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[解説追加しました(10/9)]2025年ノーベル物理学賞は、「電気回路における巨視的量子トンネル効果とエネルギー量子化の発見」により John Clarke 氏(カリフォルニア大学バークレー校、アメリカ)、Michel H. Devoret 氏(イェール大学、カリフォルニア大学サンタバーバラ校、アメリカ)、John M. Martinis 氏(カリフォルニア大学サンタバーバラ校、アメリカ)の3氏が受賞することに決定。

公開日:2025年10月7日

解説

量子力学がまだその揺籃期にあった1935年、その立役者の一人であるアーウィン・シュレーディンガーは猫のような巨視的な物体が量子力学の確率的な法則になぜ従わないのかという疑問を、思考実験という形で問題提起した(Schrodinger, 1935)。このシュレーディンガーの猫の問いは、量子力学の範疇がどの程度の物理的スケールまで拡張できるのか?量子力学に従う世界と古典力学に従う世界の境界は一体どこにあるのか?このような深淵な問いかけでもあった。

果たして量子ゾンビのような猫を作ることは可能か?マクロな物質が量子コヒーレトな性質を顕著に表すことができるのか?爾来、シュレーディンガーの猫の問いは物理学の世界に一つの大きな影を落としてきた。この問題に一筋の光明を灯したのは、それから半世紀たった1980年頃トニー・レゲットらが、量子的に振舞う巨視的な物理系として、超伝導体で構成されるジョセフソン接合での巨視的量子トンネルの可能性を理論的に示唆したことであった(Leggett, 1980; Caldeira, Legget 1981) 。

ジョセフソン接合とは二つの超伝導体を弱く結合させた固体素子であり、超伝導状態には膨大な数の電子(クーパー対)が一の超伝導量子状態を巨視的に占有する状態である。レゲットが目を付けたのは、エネルギーの散逸の少ない超伝導体では量子コヒーレンスは比較的保ちやすく、同時にこれは巨視的な数の電子が関与する量子状態であることだ。また超伝導状態はメートル単位の大きさでも容易に実現するので、「巨視的」と呼ぶには相応しいと彼は考えたのである。

超伝導状態は巨視的量子波動方程式で記述できる。この状態ではクーパー対の波動関数がシンクロナイズして重なり合い、集団として巨視的量子波動を形成する。このような波を記述する重要なパラメータは振幅(超伝導体中の電子対密度の平方根に比例)と位相のみである。レゲットが考えたのは「巨視的トンネリング」という現象である。ジョセフソン接合の状態は一般的には、「洗濯板ポテンシャル」とよばれる巨視的位相空間でのサイン関数束縛ポテンシャルの中の古典的な粒子の運動としてとらえられる。【図1】にジョセフソン接合がとり得る状態を示す位相空間でのエネルギー状態図を示す。

ここで特記するのは、この図に示した状態(古典状態と量子状態ともに)は、単なる一粒子の状態ではなく、膨大な数の電子(電子対)が関与する巨視的な量子状態である。巨視的量子トンネルとはこの図に示したように、超伝導状態に関与する膨大な数の電子対が集団的に振舞って、ある量子状態から別な状態へ量子的にトンネルすることである。物理系が大きくなると、物質波の波長は短くなるが、重要なのは量子揺らぎのエネルギーであって物質波の波長ではない。量子揺らぎのエネルギーが古典的な熱揺らぎより十分大きい領域でエネルギーの散逸も限定される条件では、量子的な振る舞いは実現可能なのである。
レゲット達の巨視的量子トンネルの理論的提案はすぐさま実験に移され、ほどなくしてIBMトーマス・ワトソン研究所(Voss and Webb, 1981)や、ベル研究所(Jackel et al, 1981)から次々と巨視的量子トンネルの実証に成功した報告がなされた。これらの実験では、ジョセフソン接合に流れる電流が最大可能な値(臨界電流値)を超え接合に電圧が現れる現象が、高温では熱揺らぎによって引き起こされるが、低温域では量子揺らぎによる量子トンネル効果によって引き起こされるという証拠が示された。これは超伝導状態から電圧状態へのスイッチング確率が低温では飽和することを根拠としている。

量子力学はその適用範囲が理論的に決められている訳では決してない。通常それが微視的な系に限られ観測されるのは、それらの系では熱的なエネルギーの散逸の効果が抑えられているからである。上記のような実験が明らかにしたのは、マクロな物理的大きさを持ち、膨大な数の電子(素粒子)が関与する巨視的な量子状態でも、量子揺らぎエネルギーが大きく、熱的なエネルギーの散逸が抑制される条件では、その系は量子的に振舞うことが可能であるということだ。

この度のノーベル賞の受賞対象となったバークレーの三名は、カルフォルニア大学バークレー校物理学科のクラーク教授室で研究を行っていて、デボレーはポスドク研究員、マルティネスは博士課程の学生であった。彼らの研究は、巨視的量子トンネルに関してはIBMやベル研究所に少し遅れを取って参入したのだが、更に研究を進めて全く新規な現象を発見した。それはジョセフソン接合でのエネルギーの量子化である(Martinis et al, 1985)。これは自然原子での電子エネルギーの量子化と全く同様な現象である。この成果が今回のノーベル賞の受賞につながった。

ジョセフソン接合の静電エネルギーの大きさがジョセフソンエネルギーに対して無視できなくなるほど大きくなると、接合の状態は局在化した古典的状態モデル【図1】では対応できなくなり、この図のように接合のエネルギー準位は量子化される。丁度原子核が作る束縛ポテンシャルの中に電子が捕らわれるとエネルギーの量子化が起ることに対応した現象である。バークレーのグループは、マイクロ波をジョセフソン接合に照射し、ある特定の周波数において巨視的量子トンネルの確率が突然顕著になることを発見した。これは正に接合のエネルギーが量子化している重要な実験的証拠であった。

理論的にはこのようなジョセフソン接合でのエネルギーの量子化の解析は、コンスタンティン・リカレフの教科書(Likharev, 1986)で初めて明確に示された。彼が書中で「2次的巨視的量子効果」と名付けた現象だ。この本はバークレーの実験の少し後に発表されたが、これは出版時の時間的遅延により発表日が遅れてしまっていることに起因している。実際は全く独立して行われた研究であると考えられる。

ジョセフソン接合は、膨大な数の伝導電子から構成される巨視的な系であるにも関わらず、原子のように量子トンネル効果やエネルギー準位量子化が存在することは、理論的にも実験的にも分かった。シュレーディンガーの思考実験のような、複数の巨視的量子状態のコヒーレントな重ね合わせを実現する基本的な条件が全て整ったことを示している。しかし、このようなジョセフソン接合においてのコヒーレントな量子重ね合わせの状態制御を実現することは、バークレーでの研究の14 年後にNECつくば研究所での超伝導電荷量子ビットの実験(Nakamura et al, 1999)によりようやく成就したのである。

以上の説明を総括とすると、エネルギーの散逸が抑制された物理系では、それが如何に巨視的な物理系であっても量子コヒーレンスは保ちやすいはずである。そこで超伝導の巨視的量子状態に真っ先に視線が集まり、巨視的量子トンネルなどの研究が行われてきた。この度のノーベル賞は、マクロな物理系も量子的な振舞うことが可能で、トンネル現象やエネルギーの量子化を実験的に実証することに成功したことが評価され受賞が決定したものである。これはシュレーディンガーを源とする物理学の宿年の問いに、一つの重要な返答を提示した快挙である。

この三名の1985の主論文は、超伝導の業界では有名であったが、それ以外の業界ではこれまであまり注目はされてこなかった。しかしここにきてノーベル物理学委員会が過去の成果に遡り、この成果をピンポイントで選んだのは以下の理由があると推測できる。論文発表の14年後、この成果で示されたジョセフソン接合における量子化されたエネルギー準位を利用して超伝導量子ビットが実現した(Nakamura et al, 1999)。つまり量子猫を実際に重ね合わせることに成功したのである。この成果を受け、世界中の多くの超伝導回路の研究室は研究方向を一夜にして方向転換させ、その波及効果は現在の超伝導量子コンピュータ研究開発の隆盛に引き継がれている。このような現代の世界的大潮流につながる一つの重要な分岐点として、この度のノーベル物理学が授与されたと考えている。

最後に一言。この度の受賞はジョセフソン接合での「巨視的量子トンネル」と「エネルギー量子化」である。巨視的量子トンネルを最初に発見したのはリチャード・ウェッブであり、それ以外でも彼はメゾスコピックリングでのアハラノフ・ボーム干渉効果を発見したことでも大変有名である。しかし残念ながら彼は2016年に70歳で逝去している。この度のノーベル賞につながった実験も40年も前の成果である。皆さん、せいぜい長生きしましょう。

figure1.png

[図1] 位相空間でのジョセフソン接合の状態

位相空間でのエネルギー状態図。サイン関数の波状曲線は接合の状態の束縛ポテンシャル。ここでは接合の最大ジョセフソン電流の10%程度の電流を流した場合を示した。静電エネルギーが無視できる場合、接合の状態は図中の「古典状態」のように局在化している。静電エネルギーが十分大きくなると、接合のエネルギー準位は顕著に量子化される。図中の量子化状態は、静電エネルギーがジョセフソンエネルギーの約半程度の場合である。巨視的量子トンネルの軌跡も図示してある。

(理化学研究所量子コンピュータ研究センター 超伝導量子シミュレーション研究チーム チームディレクター 蔡 兆申)

参考文献

E. Schrodinger,
Die gegenwairtige Situation in der Quantenmechanik
Die Naturwissenschaften 23, 807, 1935

A. J. Leggett
Macroscopic Quantum Systems and the Quantum Theory of Measurement
Progress of Theoretical Physics, supplement no. 69, 80, 1980

A. O. Caldeira and A. J. Leggett
Influence of Dissipation on Quantum Tunnelling in Macroscopic System
Physical Review Letters, 46, 211, 1981

Richard F. Voss and Richard A. Webb
Macroscopic Quantum Tunneling in 1-μm Nb Josephson Junctions
Physical Review Letters, 47, 265, 1981

L. D. Jackel, J. P. Gordon, E. L. Hu, R. E. Howard, L. A. Fetter, D. M. Tennant, and R. W. Epworth, and J. Kurkijärvi
Decay of the Zero-Voltage State in Small-Area, High-Current-Density Josephson Junctions
Physical Review Letters, 47, 697, 1981

John M. Martinis, Michel H. Devoret, and John Clarke
Energy-Level Quantization in the Zero-Voltage State of a Current-Biased Josephson Junction
Physical Review Letters, 55, 1543, 1985

K.K. Likharev
Dynamics of Josephson Junctions and Circuits
Gordon and Breach Science Publishers, 1986

Y. Nakamura, Yu. A. Pashkin, J. S. Tsai
Coherent Control of Macroscopic Quantum States in a Single-Cooper-pair Box
Nature, 398, 786, 1999


日本物理学会誌に掲載された以下の記事もご覧ください。

中村泰信「実験の進展―巨視的量子効果としての超伝導」(特集:超伝導発見から100年を迎えて)
66巻10号 pp. 762-769(2011年)

猪股邦宏, 川畑史郎
「高温超伝導体固有ジョセフソン接合における巨視的量子トンネル現象 : 理論と実験」
61巻5号 pp. 342-346(2006 年)

中村泰信, 蔡 兆申「単一電子トランジスタの現れた巨視的量子コヒーレンス」
53巻 7号 pp. 516-519(1998年)

水島 健「超流動・超伝導と巨視的量子現象」(特集「量子力学の世紀」)
80巻7号 pp. 380-384(2025年)

江沢 洋「第2回「量子力学の基礎と新技術」国際シンポジウム」
42巻4号 pp. 380-384(1987年)