The Physical Society of Japan

日 本 物 理 学 会

日本物理学会第8回論文賞(2003年)

 2003年度の「日本物理学会第8回論文賞」は、論文賞選考委員会の推薦にもとづき、3月17日に開催された第434回理事会において、以下の5編の論文に対して与えられることになりました。
 授賞式は3月30日(日)の午前、第58回年次大会の総合講演に先立ち、総合講演会場である仙台国際センターの大ホールにおいて行われました。なお受賞論文の選考の経過については授賞式の際に清水富士夫選考委員長から報告されましたが、本記事の末尾にも掲載しましたのでご参照ください。

日本物理学会 第8回論文賞受賞論文

  1. 標 題: An Analysis of ππ-Scattering Phase Shift and Existence of σ(555) Particle
    著 者: Shin Ishida(石田晋)、Muneyuki Ishida(石田宗之)、Hiroyuki Takahashi(高橋裕行)、Taku Ishida(石田卓)、Kunio Takamatsu(高松邦夫)、Tsuneaki Tsuru(都留常暉)
    掲載誌: PTP Vol.95 No.4 745 - 766 (1996)
    受賞理由: ハドロン物理学では、核子の質量が元々非常に小さいため近似的なカイラル対称性が成り立っているが、対称性の自発的破れによって核子が大きな質量を獲得し、その代償として軽いパイオン(π)が南部−ゴールドストン粒子として現れると考えている。南部Jona-Lasinioに始まるこの描像では、擬スカラー粒子であるπの相棒として現れるスカラー粒子が真空期待値を持つために、対称性の自発的に破れが引き起こされる。クォークや核子の質量の起源を探る上で、σ粒子と呼ばれるこのスカラー粒子の性質を知ることは非常に重要なテーマである。
     この論文は新しい解析手法により、ππ散乱のS波振幅を解析し、共鳴状態σの存在を示した。ハドロン物理学においてσ粒子の存在は大変重要であるが、それまでの方法によるππ散乱振幅の解析では、σ粒子の存在は疑わしい状況であった。著者らはππの部分波振幅に強い斥力(ハードコア)に相当する項を付け加えて解析を行い、位相差が90°を切ることから共鳴状態の質量が553MeV崩壊幅が242MeVであることを示したが、この質量はカイラル対称性を初めて提唱した南部Jona-Lasinio模型の予言とほぼ一致することから注目を集め、その後の実験・理論両面における活発な研究を生み出すこととなった。
     この論文は、多くの批判を引き起こすと同時に、この問題の重要性を改めて喚起し、様々な解析手法に基づく多くの研究を生み出すこととなった。しかしながら、批判の多くは、著者らの主張を否定するよりは、精度を上げるための新たな実験を提案したり、解析手法に依らない定式化を提唱するなど建設的な批判であり、結果として本論文は位相差解析のみならずハドロン物理学の研究を活発化させる契機となった。 このように、新しい問題を提起し、多くの人々の注意を喚起し、この分野の研究を活性化させた点において本論文は論文賞にふさわしいと考えられる。
  2. 標 題: Triplet - Doublet Splitting, Proton Stability and an Extra Dimension
    著 者: Yoshiharu Kawamura(川村嘉春)
    掲載誌: PTP Vol.105 No.6 999-1006 (2001)
    受賞理由: 電磁力、弱い力、強い力および重力の4つの基本力のうち、電磁力と弱い力はグラッショー・ワインバーグ・サラムによる弱電磁相互作用のSU(2)×U(1)ゲージ理論に統一された。これにSU(3)のゲージ理論である強い力を加えて3つの力を統一しようとする大統一理論も提唱されており、最も簡単なSU(5)の模型の場合には、赤、黄、緑の3色のクォークと電子、ニュートリノの2種のレプトンがSU(5)の5次元表現に入っており、SU(5)のゲージ場は3色のクォークと2種類のレプトンを結びつける役割を果たす。陽子の寿命が非常に長いことから、クォークをレプトンに変えるゲージ場は、現在知られている粒子に比べると非常に重いと考えられる。更に、エネルギーが高い時にSU(3)、SU(2)、U(1)のゲージ力の強さが等しくなることと、陽子がなかなか崩壊しないことを両立させるためには、ボーズ粒子とフェルミ粒子を入れ替える対称性である超対称性が必要であると考えられている。
     クォークやレプトンに質量を与える役割を果たすのは、クォーク・レプトンと同じくSU(5)の5次元表現に属するスカラー粒子である。超対称大統一理論では、クォークと同じ3つの色を持つスカラー粒子は、陽子を崩壊させてしまう危険な粒子となる。陽子の寿命が長いことから、クォークに対応する3色のスカラー粒子(3重項)は、レプトンに対応する2種類のスカラー粒子(2重項)に比べて非常に重いと考えられる。これを「3重項・2重項の分離問題」という。
     川村氏の論文はこの問題に対する非常に新しい考え方を提案した。高次元の理論において4次元以外の残りの次元はオービフォールドと呼ばれる空間に小さくなっており(コンパクト化)、我々の世界はオービフォールドの固定点に位置した4次元部分空間(ブレイン)であるという描像に立てば、この分離問題が自然な形で解決できるというのである。オービフォールドというのは、パリティーのような離散群で移り変わる点を同一視した空間であり、離散群で不変な点を固定点という。川村氏はオービフォールドにおけるヒッグス場の境界条件を巧妙に設定する事によって、自然な形でヒッグス2重項を軽くし3重項を重くできる事を示した。これは、現実的な大統一理論を構築する上で非常に重要な貢献であるため大きなインパクトを与え、その後になされた多くの研究の契機となった。このように本論文は論文賞にふさわしいと考えられる。
  3. 標 題: Magnetic Susceptibility of Quasi-One-Dimensional Compound a'-NaV2O5
    -Possible Spin-Peierls Compound with High Critical Temperature of 34 K-
    著 者: Masahiko Isobe(礒部正彦)、 Yutaka Ueda(上田寛)
    掲載誌: JPSJ, Vol. 65 No. 5 1178-1181 (1996)
    受賞理由: 本論文は低次元磁性体 a'-NaV2O5 が低温においてスピン一重項へ相転移することを最初に報告した論文で、その後の爆発的な研究の発端となったものである。NaV2O5はVO5正方ピラミッドの2次元ネットワークよりなるトレリス格子とその層間を占めるアルカリ金属、または、アルカリ土金属より構成される一般式AV2O5と表される化合物の一つで、化学組成からはV4+/V5+ = 1の混合原子価化合物である。本論文の著者らは、細心の注意をして良質の a'-NaV2O5を合成し、磁化率と X線回折の温度変化を測定し、磁化率がS = 1/2 反強磁性ハイゼンベルク1次元鎖に特有なボナー・フィッシャー曲線によく従うこと、さらに、34 K でスピン一重項へ2次相転移することをはじめて見出した。また、それまでに報告されていた室温における結晶構造では、V4+ (d1)イオンの1次元鎖とV5+ (d0)イオンの1次元鎖が交互に配列していることから、CuGe03 に似た、しかし、高い転移温度をもつ, 無機物としては2例目のスピン・パイエルス物質の可能性を指摘した。この論文に多くの研究者の注目が集まり、34 K転移の詳細を研究する実験が様々な測定手段で行なわれることになった。その間に理論グループの注目するところとなり, 妹尾・福山両氏により電荷秩序モデルが提案された(JPSJ 67 (1998) 2606)。その後の注意深く、かつ、詳細な実験と解析から、34 K転移は、電荷無秩序状態から電荷秩序状態への転移であり、電荷秩序と共にスピン一重項が形成される新奇な相転移であることが判明した。最近では、2次元トレリス格子内(a-b面内)原子変位パターンのc軸方向への積層配列が様々な変調構造をもつ所謂 "悪魔の花"相図が温度-圧力面上で見出されるなど、一層の展開を見せている。
      a'-NaV2O5は現在も盛んに研究の行われている無機強相関系物質の一つである。本論文は、a'-NaV2O5、ひいては、スピン・電荷・格子の協力現象による新奇な相転移の研究の引き金となった論文で、引用回数が極めて多く(>250)、また、世界的に研究が展開されてきたことにも、著者らによる研究の価値の高さが現れており、論文賞にふさわしいと判断する。
  4. 標 題:Anomalous Properties around Magnetic Instability in Heavy Electron Systems,
    著 者: Toru Moriya(守谷亨)、Tetsuya Takimoto(瀧本哲也)
    掲載誌: JPSJ Vol.64, No.3 (1995) pp960-969
    受賞理由: 強相関伝導電子系の研究は、高温超伝導体の発見に触発されて実験、理論の両面から急速な進展を見せている分野であり、金属磁性や超伝導など電子相関が相互に関与した物性物理の重要な課題である。その中で、セリウム、ウランなどを含む金属で見られる重い電子系は強相関電子系の重要な問題である。多くの重い電子系で見られる磁気的秩序相と常磁性相の境界として定義される量子臨界点近傍の磁性の問題や金属の比熱や電気抵抗などの異常な温度変化に見られる非フェルミ液体的振舞いと超伝導の関係を強相関電子系の問題としてどのように捕えるかという問題が物性物理の最重要課題として注目を集めている。
      本論文は出版されて5年以上経過しているが、強相関電子系における量子臨界点の問題の重要性をいち早く指摘した論文である。著者の内の一人が精力的に発展させた遷移金属の遍歴電子系の磁性のスピン揺らぎの理論を、量子臨界点近傍の反強磁性的スピン揺らぎの強い重い電子系のs?f電子系に適用し、ウラン、セリウム系などの重い電子系に見られる特有の非フェルミ液体的物性を見事に説明した。 重い電子系の物理という物性物理の基礎的で重要な問題に対して量子臨界点近傍のスピン揺らぎ効果を指摘した本論文の功績は重要である。最近、磁気秩序を圧力等で精密に制御した量子臨界点近傍の精密な実験的研究が盛んに行われているが、本論文は新しい物性開拓の指導原理ともなっているものであり、将来一層の発展期待される重い電子系の問題の基礎となるものである。
  5. 標 題: Peculiar Localized State at Zigzag Graphite Edge
    著 者: Mitsutaka Fujita(藤田光孝)、 Katsunori Wakabayashi (若林克法)、 Kyoko Nakada(中田恭子)、Koichi Kusakabe(草部浩一)
    掲載誌: JPSJ Vol. 65 No. 7 (1996) pp 1920−1923
    受賞理由: ナノメートルサイズの系は、量子効果によりしばしばそのバルク相とは異なる新奇な物性を示す。炭素のナノ構造体であるフラーレン・ナノチューブ系も、その結合トポロジーの変化に応じてグラファイト・ダイヤモンドとは異なる多種多様な物性・伝導特性を示すことから、今世紀の最重要研究領域の一つであるナノサイエンス・ナノテクノロジーにおける中心物質としてその研究が進められている。本論文は、カーボンナノチューブを切り開いた構造体であるナノメートル幅を持つナノグラファイトリボンに対してtight-binding法を適用し、その電子構造において、分散の殆んど無い特異なエッジ状態が出現すること、そして、その状態により、磁性が誘起され得る事を示した論文である。
    本論文で指摘されたエッジ状態とは、ナノリボンがいわゆる「ジグザグ型」の端(エッジ)を持つ場合に出現する状態で、その後、詳細な第一原理電子構造研究でもその出現が確認されている。そして、電子相関をハバード模型で扱った結果得られた磁性解は、実験研究者からも注目を集めてきた。最近、ナノメートルサイズのグラファイト状物質において磁性現象の実験報告が相次いでおり、その起源に強い関心が持たれている。本論文は、非常に重要なサイエンス分野において理論予測に留まらず、実験研究の新展開に大きく寄与した論文として、論文賞に相応しいものと判断される。

日本物理学会第8回論文賞受賞論文選考経過報告

日本物理学会 論文賞選考委員会*

  今回の論文賞には18件の推薦がありました。例年の審査方法にならって、各候補論文につき選考委員から1名、および委員以外の専門家1名に評価をお願いしました。2003年2月24日に選考委員会を開催し、2名の評価者の意見と一部の論文に対してはさらに前年度の評価を参考に議論し、別紙の5件を受賞論文として理事会に推薦しました。
 候補論文数は一昨年の11件、昨年の12件よりかなり増えました。本年の18件のほとんどは評価をいただいた方から論文賞に相当するものとのご意見をいただきました。質の高い論文を多数推薦していただいたことを感謝します。順位をつけるに当たり、分野間、および評価委員の価値基準の差からくるぶれを減らすため、私、委員長の判断で論文被引用数に関した統計、年平均被引用数と同種の研究で規格化した被引用数、の表を作り選考の際に参考資料として配布しました。後者の数値は一意的に決めることは困難であり、また、両数値が論文の価値を直接決めるものではありませんが、評価者の評価とはかなり高い正の相関がありました。比較的最近の論文については、来年度も推薦されて評価の定まるのを待つことにしたものもあります。
 今回、17年前の論文の推薦が1件ありました。確かに高い評価を受けてきた論文なのですが、このような長い期間の間で全掲載論文のなかで特に推薦すべき論文かどうかを判断できなかったので見送りました。
 また、推薦論文が受理された直後に同種の研究成果を国外誌に発表されたものが複数件ありました。いずれの場合も、国外誌の論文の方は高い注目を受けていて、該当する研究成果自体はレベルの高いものと判断されましたが、今回は国外誌論文の評価は考慮に入れずに審査しました。

*日本物理学会 第8回論文賞選考委員会
委 員 長清水富士夫
副委員長伊藤厚子
委員(50音順)潮田資勝、斎藤 晋、酒井英行、佐藤文隆、高須昌子、東島 清、前川禎通、水崎隆雄、吉田善章

(日本物理学会誌第58巻(2003)第5号 掲載)


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