、 Aki Masuoka(増岡亜紀)、Yoshio Matsuda(松田好生)、Chieko Nagoshi(名越智恵子)、Mitsuhiro Nakamura(中村光廣)、Sawako Nakanishi(中西佐和子)、 Takashi Nakano(中野貴志)、Kazuma Nakazawa(仲澤和馬)、Kimio Niwa(丹羽公雄)、 Hiroe Oda(織田弘恵)、Hisataka Okabe(岡部久高)、Sho Ono(小野 正)、 Ruriko Ozaki(尾崎ルリ子)、In Gon Park、Yoshihiro Sato(佐藤禎宏)、 Hiroshi Shibuya(渋谷 寛)、Hirohiko M. Shimizu(清水裕彦)、Jin Sop Song、 Masahiro Sugimoto(杉本昌弘)、Hiroyasu Tajima(田島宏康)、 Ryuuichi Takashima(高嶋隆一)、Fujio Takeutchi(竹内富士雄)、 Kazuhiro H. Tanaka(田中万博)、Masahiko Teranaka(寺中正彦)、 Ikuo Tezuka(手塚郁夫)、Hiroaki Togawa(外川浩章)、Noriyuki Ushida(牛田憲行)、Shoji Watanabe(渡辺尚治)、Takeo Watanabe(渡辺健夫)、 Joichi Yokota(横田穣一)、Chun Sil Yoon 
    掲載誌: PTP, Vol.85, No.6, 1287 (1991)
    受賞理由: ダブルハイパー核(ストレンジネスが−2の原子核)はハイペロンの間の相互作用の情報を得るための貴重な材料であるばかりでなく、多数のハイペロンを含む新しい原子核の世界への突破口としても大変に貴重なものである。しかしながらその重要性にも拘わらず信頼のおける実験情報を長年に亘って得ることができなかった。本論文はこの分野の実験研究の閉塞状況を打開して大きな画期をもたらしたものとして高く評価される。
     (K-,K+)反応でストレンジネスが−2のΞ-ハイペロンを生成し、それをカウンター・エマルション法で同定するという新しい方法により、まずΞ-を同定し、次ぎに、エマルションの中で静止したΞ-が核に吸収されダブルハイパー核を作ったことを、核の2段階の弱い崩壊過程の観測から確認するという新しい実験手法を導入した。KEK 12 GeV 陽子シンクロトロンを使ってその手法の実験を実行し、ダブルハイパー核の同定を ΛΛ13Bまたは ΛΛ10Be のふたつの候補に絞り込んだ。
      この成果はこの実験方法の展開により多数のハイペロンを含む新しい原子核の世界が切り開かれることを実感させるのに十分なものであった。実際にその後の展開はめざましく、最近'Nagara Event'と呼ばれる優良な実験データーを得てS波にバリオンが6つ入った ΛΛ6Heが確定されたことは大きな話題となっている。この論文は1991年の出版であるので5年をかなり遡り例外的ではあるが、この分野展開の出発点を与え、それが最近の大きな発展の基礎をなした論文であるので、あらためて新しい業績として考えられ、物理学会論文賞にふさわしいと判断する。

日本物理学会第7回論文賞受賞論文選考経過報告

日本物理学会 論文賞選考委員会*

  今回の論文賞には13件の推薦があり、その中に異なる分野から重複して推薦された論文が1編あったので、推薦された論文は12編であった。2002年2月26日の選考委員会において、この内から3編を理事会に推薦した。なお、各論文には前回の方針に従い選考委員以外の専門家1名に参考意見を求めた。
 受賞論文は紹介文にあるように、いずれも成果が国際的に注目を集め、当該分野あるいは関連分野のその後の発展に貢献したもので、論文賞にまことにふさわしいものである。今年は推薦件数は去年の11編よりも1編多く、また、さすがに内容は多彩で全体のレベルも高かったが、最終的に理事会に推薦した論文は去年より少なかった。原因のひとつには、論文発表後間も無い論文について、今の時点で高い評価ができるか、未だ定まっていないとするか、意見が分かれたものが幾つかあったこと、また、もうひとつには、外国誌に出たものも含めた一連の複数の論文で行われた業績の高さには誰も異論がないが、その中で推薦された国内誌の論文を1つ対象とすると、それにはやや異論もあって、評価がまとまらなかったものもあった。また、最近その分野の通説を見直す研究が大変活発になった端緒を開いた勇気ある論文だが、その内容の評価がまだ定まっていない論文もあった。今回受賞は見送られたが、いずれ評価がおちつけば受賞の対象になる可能性を充分残し将来を待ちたい論文が幾つかあったことは、前回と同様に、特に記したい。

*日本物理学会 第7回論文賞選考委員会
委 員 長荒船次郎
副委員長清水富士夫
委員(50音順)北原和夫、久保 健、斎藤 晋、佐藤勝彦、東島 清、樋渡保秋、 堀内 昶、前川禎通、水崎隆雄

(日本物理学会誌第57巻(2002)第5号、pp.373-374)


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